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短編集44(過去作品)

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二つの月



                 二つの月


 線香の香りが漂っている。その日は風が冷たく、今年一番の寒さだということだった。夕方に差し掛かった時間の、西日がまだ残っている時間から比べれば、容赦なく寒さが襲ってくる。
 今日は父の七回忌、朝から母が用意にてんやわんやだった。妻の弘子に朝から通わせて手伝わせているが、田舎のことなので、思ったより盛大でビックリしていた。
「こんなにすごいとは思わなかったわ。あなたもなるべく早くいらしてね」
 妻から昼休み、携帯電話に連絡が入った。その日はどうしても出席しないといけない会議が入っていて、法事といえど抜けられるものではなかった。大事なプロジェクトが控えていて、これまでの成果が試される時期だったのだ。
「すまない、今度はせっかくのプロジェクト会議、しかも僕のプレゼンで進行されることになっているんだ」
 妻に話したのは、三日前。
「あなたの企画が採用されるのね。がんばってね」
 妻と結婚して五年が経ったが、それまで会社や仕事の話をしたことはあまりなかった。家に仕事のことを持ち込むのが嫌な性格だったからだ。仕事を持ち込むのが嫌だと思っていたというのが誤解だと分かったのは、最近のことだった。
 仕事の話をするのが嫌なのではなく、本当に嫌だったのは、仕事のことを話すうちに、知らず知らず愚痴になってしまったり、上司の悪口になってしまうことを懸念してのことだった。実際に、今まで学生の頃も、母によく愚痴をこぼし、
「お前は愚痴が多い」
 と言われ、ハッとしたものだった。自分がどれだけまわりの人に甘えてるかを思い知ったのもそんな時だった。
――無意識なことが結構多いんだな――
 我に返ると顔が真っ赤になるくらい恥ずかしい。
 結婚する時もなかなか言い出せなかった。大学入学と同時に田舎を出て一人暮らしを始めたが、いずれは戻ってくると思っていたのかも知れない。社会人になって最初の年は二、三ヶ月に一度のわりで帰省していたが、それも次第に回数が減ってくる。結婚前など、盆正月といえど、帰らないことがあったくらいだ。
「お袋は分かっているかも知れないな」
 結婚前の弘子に話したことがある。
「分かっているって?」
「僕に誰か付き合っている女性がいるってことをさ。意外と勘が鋭いところがあってね、最初頻繁に帰っていた頃など、ちょっと帰らないだけで、手紙が来たものさ。最近はそれがないだよ。きっと何か感じているんだろうね」
 と言うと、
「親子だからね。でも、彰浩さんだって、お母さんのことが分かってきているんじゃないの?」
「ああ、それは言えるかも知れないね。一緒に住んでいる頃、どれだけ甘えていたかっていうことが最近分かってきた気がするんだ」
 結婚を前にして、いかに母親を説得しようかと考えていると、どうしても母親の考え方に触れようと思うのも無理のないことだ。自分から見た母親、そして母親から見た自分がどう写っているかを、双方向から考えてみるなど、今までではなかったことだった。
 思い出すのは母親の得意料理。最初に思い浮かぶのは肉じゃがだった。子供の頃からの好物で、学校から帰ってきて玄関に入ったとたんに台所から匂ってくる香りに一喜一憂したものだ。
 その日の夕飯が肉じゃがだった時の喜び、子供時代の密かな楽しみの中では、自分にとって大事件だった。それだけ田舎の生活は平凡で、楽しみもなかったのだろうが、素朴な気持ちの中で、都会では育むことのできない何かが生まれていることを自覚していたに違いない。
「彰浩さんは肉じゃががお好きでしたわね」
 弘子が部屋に来ては作ってくれた。
「ああ、作ってくれるのかい? 嬉しいよ、ありがとう」
 キッチンに立って、料理を作ってくれる。その後姿を見ているだけで後ろから抱きしめたくなるような衝動に駆られることもあった。
 弘子の料理の腕前はなかなかだった。レパートリーも広く、和洋折衷、いろいろな料理を今までに作ってくれた。本当に好きでないとここまではできないだろう。
「私、高校時代、本気で料理の学校へ進もうかと思ったのよ。でも、やっぱり無難な短大を選んじゃった」
「料理に進むのを断念したの?」
「ええ、何かやりがいのあるお仕事に就きたいと思ったのね。それには人の役に立つお仕事でしょう。衣食住は人にとって大切なものですからね。でも、理想と現実ではうまくいきませんでした」
 弘子の気持ちも分かる。まだ十代の頃というといろいろ自分の可能性を模索している時期だ。考えてみれば、彰浩自身もそうだった。一番自分の可能性を信じ、何か少しでも見つかれば有頂天にもなれる時期、いわゆる青春時代と呼ばれる頃である。
 それに比べて彰浩には目標などなかった。進学も、入学できる大学を天秤に掛け、大学のレベルを考えた上で、受験する学部を決めたものだ。将来についてなど、何も考えていなかった。
――四年間の大学生活の中で、追々考えていくさ――
 くらいにしか考えていなかった。
 かといって、楽天家というわけではない。むしろ計算した上での考えをする方だ。
 やりたいことがないでもなかったが、自分の実力を考えればできることとできないことくらいは分かっているつもりなので、趣味として働きながら続ければいいと思っている。もし、本職にしようと思ったとしても、生活ができるかどうか考えれば、どうしても無難な方へと進んでしまう。
 理想と現実がハッキリと見えているわけではないが、隔たりを感じているのは事実である。現実の中に理想を見たり、理想を抱いている時に現実に引き戻されたりすることは、仕方のないことだとも思っている。ある意味、理想と現実は表裏一体、紙一重のきわどいところにあるものなのかも知れない。
――理想と現実――
 この二つを考える時に、夢というのがどの位置に来るのかが分からない。
 中間に位置するもののような感じもするが、理想の中にも夢があり、現実の中にも夢が存在する。
――夢というのが一つである必要などないのだ――
 いくつも夢を見ても構わない。それが現実で見れば理想のように見えるだろうし、理想として見れば、現実にしたいものだと考える。夢というのは、そのまま自分がその時に感じていることによって違うものなのだろう。
――夢とは潜在意識が見せるもの――
 と常々考えているが、まさしくその通り、生き物のようなものなのではないだろうか。
 会社に入ってしばらくは、不安が大きかった。やはり皆と同じようにいわゆる「五月病」というのにも掛かり、鬱状態を初めて経験した。
――人の話が右から左――
 というたとえを聞くがまさしくその通り、耳鳴りの中で、聞こえたかと思えば一瞬にして幻となるのだ。
「お前、ちゃんと聞いているのか?」
 上司に言われても、
「あ、はい」
 としか答えられない自分が情けない。
――上司だって同じような時期があっただろうに、それを忘れているのだろうか――
 とも考えるが、同じように上司も新入社員の頃に罵倒されたに違いない。ただ繰り返しているだけであろう。そう考えると、少し気も楽になってくる。
作品名:短編集44(過去作品) 作家名:森本晃次