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第七章 星影の境界線で

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5.紡ぎあげられた邂逅ー2



 静寂なる厨房に、気配もなくうずくまっていた女――ホンシュア。
 間違いなく、初対面の相手だった。
 だが彼女は、「逢えた」というひとことを歓喜で彩り、感涙する。その涙に嘘は感じられなかった。
 ルイフォンに引き寄せられるように、ホンシュアは立ち上がろうとする。
 熱のせいだろうか、動きは緩慢だった。途中で「あっ」と小さな悲鳴を上げ、よろける。そのまま力なく、ぺたんと、へたり込んだ。彼女は眉根を寄せ、苦しげに息を吐く。
「お、おい!」
 ルイフォンは思わず一歩、駆け寄った。
「待て、ルイフォン!」
 深入りしそうな彼を、半ば叱るようにしてリュイセンが呼ぶ。
「そいつは、〈七つの大罪〉なんだろ? 耳を貸すな」
 ルイフォンは、父親のイーレオに似ている。外見ではなく、内面が。――楽天家で、好奇心が強く、情に篤(あつ)く、情に脆い。
 だからこそ、自分がそばに居てやらねばならぬのだと、リュイセンは思う。
 彼は、ルイフォンが背負っているコウレンに気遣いながらも、強引に肩を掴んで出口へと促した。
「ああ……、やっぱり。リュイセンは、お父さんそっくりになったのね」
 ホンシュアが、懐かしいものを見る目で微笑んだ。リュイセンは、その顔に本能的な恐怖を覚えた。それは未知のものへの戦慄だった。
 荒い息をつきながら、ホンシュアは厨房の壁にもたれ掛かる。
「ルイフォンだけなら、ファンルゥが連れてきてくれる可能性があった。けど、リュイセンがいたら、確率は限りなくゼロ」
 気だるげでありながらも、しっかりとした口調。だが、それは気力によるものに過ぎないと、額に浮かぶ汗が証明している。
「何者だ、お前……」
 満足げな表情を浮かべるホンシュアの不気味さに、リュイセンは思わず疑問を口にしていた。
 双刀の柄に手をやりながら、彼は、そろそろとホンシュアに歩み寄る。
「何故、俺たちのことを知って……」
 言いかけて、リュイセンは途中で口を閉ざした。反応したら相手の思う壺だと気づいたのだ。
 彼は振り切るように背を向けた。ホンシュアの体が利かないのは確かだ。だから、このまま無視して立ち去ればよい。そうすべきだ、と。
「ま、待てよ、リュイセン!」
 大股で勝手口に向かうリュイセンを、ルイフォンは目線だけで追った。頭では冷静な兄貴分について行くべきだと分かっているのだが、心と体はホンシュアを向いたままだった。
「行っていいわよ、ルイフォン」
 そっと背中を押すように、ホンシュアはそう言って、にこやかに笑う。
 状況に対して不自然なほどの、晴れ晴れとした笑顔だった。汗で額に貼り付いた黒髪すら、清々しく見える。
「あなたが元気なことが確認できれば、それで充分。顔が見られてよかったわ」
「なっ? なんだよ、それ!?」
 大仰に現れたくせに、顔を見ただけで充分だなんて、あまりにも奇妙だ。彼女が求めているのは、こんなあっさりとした邂逅ではないはずだ。
「違うだろ!? お前は必死だった。何か、深いわけが……」
「ルイフォン、あなたって子は、変わってないわね」
「え……?」
「私があなたに逢うことには、なんの意味もないの。ただ、私が逢いたかっただけ」
 愛しげな眼差しで、ホンシュアがルイフォンを見つめる。まったく知らない顔なのに、どこか見覚えがあった。
「もしかして、母さん……?」
 口調が違う。雰囲気が違う。何より、別人の姿だ。――でも、知っている。
「ほら、リュイセンが待っているわよ」
「はぐらかすなよ! ――俺は、母さんが死んだ直後の記憶が曖昧だ。……俺は何か、重要なことを忘れている? お前は母さんじゃないけど、それに近い――!」
 促すホンシュアに、ルイフォンは叩きつけるように言い放った。
 心臓が早鐘のように鳴っていた。体の内部から、溢れそうな何かを感じる。封じられた不明瞭な記憶がもどかしい。
「……『母さん』」
 無意識に、ルイフォンの唇が動いた。
 刹那、ホンシュアの瞳が揺らいだ。ルイフォンをじっと見つめる瞳から、ひと筋の涙が、頬を伝う。
 薄い闇が、空気を墨色に染め上げ、あらゆる物音を舐め尽くしていた。その中を、ホンシュアが震えながら、白く朧(おぼろ)な腕を伸ばしてくる。むき出しの肩に載っていた髪が、さらさらと流れ落ちる音が聞こえた気がした。
「…………、…………ルイフォン、来て」
 彼女は、儚げに微笑んだ。
 ルイフォンは足を……踏み出そうとして、動けなかった。
「……え」
 気持ちは前に進んでいるのに、足がすくむ。自分の知らない『何か』を、体が恐れていた。
 ――嘘だろ、俺が脅えるなんて……。
 信じられない思いに、呼吸が乱れ、冷や汗が出る。
 それは、ほんの一瞬のことだったのかもしれない。けれど、ルイフォンには意識が遠のきそうなほど長い時間に感じられた。
 不意に、背中が軽くなった。
 驚いて振り返ると、ルイフォンが背負っていたコウレンを、リュイセンが抱えていた。
「行ってやれよ」
 リュイセンがホンシュアを顎でしゃくる。投げやりのような、面倒臭そうな、いつもの憮然とした顔だ。
 野生の獣の勘に近い敏感さで、彼は本質を見抜く。事情が分からなくとも、必要なことと、そうでないことの区別の見極めに狂いはない。
 ルイフォンが戸惑っていると、小さな影が走ってきた。『話が始まったあとは、お喋りは我慢』の指切りを、ホンシュアと交わしていたファンルゥである。
 可愛い掌が、ありったけの力でルイフォンを押した。彼が一歩よろめくと、怒られると思ったのか、そばにいたリュイセンの後ろにささっと隠れる。
 親譲りの猪突猛進さに、「よくやった」とリュイセンが笑いかけると、ファンルゥは驚いたように目をぱちくりとした。リュイセンのことは、怒ってばかりの怖い人だと思っていたのだ。
 嬉しさのあまり、彼女はリュイセンの足にぎゅっと抱きつき、頬を擦り寄せる。お口チャックの約束を守ったままの喜びの意思表示である。
「お、おい」
 突然の可愛い攻撃に、猛者リュイセンが動揺を隠せない。コウレンを落とさないように、ファンルゥのすりすりを避けようと、無駄な努力をした。
 そんな光景を目に、ルイフォンは、肩の力が抜けるのを感じた。
 何を怖がっていたのだろう。
 ルイフォンは、ゆっくりとホンシュアに近づいた。座ったままの彼女に合わせ、膝を付く。彼女の顔が、ふわりと緩んだ。
 ホンシュアは上体を傾け、ルイフォンの癖のある前髪に指先を伸ばした。触れたかと思うと、くしゃり、と撫でる。彼がよくやる仕草とそっくりだった。
 そのまま彼女は、崩れ落ちるようにルイフォンの胸に倒れ込んだ。
 思わず抱きとめた素肌の肩は、明らかに人の体温を越えており、胸に預けられた額は熱く脈打っていた。
「ごめんね。私……、お母さんじゃ、ないよ」
 喘ぐような高温の息が、ルイフォンの体に掛かる。
「ルイフォン、……ごめんね」
「何を謝っている?」
 ホンシュアは、ためらうように一度、息を止め、それから少しだけ、からかいを含んだ、けれど柔らかな声で言った。
「あの子……メイシア。私の選んだあの子を、ルイフォンは……どう思った?」
「え?」
 選んだ――?
 虚を衝(つ)かれたような、告白。
作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN