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短編集27(過去作品)

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開けてくれ!



                 開けてくれ!


「開けてくれ!」
 思わず叫んで目が覚めた。新宮和彦は我に返ると、喉の乾きを覚えていた。
 身体中にベットリを掻いた汗、内容は意識がハッキリしてくるにつれて薄れていき、まるで記憶の奥に封印されていくようだ。だが、その中でもかすかに残っている記憶を紐解きながら、叫んだ言葉を頭に描きながら思い出そうとしている。
 小さい頃に遊んでいた空き地、今は探してもそんなところはないだろうが、壁のコンクリートが壊れていたり、配水管などむき出し状態になっていて、いびつに歪んでいる。そんなところが子供の遊び場となるのは、当時としては当然だった。ゴムマリやプラスチックのバットを使っての子供の野球をするには絶好だった。
 まだ野球のルールもよく知らない、三角ベースのルールをそのまま野球のルールだと思っていた頃である。ジーンズ系の半ズボンを履いてところ狭しと走り回っていたので、生傷が絶えなかった。端の方には土管が重ねて置かれてあり、ベンチには困らない。本当に当時の空き地のイメージそのままだったのだ。
 公園で遊ぶことより空き地で集合して野球をすることの方が多かった。学校から帰ってきて、ランドセルを置くのと同時に帽子をかぶって、急いで家を飛び出したものだ。別に急がなくとも他の連中に場所を取られることなどなかったのに、
「もしかして、今日は取られているんじゃないだろうか?」
 といつも不安に苛まれていた。いや、何よりもふっと気を抜くと、その瞬間の隙間に入り込まれるのが怖いのだ。
 誰が入り込むというのだろう。油断が後悔に結びつくことを極端に嫌っていた。小学生低学年であまり深く考えていない年代なんだろうが、新宮はいつも何かを考えているような少年だった。小さい頃の方がそうだったかも知れない。
 本人はあまり考えないようにしようという自覚はあった。だが、何かを考えていないと何をしていいのか分からないのだ。だが考えすぎて、するべきこととしていいこととの区別がつかなかったのは間違いない。
「それにしてもいつも俺たちだけだな。まあ、その方がありがたいけどな」
 遊びのグループの中でのリーダー格の陣内が言っていた。
「そうなんだよね。でもどうしてなんだろう?」
 と答えていたが、新宮も深くは考えなかった。だが、他の連中がどうだったか分からないが、新宮の場合は考えることの怖さを何かしら気付いていたようだ。
 空き地に入ると、表から見ているよりもかなり大きく感じられる。表からでは子供の野球でもかなり苦しいくらいに狭く感じるが、実際にやってみると、結構端の方が遠くに感じる。思い切りバットを振ってもなかなか遠くに飛ばない。子供心にも、
――空気が濃いのかな――
 と思ったほどだ。
 実際に空気が濃いわけではないのだろうが、風もなく、それなのに空気抵抗だけは大きい。濃いと思っても仕方のないことであろう。
 飛ばないのを必死になっている気分は夢の中のようだ。
 夢というのは潜在意識が見せるもので、何か強烈なイメージのあったものが夢で再現されることもある。例えば、一生懸命に何かに打ち込んでいたり、達成感を感じる時だったり、逆に一生懸命にしていても思ったより効果が上がらずに焦ったり……。公園の夢を見る時は最後のイメージなのだ。
 焦りがそのまま汗となって吹き出してくる。目が覚めれば汗でびっしょりになっているのも頷けるというものだ。
「またあの夢だ……」
 汗が吹き出した時の夢というのは、どこかに共通点がある。それは目が覚めるにしたがって一気に忘れてしまうことなのだが、それでも何か一つだけは忘れることがないようだ。それが夢を神秘的なものだと思わせ、もう一度見てみたいと感じさせるのである。
 そんな中で、最近目が覚めた瞬間に叫んでいる言葉、
「開けてくれ!」
 というシチュエーションが記憶にないのだ。頭の奥深くに封印されているのだろうが、それにしても意識の中にまったくないのも不思議である。夢の中でだけの感覚はふとしたことで思い出すこともあるのだが、この言葉に関しては一切思い出すことがない。
 空き地で野球をしていた時に気付いたことだった。
 どこかでクラシックの音楽が奏でられている。ピアノ曲でよく聴く曲だが、題名を思い出すことはできない。バッハの曲だとは思うが、耳に心地よく残っている曲である。
 近くにある家から聞こえてくるようだ。音楽は気持ちを和らげてくれるものだということを意識していなかったにも関わらず落ち着いた気分になれたのは、その音楽が好きだったからに他ならない。
 今聞いても感動しそうな曲である。子供の頃を一番思い出すことができるのがその曲を聴いた時で、音楽の魅力が過去の記憶を思い起こさせるものだということを初めて知った時でもあった。
 ステレオを買ってもらった時の喜び、それは気持ちを思うままに音楽というものを、自分で好きなようにできるということへの喜びだった。その喜びがあるからこそ、何かがあった時にでも音楽のリズムやメロディが頭の中に浮かんできて、落ち着いた気分になれるのだ。
――どんな人が住んでいるのだろう?
 屋敷は大きな門構えからずっと高い壁が続いていて、かなり大きな屋敷だった。門の正面からしか見ることができないが、正面からは、完全な西洋屋敷である。それもかなり昔の造りに見えるのだが、綺麗な白色で眩しく見える。さながら神戸の異人館を思わせた。
 神戸にはその時行ったことがなかったので、もし異人館をイメージしたとするならば、異人館を目の前にした時に初めて、
――ああ、あの時に感じた西洋館のイメージはこれだったんだ――
 と感じたに違いない。その思いが後になって、
――異人館のイメージだ――
 と最初に見た時に感じたと勘違いしたのだろう。
 どうやらピアノは奥の方から聞こえてくるようだった。一度だけ見たことがあるが、黒い大きな車に白いドレスを着た中学生くらいのおねえさんが乗り込んでいた。白い服に白い帽子だったにも関わらず、それでも顔が白く感じられたくらいなので、きっと普通に見たら透き通るような白さだったに違いない。まるで病弱ではないかと思えたのは、学校の教科書に載っていた話を思い出したからだ。
 その話とは、大きな家に住む女性の話で、小さい頃から病弱という可愛そうな設定だった。彼女はほとんど家から出たことはなく、学校にもまともに行けず、勉強は家庭教師に教えてもらっているという話だった。
 たまに学校に行っても午前中だけという感じでお友達とまともにお話できないようだった。子供心にも想像をめぐらし、実に可愛そうな境遇だと感慨無量になったのを覚えている。
 そんな主人公も、最後は学校にも行けなくなり、友達と離れて山奥へ静養にいくのだが、学校で友達とお別れをし、屋敷の前から車に乗り込むところが最後のシーンだった。
 それから主人公の彼女はどうなったのだろう?
 教科書にはそこまで載っていなかった。きっと小学生には残酷な結末が待っていたのではないだろうか?
作品名:短編集27(過去作品) 作家名:森本晃次