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短編集27(過去作品)

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 普通、初恋と言えば、思い出として大切に忘れられないものであるだろう。そこに違いはないのだが、彼女のことを思い出せるのは、夕日に向って歩いている瞬間だけだったのだ。シチュエーションが違うと私の中での彼女が思い出されて来ない。きっと、いつも私の数分前を歩いていたからだろう。そう考えることが、すべてを納得させてくれるようで、実に不可思議だった。
 その日、私は父の病院にその足で向った。何よりも、探偵に頼むことができたという報告があったからだ。時計を見ると午後七時前、夕日が沈んでからまだそれほど時間的には経っていなかったようだ。
 漆黒の闇が、夜の帳を下ろすような街ではない。目の前には煌びやかなネオンサインが蔓延っていて、喧騒とした雰囲気が漂っている。今の私は都会の夜も嫌いではない。静か過ぎるのを不気味に感じるからだろう。
 寂しげに家路につかなくてすむだけよかった。また何度かこの道を通ることになるであろうと想像しただけで、広がった夜景を、目に焼き付けておこうと思うのも無理のないことだろう。緊張感からか、疲れがでているようで、その疲れは足に来ていた。
 足の裏の土踏まずのところが痺れているようだ。まるで登山から帰ってきた時を思い出す。高校の頃の遠足であった登山が懐かしく、大学時代は友達と山に登ったこともあった。美味しい空気の元、嫌なことが忘れられるという友達が、私を誘ってくれたのだ。誘ってくれなければ、たぶん登山に行くこともなかっただろう。
 登山で一番思い出に残っているのは、大学から少し離れた山に登った時のことだった。その山は最初険しい岩を登っていくところで、そこを越えると後は、普通の登山道が開けていた。ロックガーデンと呼ばれるところで、時間を感じることなく一心不乱で登りきると、そこには、心地よい疲れが残っている。そこでしばしの休憩を行い、またゆっくりと歩き出すのだが、かなり登ってきているため、眼下には綺麗な風景、そして目の前には、真っ青な空を見ることができる。
 もちろん、そこまででも最高の気持ちなのだが、私が一番印象に残っているところは、そこからさらに数十分歩いたところに広がっている草原であった。
 草原といってもいつも登る時期は飽きが多いので、私が見るのは、ススキが生い茂ったところであった。そこにいると自然な風が心地よく、私を包んでくれる。
「ここで休憩しよう」
 私はそこでの休憩が好きだった。山に登っていて一番好きな場所とは、まさしくススキに囲まれながら心地よい風に吹かれるこの場所であったのだ。
「まるで風に吹かれて飛んでいきそうだ」
「そうだな」
 という会話から、そのまま眠ってしまうのではないかと思えるほどの心地よさがある。
 今ならハッキリその時の気持ちが分かるような気がする。
――母親のお腹の中の羊水に抱かれているようだ――
 と思えるのだ。
 母親の存在を疎ましいと感じていた私だったが、そこにいる時だけは、母親のお腹の中を思い出せるようで嬉しかった。しかし、そこまで思えるようになるまでに、そこに何度足を踏み入れたことか、気付いてからそれほど山に登っていないのも皮肉なことだった。いや、
――母親の羊水のようだ――
 と感じなかった頃の方が、より新鮮で気持ちが素直だったように思えるくらいである。
 母親へのトラウマを感じたのはきっとその時だろう。大きな空を見上げながらススキの穂の真ん中で寝そべっている。そんな光景が頭に浮かぶと、自分が小さな人間だということを、嫌が上にも思い知らされる。
 ススキの穂というのは、不思議な魅力がある。
 ススキの穂を見ていると時間を感じないのだ。なぜなら、その場所の光景はずっと昔から変わっていないと思うと、百年前も、二百年前にも誰かが同じ光景を見て、同じ事を感じていたように思うからだ。
――武士が刀を指して、この場所で仰向けになって、ススキの穂に包まれながら同じ空を見ていた――
 と感じるだけで、実に不思議に思う。そしてそれを感じると、ここに初めて来た時のことを思い出した。
――この光景を見るのって本当に初めてなのだろうか? そういえば、以前に絵で見たような気がするな――
 と感じたように思う。絵で見た時も、何となく吸い込まれそうで、その場をしばし離れられなかった。実際に登って目の前で見た時にデジャブーを感じたくらいである。それが母親へのトラウマに繋がっているとは、最初夢にも思わなかった。
 その日、家に帰ってからの私は、実に忙しかった。父が危篤に陥り、それから数日で亡くなったのだ。葬式は盛大に行われた。さすがと思わせるような弔問客を始め、葬式の格式もすごいものであった。
 だが、私は結局父の最期の言葉に立ち会うことはできなかった。探偵事務所から帰ってくるとすでに危篤に陥っていて、意識はなかった。呼びかけても返事をするわけもなく、結局帰らぬ人となってしまった。
 やっと落ち着いて私は再度探偵事務所を訪れた。十三階段をハッキリと数えながら上っていったが、今度の訪問にはハッキリとした理由があった。
 父の遺言の中に、女性はやはり私と血の繋がった姉であることが記載されていて、彼女にも遺産を譲るというものだった。それで、他の人に頼むわけにはいかず、唯一血の繋がった私に頼んだというわけなのだ。
 だが、結局私は彼女を見つけることができなかった。何となく父も分かっていたのではないかという気がして仕方がない。
 一生懸命に上っていき、探偵事務所の扉の前までくると、中は真っ暗、この間まであったはずの、扉に張られたガラスにあった「新宮探偵事務所」の文字がなくなっている。
――いったいどうしたことなのだ――
 しばし立ちすくんでいたが、じっとそこにいても仕方がない。もう一度十三階段を下りていくと、今日も同じように階段が一つ多い。
――実に不思議だ――
 だが、表に出ると同じように足の裏が痺れ、頭は昔登った山の、ススキの穂を思い出している。そう、母親へのトラウマが消えたあの瞬間である。
 しかし、本当に消えたのだろうか? 父親との気持ちを考えると、いまだに残っているように感じるのは気のせいだろうか?
 私はしばし、その場に立ち尽くしていたが、意を決して歩き始めた。その少し後に、探偵事務所の十三階段から下りてくる女性の存在があった。彼女が写真の女で、彼女も私を探していることや、
「いやだわ、ここって十三階段なんだわ」
 という彼女の声を、私は知る由もなかった……。

                (  完  )
作品名:短編集27(過去作品) 作家名:森本晃次