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田舎道のサナトリウム

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 と、教授は常々思っていた。
 孤独と寂しさを切り離してしまうと、一人でいることも案外寂しくないものだ。特に自分にはやるべきことがあるということを認識していれば、寂しさなんて自分にはありえないと思うことだろう。
 星野教授がそもそも薬学を志すようになったのが何からだったのかというと、子供の頃から身体が弱かったからだ。ただ、運動が不得意というわけではなく、むしろ身体さえ動けば運動神経はいい方だった。つまりは、病気のせいで思うように身体を動かすことができないというストレスとジレンマを抱えていたのだ。
 子供の頃の教授は、今と同じで無口だった。
――自分のことは、誰よりもよく分かっている――
 という自負があり、そのくせ自信過剰というわけではなかった。
 それよりも、自分のことが分かっているだけに、まわりに遠慮してしまい、一歩性って見ることで、無口な性格にしてしまった。
 遠慮がちな性格がよかったのか、子供の頃は一人でも寂しいと思わなかった。その感情が今も残っていて、孤独でも寂しくないと思うのだった。
 教授は病気というほどひどいものではなかった。喘息の一種なのだが、小児喘息のように、大人になると自然に治るものではなかった。
「これから君は、病気とうまく付き合っていくことを覚えていかなければいけないんだよ」
 と主治医に言われたが、それこそ他人事にしか聞こえなかった。
「じゃあ、僕の病気は治らないんですか?」
 と聞くと、
「絶対に治らないとは言っていないけど、治るとしても、いつ治るか分からない。だから君は病気を治ることを前提に考えるよりも、うまく付き合っていくことを考えた方がいいんだ。絶対に治るなんて確証もないことを、先生は自信を持って口にすることなんかできはしないんだ」
 と言った。
――医者にも治せないことがある――
 ということを、星野少年は思い知った。
 しかも、それが自分であると思うと、それを運命のいたずらと考えるか、少し悩むところであった。
――医者がダメなら、薬で治せばいいんだ――
 医者はその人の技量で、名医もいればヤブ医者もいる。しかし、薬は効力は同じである。ただ、それを使う人の身体に合っているかどうかというのだけが問題であり、副作用なども考えると、まだまだ当時の薬に信頼性は薄かったのかも知れない。
 今は医学も進歩していて、当時に比べれば、格段の信頼性であろう。その信頼性に貢献しているのは、紛れもなく教授であり、そういう意味では医学を志したのは間違いではなかった。
――わしの進む道に間違いはない――
 と、いつも心で唱えているのだが、口に出して言ってみたことはなかった。
 それは、教授にとっての謙遜ではない。教授はどうしても口にすることができなかったのだ。それが教授の性格を序実に現していて、このお話の根幹でもある。星野教授が今まで生きてきた人生を時々振り返ることがあったが、なぜかそのたびに、違った記憶がよみがえってくることをいつも不思議に感じていた。
――わしのこれまでの人生って、どれが本当だったんだろう?
 とそれぞれの記憶がよみがえった時に紐解いてみたりしたが、
――いつ思い出したことを紐解いても、結局は今の人生に繋がってくるんだな――
 と感じた。
 つまり、どんなに違った過去であれ、思い出す記憶のその先には、今という現実が広がっているのだ。
 それは、自分の意識が今を中心に回っているからなのかも知れないが、それだけではないような気がしていた。そのことを誰にも言うことができないでいると、気がつけばいつも一人で孤独だった。
――でも寂しくなんかないんだよな――
 そう感じると、教授は目の前に広がったことが、以前感じた、
――死への恐怖の正体――
 を思い起こさせる気がした。
 やはり、目先のことが一番であり、過去であっても、未来同様、目の前に見えていることよりも前を思い出そうとすると、夢でも見なければ思い出すことができないように感じるのだ。
 しかし、
――夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ――
 というではないか。
 結局、未来も過去も、一足飛びに感じることができないということを証明しているのであった。
 あれは桜の季節も終わり、そろそろ暑くなり始める頃ではなかったか。ゴールデンウイークなどという時期も過ぎ、歩いていても、軽く汗を掻く程度だったと思う。教授に頼まれたお使いは初めてではなかったが、その日は最初から、何となくお使いを頼まれるような気がした白石助手だった。
「場所はどこなんですか?」
「ここから少し遠いところになるので、今日は一泊してくればいい。近くに温泉があるので、こちらから予約をしておこう」
「それはありがとうございます。で、何をどこに届ければいいんですか?」
 と聞くと、
「いや、届けるわけではなく、そこから研究資料をもらってきてほしいんだ。そこは、大学の施設ではないんだが、ここと同じ薬学の研究所があるんだ。そこの博士には私の方から連絡を入れておくので、君は何も考えることなく、それをもらってきてくれるだけでいいんだよ」
 と言われて、
――郵送してもらえばいいのでは?
 とも思ったが、相手に気を遣って、こちらから取りに行くようにしたということなのか、それとも、じかに取りにいくだけの貴重な資料なのか、そのどちらでもあるような気がした。
「車で行くには少しややこしいので、列車を使って行ってほしい。ローカル線の終着駅になるんだけど、そこからは少し歩くことになる。歩くのは大丈夫かい?」
「ええ、少々なら大丈夫です」
「かなりの田舎道なので、ゆっくりと歩けばいい。気分転換にはもってこいのところだからね」
「はい、分かりました」
 普段なら、疑問に思うようなお使いだったが、その日はほとんど疑問が湧いてくることはなかった。
 最初から分かっていたような気がしたからだろうか? 白石の中には、何か懐かしい感じがイメージされ、ワクワクしているというのが本音だった。
「ちょうど、研究も一段落したところだろうから、君が一番の適任なんだ。すまないが頼まれてくれ」
 教授からそういわれれば、断わる理由など見つからない。むしろ期待されていると思うと、ワクワクがドキドキに変わってくるようで楽しみだった。
 それに、気分転換というのも正解であり、一段落した研究も一人コツコツ積み重ねてきたという充実感を開放させるには気分転換は必須だったように思えたのだ。
「出発は明日でいいからね」
「分かりました」
 明日はまず研究室に出勤して、少しだけ事務処理をこなしてから出かけるようにした。二日ほど留守をするので、研究員に対して引継も必要だった。今まで出張することがあっても、ほとんどはチームでの出張だったので、引継の必要などなかったが、今回は一人だけの出張である。引継も必要だし、自分のいないチームを想像したことがなかったので、一抹の不安がないわけではなかった。しかし、それよりも一人で出かけることにドキドキしている気持ちが一番で、まるで子供のように心は躍っていた。
「それでは行ってまいります」
 と、深々と頭を下げると、
「行ってらっしゃい」
 と、気さくな返事が返ってきた。
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次