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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 五、生命の章

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 しかし、声は戻らない。足りないのだ。“個”が、失われたままであるのだ」
 もしも……と、デヌタは言う。
「お前の知る、過去の姿を。過去、傍にあったものとの繋がりを。そうしたもの――記憶を、呼び戻すことが出来さえすれば。真実、人は『再生』するはずだ。再び生きることが、できるはずなのだ」
 哀感に満ちた双眸がじっとキレスを捉える。それは懇願するように。
 キレスは閉じた瞼をのろりと押し上げた。
「千年を経てよみがえる『月』――我らが主に宿る力と共に現れた、その意味が、ここにあるに違いない」
 ふたたび、確かにここへ呼び戻すために、とデヌタは言う。
「お前の力が、必要なのだ」
 しかしキレスは目を合わそうとしなかった。暗い瞳をうつろに開いたまま黙している。
 あたたかな感覚はすっかり払われていた。今はただ石のように固く冷たいものが胸を占めている。重いものがじわじわと背を圧し、短い吐息が漏れ出た。
「……夢を見てんだよ、あんた」
 キレスは言った 
「そう、俺は過去を再現できる。でもそんなの、夢と同じだろ。とっくに過ぎ去ったもの、過去を、ここに戻すなんてできるかよ」
 低く、つぶやき洩らすように。それから、こう続けた。
「俺が見せるのは、記憶の形。記憶ってのは、煙みたいなものだろ。生きるために燃やされた命が生む、煙。そんなものを戻したところで、燃え去ったものが元に戻るわけがない。第一、どうやって煙を戻すんだ? それは元々あったものじゃない、燃えたから生じた――燃える前には、無かったものだ。
 無いものを戻そうとするなんて、おかしいんだよ」
 どこか冷笑するように。
 デヌタはしばらく口を噤んだ。じっと、その淡青色の双眸にキレスを捉えたまま、思いを巡らせるように。
「それでも――やはり、お前の力が必要だ」
 そうして食い下がる。
「戻すことができずとも、記憶を再現してやることに、意味はあるはずだ。
 我が主の御業は、その“個”を生前のままよみがえらせはしなかったが、その様子はまるで幼子のようにも見えた。身体ばかりが発達し、しかし心は生まれたばかりなのではないか――それならば、過去の記憶を見せることで、それが道を示しはしないだろうか……? 時間はかかるかもしれない、だが取り戻すべき“個”を知り、それを受け止め、再びその器に同じ火を灯すのではないだろうか」
 希望を語る言葉に、キレスの胸はざわつきを覚える。
「そんなこと……できるかよ」
「方法はあるはずだ、私はそれを求めたい。そうすることによって、ウシルの子らの力が、ここに正しく結実するだろう。死を、克服するために――」
 デヌタが口を閉じると、しばしの沈黙があった。
 やがて、くくく、とキレスが笑いを洩らす。
「死を克服するだって? それを俺に言うの」キレスは呆れ返ったように言った。「死を守る――それが俺の、『月』の宿命だってのに」
「『宿命』とは何だ?」デヌタは穏やかに問う。「なにがお前の道を定める」
「それは――」と、キレスは一瞬口ごもった。「……ウシルの、死のために。あの人の作る『死』の概念のために、『月』アンプは生み出されたから」
 口にしながら、キレスは自身がそれをはっきりとは知らないのだと気づく。
 それを見透かすようにデヌタは言った。
「『宿命』なるものに縛り付けられ生きることを、望むのか? それに抗おうとは思わないのか」
「抗うだって……?」キレスはほとんど蔑むように応えた。「あんた、何にもわかってないのな。あの人に逆らえる奴なんて、いやしないんだ。あんただってあの人を恐れてる、だからこんな、夢みたいなことを考えたくなるんだ」
 言いながら、キレスは理由のつかない苛立ちが湧き上がるのを感じていた。
「あんたがやりたいなら、勝手にしたらいい。けど、俺は御免だ。それに……もしもうまくいって『死を克服』なんてできたところで――どうかな。それに代わる絶望が、他に生まれるだけじゃないの」
 眼差しを避けるキレスを、デヌタはなお捉え続けていた。波紋ひとつ描かぬ水面のように静かに。
「――お前は、ウシルを恐れているのか」
 そうしてただ一言投げられたデヌタのその言葉が、鏡に映る自身の姿を突きつけるようにして、キレスの感情を揺さぶった。
「恐れないやつなんかいるかよ!? あんただってそう、誰だって同じだ! そんな当たり前のことを、なんで俺に聞くんだよ!」
 キレスは興奮気味にまくし立てる。湧き上がる感情が全身に絡みつき、ひどく不快だった。これをどうにか払い去りたいと望み、その希求が胸を黒く染め上げる。
「あんたさっき、声が聞こえるのかって言ったよな。……聞こえるよ。あんたの言う妹の声も、聞こえる。その姿もちゃあんと知ることができる。今の俺には」
 キレスはそうしてにやりと笑うと、
「見せてやろうか?」
 ゆらりと手を掲げた。紫水晶の双眸が怪しく光を帯びる。
 吸い込まれるほどの透明感、その奥に、赤と青のせめぎあい――その様子に圧倒されているうちに、デヌタは光とも闇ともつかぬものに覆われた。
 ハッとあたりを見回す。はじめそこには何もなかった。ただ微かに、耳に触れる音を聞いた。聞き覚えのあるその音に、妹の名を呼ぶ。舌足らずな、幼いままのその声が、徐々にはっきりと届く。……やがて影が、幼い妹の輪郭をかたどり、その手足が、指が、顔立ちが、はっきりと目の前に浮かび上がった。
 ちいさな妹はデヌタを見上げると、嬉しそうに顔を輝かせ、にいたま、と何度も呼んだ。短い両腕をのばし、抱っこをせがんだ。
 デヌタは少年のように白い歯を見せ笑った。広げた腕に飛び込んだ妹の小さな体に倒れそうになり、しかしその体が、倒れるにはあまりに軽すぎることに気づく。意識があの頃にすっかり戻って、体がそうでないことを忘れ去っていた――それでもかまわなかった。戻るということは、失ったその時から再び始まるのだろう。妹の時間はこれまで止まっていた、これから再び動き出すのだ。
 妹はよく笑った。昔のままに笑った。はにかむようにして、片方の肩をすくめる癖もそのままだった。デヌタは妹を膝に乗せると、父の違うその妹の、先がくるりと内側に巻いた髪に触れた。優しく引いて手を放すと、ひゅと跳ねて元に戻った。その手触りを確かめるように、とりとめのない行為を繰り返した。妹は兄の髪を羨ましがり、まっすぐが良かったと言う。こんなに可愛らしい巻き毛であるのに。くすくす笑いながら、また引っ張り、手を放す。
 と、その髪が、かくんと前に引かれ、妹はうつむいた。眠ってしまったのだろうかと考え、デヌタは優しく髪を撫でた。その頭がまた、ずず、と前に引かれる。――なにか、奇妙だ。デヌタがそう感じた直後、ずずずと擦れるような音を立て、妹の頭部が首から離れ、床に転がり落ちた。
 ひゅと息をのみ、見開かれる目。激しく打つ動悸。夢が悪夢に転じたその時、感情は奈落へと突き落とされ、無意識に生じた冷気が妹の無残な姿を白く覆い隠してゆく。