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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第十話 護衛士の義務


 気まずい雰囲気。
 なんと声をかけたらいいのか、レギウスはとっさに思いつかない。
 視線をあちこちにさまよわせた。自分の名前を呼ぶリンの声に引き寄せられ、彼女を正視する。
 リンは毛布をこねくりまわしていた。レギウスと目が合うと、たちまち頬が赤くなる。うつむき、さかんに唇をなめ、銀髪の房を指先でくるくると巻いてもてあそぶ。
「……そういえば、レギウスにはまだお礼を言っていませんでしたね。助けてくれて、ありがとう」
 リンがおずおずと口を開く。柔らかな笑みで口許を飾った。
「おれはなにもしてねえよ」
「異端審問官からわたしを助けてくれたのはレギウスです」
「ヤツはおまえを裸にして……」
 口にしてから、この話題はど真ん中すぎる、と思った。ここで別の話題にそらすべきか、それともまじめに議論すべきか、レギウスが判断に迷っていると、リンは表情を明るくした。
「ジスラが言っていたことは本当です。〈破鏡の道〉はとても危険な場所ですから、万全の準備をしたほうがいいと思います」
「それは……おれとの絆をより強くする、ということか?」
 答えのわかりきっている質問にリンは真顔で応じる。
「それで生き延びることができるのなら避けるべきではありません。わたしはもうあんな思いを二度としたくないのです」
(あんな思い……ブトウのことか)
 どんなやり方でリンがブトウのいのちを奪ったのかは知らない。剣で刺し殺したのか、首を絞めて殺したのか、あるいは錬時術で葬り去ったのか。
「おれはまだおまえとは……」
「わたしのことが嫌いですか?」
「いや、違う。その、おまえとの一線を越えたら……おまえはおれのことをブトウと同じように……だああああああああああっ!」
 レギウスの小爆発に、リンがたじろぐ。
 複雑な感情が胸の奥底からこみあげてきて、レギウスは黒髪をゴシゴシとかきむしった。
「つまり、あれだ、おれが死んだら……おまえがひどく傷つくんじゃないかって……クソッ……なにわけわからんことを言ってるんだ、おれは」
「そうですね。あなたが死んだら、わたしはひどく傷つきます」
 あっけなく肯定されて、レギウスは目をパチクリさせる。
 リンの表情は穏やかだった。左右で色の違う瞳がレギウスをしっかりととらえている。
「だから死なないでください。いつまでもわたしのそばにいて。わたしを……愛して」
「おれはおまえを愛する資格なんかない男だ」
「きっかけはどうあれ、あなたはわたしが選んだ護衛士です。わたしには自分の護衛士から愛される権利がないんですか?」
「そうじゃない、そうじゃないんだ!」
「いまのレギウスはまるで子供みたいですね」
 レギウスはムッとしてリンをにらむ。とたんに口から出かかっていた反論の言葉が舌の上で溶けていく。
 リンはいまにも泣きそうな顔をしていた。
 これまでふたりのあいだの暗黙の了解だったルールを、リンはここにきてひっくり返そうとしている。
 レギウスに死んでほしくない、というのは本当の気持ちだろう。だから慎重に避けていた問題──男女の交わりを通じた絆の深化──に分け入ってまで、レギウスに強くなってもらいたいと望んでいるのだ。
 そこまで考えて、レギウスは完全に退路をふさがれていることに気づいた。
 いままでは、たとえ自分が死んでもリンは少しだけ悲しむ程度だろう、と勝手に思いこんでいた。だから取り返しのつかない事態にならないよう、リンとの関係の進展にどちらかといえば消極的だったのだ。けれども、彼女はレギウスが死んだらひどく傷つく、とさきほど断言している。リンはそれだけレギウスに気持ちを寄せている──つまり、レギウスの優柔不断な態度を醸成していた前提はもはや成り立たなくなっているのだ。いまのままの関係を維持したところで、プラスになることはなにもない。
 リンを守る力がほしい。であれば、なにも拒む理由はなかった。
 それに、これは自然の摂理──リンの言葉を借りるならば、始原の太母(たいぼ)のよみしたまう営為なのである。
(降参だよ……おれには最初から勝ち目なんかなかったんだ)
 リンが肩を小刻みに震わせる。レギウスがそっと彼女の手に触れると、震えはピタリと止まった。
「いいのか? 体調がよくないんならムリしなくてもいいんだぞ」
「大丈夫です。いつもよりも体調がいいぐらいですから」
「また竜鱗香で酔っ払ってるんじゃねえだろうな?」
「酔っ払ってなんかいません!」
 リンが憤然と語気を荒げる。口をへの字に曲げた彼女の表情が無性におかしくて、レギウスは思わず含み笑いを洩らす。
 リンがますます眉根に皺を寄せる。それからフッと力を抜き、レギウスの手に自分の手を重ねた。柔らかくて、温かい感触。甘い雪中花の香りがにおいたつ。
 肺いっぱいにそのにおいを吸いこむと、レギウスのなかで火花が弾けた。
 心臓の鼓動が高鳴るのをレギウスは自覚する。手が汗で湿る。唾を何度も飲みこむ。
 左手に刻まれた五芒星(ごぼうせい)の刻印が火傷したかのようにひりひりする。男女のまぐわいの期待に護衛士の契約のしるしがいつになく昂っている。
 リンが目をつぶった。彼女の頬を両手でくるみこんで、レギウスはそっと唇を重ねる。
 ふたりの舌が互いを求めてからみ合う。かすかにしみる血の味。塩辛いのにどこか舌に甘い。
 全身に力がみなぎっていくのを感じる。熱くたぎるエネルギーが肉体の内奥から膨張してくる。
 リンといっしょに寝台に倒れこんだ。唇を離してリンの頭の両側に手をつき、彼女を真上から見下ろす。
 リンが腕を伸ばし、レギウスのうなじを囲んで指を組む。異彩を放つ双瞳にレギウスの姿を包みこんで、優しく微笑む。レギウスの指に長い銀髪がまとわりつく。
 最後に目で確かめ合うと、もう一度、むさぼるようにリンの唇を吸った。
 リンの服を脱がせる。銀髪に縁取られたリンの裸身をレギウスはじっと凝視する。
 きれいだ、と思った。とてもきれいだ、と。
 リンを美しい、と思ったことはこれまでに何度もある。が、眼前にすべてをさらけだしたいまの彼女は、新鮮な感動をレギウスにもたらしていた。
 すべやかな乳白色の肌はうっすらと汗がにじんで光っている。ふくよかな胸の起伏のいただきを彩る薄紅色の小さなつぼみがレギウスの視線を惹き寄せた。
 リンは耳まで真っ赤になって、伏し目がちにレギウスを見上げていた。
 指と指をからませ、ギュッとにぎる。痛みを感じるぐらい、強く、強く。
 ブトウの亡霊がレギウスの頭の片隅でうろついている。きみにできますか、と悪意のこもった声でささやいている。
 レギウスはうなり声を洩らしてブトウの声を追い払う。
 突然のうなり声にびっくりしたリンが目をしばたたく。
「レギウス?」
「す、すまん。なんでもない」
 リンがおかしそうにクスリと笑う。その仕草がとてもかわいらしかった。レギウスは熱い想いで胸がいっぱいになる。
「……レギウスも服を脱いで」
「お、おう」
 レギウスは着ていた服を急いで脱ぎ捨てた。
 途中で手を休めて、数回、深呼吸。
 下着を脱いで全裸になり──
 なにかがおかしいと感づく。
 異変は、下半身に起きていた。
「……あ、あれ?」