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紅装のドリームスイーパー

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Real Level.2 ──学校


 おれは目を覚ました。
 英語の女性教師がおれの顔を斜め上からのぞきこんでいた。顔が真っ赤だ。怒っているらしい。怒っていても、美人であることに変わりはないが。
 教科書に埋もれていた顔をあげる。ペリリと小気味のいい音がして、教科書の紙面からおれの頬が離れる。
 焦点の定まらないおれの目線が、女性教師の顔から喉、喉から胸へとすべり落ちていく。こんもりと盛りあがったふたつのふくらみに視点を据え、おれはボソリとつぶやいた。
「……おれのほうが胸はデカいな」

 口にしてはいけない失言だった。
 授業が終わったあと、おれは職員室に呼びだされ、たっぷりとお説教をくらった。

 前代未聞のセクハラ発言は、尾ひれをつけてあっという間に校内に広まった。
 かの女性教師を崇拝する一部の男子生徒からは猛反発をくらったものの、圧倒的多数はおれのセクハラ発言を聞いて、腹筋がねじれるほど大笑いした。森もそのひとりだった。おれの面前で臆面(おくめん)もなく笑いやがった、この男は。花鈴は……わからない。憂鬱そうな表情はなかなか晴れなかった。廊下側の席に座る彼女の様子をうかがうと、女友達と話すときの表情もどこか湿りがちのようだ。
 昼休み。
 熾烈(しれつ)な争奪戦の結果、購買部で特大のアンパンと焼きそばパン、ブリックパックの野菜ジュースをゲットして意気揚々と教室に凱旋する。見かけによらずマメなところがある森は、自作の弁当を机の上に広げていた。森の弁当の今日のおかずは、定番中の定番である唐揚げに卵焼き。もちろん、ケチャップを身にまとったタコさんウィンナーも忘れていない。
 森と机をくっつけて、「いただきます」と手を合わせる。
 特大のアンパンをかじる。こしアンの甘みが口中に広がった。どちらかといえば、こしアンよりもつぶアンのほうが好みなのだが、ささいな欲求不満は掌(てのひら)にあまるほどのボリュームでカバーできる。アンパンを半分ほどかじりとったころ、卵焼きを箸でつついていた森がおもむろに口を開いた。
「あれ、どういう意味だよ?」
「あれって?」
「さっきのセクハラ発言だって。おれのほうが胸はデカいって、なんのことだ?」
 説明できるわけがない。夢のなかで女になっていたなんて。さらに、その夢の登場人物というのが巫女装束の戦う少女としゃべる黒ネコである。われながら中二病が悪化した妄想としか思えなかった。森から借りたラノベが影響しているのかもしれない。あれを夜遅くまで読んでいたりしたから、中二病の満艦飾みたいな夢を見たんじゃないだろうか。
 おれが黙りこくっていると、森は勝手に話題をかえてしゃべりまくった。いったいどこから情報を仕入れてくるのか、森は校内のニュースにやたらと精通している。たいていはどうでもいいことばかりで、興味を惹くようなニュースはめったにない。今日もそうだった。
 エースで四番打者でもある野球部の三年生が自宅の階段から落ちて足の指を骨折し、大幅な戦力ダウンで臨まなければならない今年の夏の地区予選は、初戦突破も危うい状況であること。かねてより不穏なウワサが流れていた数学の男性教師が、かつての自分の教え子とついに結婚したらしいこと。そして、森が独自に追跡調査しているランキング上位陣の女子の最近の動静。その調査対象のなかには当然のごとく花鈴も含まれていた。
 その森が顔をしかめていわく、
「……どうも最近、元気がないんだよな、薬袋は」
「やっぱりそう思うか?」
「新城は薬袋と幼稚園からいっしょなんだろ? なんかあったのか、彼女?」
「いや……おれにはわからん」
「おまえが知らないだけじゃねえの?」
 否定できなかった。もしかしたら、花鈴が憂鬱そうに見えるのは菜月とまったく関係なく、友達との人間関係がうまくいっていないだけなのかもしれないし、家庭内のゴタゴタが原因なのかもしれない。あるいは、もっと切実な問題として、男女間の恋愛がからんでいる可能性だってありうる。森の言うとおり、おれが知らないだけ、というのはおおいにありそうだ。幼なじみだからといって、花鈴のことを全部知っているわけじゃない。
 そんなことを考えていると、漠然とした寂しさを覚えた。幼稚園でいっしょになってからかれこれ十年ものあいだ、花鈴とは顔を突きあわせているわけだが、その時間の長さにくらべると彼女について知っていることはあまりにも少ないような気がした。
 むしろ、目の前にいる森のほうがいろいろとよく知っている。森と知りあったのはほんのつい最近──高校生になってからだというのに。
 まあ、おれは男で、花鈴は女だから、幼なじみといってもお互いに遠慮があるのは確かだ。幼稚園から小学校の低学年までは普通にわけへだてなく遊んでいたが、小学校の高学年以降はどんどん会話が減っていく一方だった。おれなりに花鈴とのあいだにはつかず離れずの一定の距離をたもってきたつもりだけれど、心理的なボーダーラインを越えてまで彼女に接近しようと努力したことはほとんどない。
 そうであっても──花鈴のことは気になった。彼女とは明日、菜月のお墓参りに行く約束をしているのだからなおさらだ。
「森」
「あん?」
「……おまえ、悪夢をよく見るか?」
「はあ?」
 森の箸の動きが止まる。銀縁メガネのブリッジを右手の中指でクイッと押しあげ、いぶかしげにおれの顔を見つめる。
「悪夢だって?」
「いや、なんでもない。すまん。ヘンなことを訊いて」
 特大のアンパンを完食し、焼きそばパンにとりかかるおれを、森は目を細めてなおも注視していた。
「新城」
「なんだよ。ヘンなことを訊いて悪かったって言ったじゃねえか」
「胸がデカいのは悪夢なんかじゃないと思うぞ、おれは。ってか、男のあこがれだな」
 こいつに話すんじゃなかった、とおれは激しく後悔した。

 それは想像だにしないような悪戦苦闘の連続だった。
 昼休みに一時休戦していた睡魔の攻撃は、午後になるとより激しさを増して再開された。おれのおでこと机の平面が熱烈なランデヴーを果たす。そのけたたましい衝突音は、教師の声を圧して教室内に重々しく響き渡った。クラスの半分の視線がおれに集中する。まちがいなく、今日のおれは新しい伝説を築きつつあった。
 ようやくすべての授業が終わり、勝ち目のない戦いから解放される。連戦連敗だった。結局、手に取ることのなかったスクールバックのなかのラノベをいま読むべきかどうか、迷っていると、森が声をかけてきた。同じ作者の別のラノベを買うから途中の本屋までつきあってくれ、という。森の後ろについていこうと椅子から腰をあげかけたとき、視野のすみで黒い影が揺れたような気がした。
 ハッとして顔をそちらに向ける。
 花鈴の頭が垂れていた。机に肘を立て、組んだ指に額をのせている。ときどき、頭がカクッと落ちる。
 おれは目を丸くする。花鈴が居眠りしていた。放課後とはいえ、学校で。
 そのまま見ていると、いきなり花鈴が短く悲鳴をあげて顔を起こした。
 その表情──
 まるでこれから屠殺される家畜のような、硬くこわばった顔つきだった。
 教室に残っていた生徒の全員が、花鈴の悲鳴を聞きつけて振り向いた。瞬間、教室のなかがシンと静まり返る。