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紅装のドリームスイーパー

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 花鈴の口が開く。なにか言いさして──言葉はなにも出てこないまま、口を閉じた。
 花鈴と目が合った。彼女の口許がゆがむ。スクールバックをサッと肩にかつぎ、逃げだすように教室を飛びだしていく。
 あっけにとられたままの森に目で「また今度」と伝え、自分のスクールバックをつかむと、おれは花鈴のあとを追った。廊下に出る。左右を見渡した。右の廊下の端、階段室に消えていくプリーツスカートの裾がチラリと見えた。追いかける。
 昇降口で花鈴に追いついた。おれの声を背中に受けて、花鈴が肩越しに振り返る。不安げな面持ち。おれが近寄っても無視して正面に向き直り、下駄箱に手を伸ばす。
「待てよ」
 下駄箱から靴を取りだす花鈴の横顔に向かって、おれは強い口調で、
「なにをそんなにこわがってるんだ?」
「わたしはなにも……」
「いいや、こわがってるね。こわくて夜も眠れねえのか?」
 少し言いすぎた。花鈴が眉を逆立てて、険しい視線を向けてくる。下駄箱から靴が半分飛びでた中途半端な状態のまま、おれと花鈴はその場でしばらくのあいだ、にらみあっていた。
 さきに目をそらしたのは花鈴のほうだった。肩から力を抜いて吐息をつく。
「明日、十時に駅の改札で待ってるから。遅刻しないでね」
「花鈴、菜月のことはおまえのせいじゃ……」
 花鈴がこわい形相でおれをねめつける。「それ以上は口にしないで」と彼女の眼が警告していた。おれは口をつぐむ。喉につっかえた言葉が舌の上で蒸発し、痛みにも似た苦味となって口中に広がった。
 突然、花鈴の身体が前のめりに崩れた。靴が落ちて、コンクリートの床面に転がる。おれはとっさに手を伸ばして、彼女の肩を支えた。
 花鈴があえぐ。おれの腕にしがみついてきた。顔色が真っ青だ。
「おい! どうした!」
「ごめん。ちょっと……めまいがしただけ」
 なにごとか、と近くにいた生徒が首をつっこんでくる。周囲の視線が無遠慮に突き刺さってきた。痴話ゲンカと勘違いしたのか、階段から降りてきた女子の集団が好奇の目でこちらをこっそりとうかがっていた。
 悪態をつきたくなるのをガマンして、おれは花鈴を支えつづけた。花鈴は浅い呼吸を繰り返している。顔色は多少マシになったが、なんだか具合が悪そうだ。
「保健室に行こう」
「わたしは大丈夫……」
「ウソをつけ。ちっとも大丈夫じゃねえよ」
 花鈴が自嘲気味の小さな笑い声を洩らす。抵抗するのをあきらめたようだ。「靴を拾って」とおれに頼む。おれが靴を拾って下駄箱にしまうあいだ、彼女はひとりで立って眉根のあいだを親指の腹でもんでいた。
「行こうぜ」
 と促すと、花鈴は首を縦に振り、おれのあとにおとなしくついてきた。唇を軽くかみしめ、バツが悪そうな顔をしている。彼女のこんな表情を目にするのは、ずいぶんとひさしぶりのような気がした。
「新城君」
 消え入りそうな、低い声。
「うん?」
「ありがとう」
 花鈴が微笑む。けれども、どこかぎこちない微笑。ぶっきらぼうな口調で「ああ」と返事すると、今度は温かみのある笑みが花鈴の満面に広がった。きれいな笑顔──そう表現したくなるような、彼女にふさわしい笑顔だった。
 保健室のドアを開けて、なかに入る。ちょうど保健室の先生が在室していた。優しい笑みを口許に絶やさない、中年の女性の先生。名前は神崎先生──だったと思う。
 おれがなにか言うまえに、花鈴が「貧血を起こしたみたいなので、少し休ませてください」と頭を下げる。貧血じゃないだろ、と思ったが、花鈴の断固とした目の色がおれに異論を許さなかった。
 神崎先生が空いているベッドに花鈴を案内する。花鈴のクラスと氏名を尋ね、体温を測り、彼女の眼の奥をのぞきこむ。
 花鈴がベッドに身を横たえる。そばに突っ立っているおれとベッドのなかの花鈴を交互に見比べて、神崎先生の優しい笑みがとまどい気味のそれに変質した。
「あの……あなたはもういいのよ。薬袋さんには少し休んでもらうから」
「でも、ぼくは……」
 神崎先生はにっこりと微笑んだ。おれに反対意見を言わせない、大人の常套(じょうとう)手段のつくり笑いだ。しかし、ここであっさりと退散するわけにはいかない。
「やっぱりここにいていいですか? ぼくが薬袋さんの様子を見ていますので」
 神崎先生の笑みにヒビが入る。困った、という顔になり、目顔で花鈴に問う。
「わたしはかまいませんから」
「そう。じゃあ、よろしくね」
 神崎先生はパチパチと目をしばたたいた。おれに丸椅子に勧め、ベッドの周りにカーテンを引くと、執務机のまえにいそいそと戻っていく。おれは丸椅子に腰かけて腕を組み、ベッドの横に陣取った。花鈴は毛布を顎の下まで引きあげ、いたずら好きの妖精みたいな目つきでおれを見上げている。
「新城君、きっとデリカシーがないひとだと思われてるわよ」
 と、花鈴。ささやき声で。
「なんでだよ?」
「女性って貧血になりやすいから。たぶん、いまのわたしはそういう時期なんだと先生は思ったんでしょうね。それを察してあげないなんて、この男子生徒はどんだけ鈍いんだろうって、あきれられてるんじゃないかな」
「……言ってることがわからん」
「身近にいる女のひとに訊いてみれば? あ、でも、お母さんはダメだよ」
「じゃあ、花鈴、おまえだ」
「……やっぱりデリカシーのかけらもないよね、新城君って」
「そうだな。おれは気遣いができない男だからな」
「それって自慢してるの?」
「いや、これでも反省してるんだが」
「変わらないわね、そういうところ。昔とちっとも」
「花鈴だって、昔と変わってない……」
 そのさきは続かなかった。いつの間にか、花鈴は目をつぶっていた。すぐに静かな寝息が聞こえてきた。小さな子供のときはいつも目にしていたような気がする、安らかで無防備な、花鈴の寝顔。
 花鈴も寝不足だったのだろうか。夜はロクに眠れていないのかもしれない。
 同じ寝不足でも、原因はおれと違うだろう。たぶん、おれとは違うかたちの悪夢を花鈴も見ている。それも、おれより頻繁に。
 いまは──こうして見守っていると、なにも苦しんでいないように思えた。スヤスヤと眠っている。
 苦しみ。そう、花鈴はずっと苦しんでいるのだろう。
 菜月が死んだのは自分のせいだと思いこんで。
 二年前のあの日、国道沿いに開店したばかりの新古書店に行ってみようよ、と提案したのは花鈴だった。家からは遠回りになるので菜月は渋っていたが、それを強引に引っ張っていったのも花鈴だ。
 あのとき、わたしがあんなことを言いださなければ──
 菜月のお葬式のとき、花鈴は泣きながらおれに心のうちを打ち明けた。
 菜月は死なずに済んだかもしれない、と。
 その不定形な罪悪感を花鈴はいまでも引きずっている。それは違う、と何回否定しても、花鈴はますます意固地になるばかりだった。
 だから、いまの花鈴は──
「……昔と変わってないって言いたいけど、花鈴はあれから臆病になったよ。それに、昔はもっと笑ってた気がする。おれのことをチビってよくバカにしてたよな」