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紅装のドリームスイーパー

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Dream Level.2 ──瞬夢


 そして、あたしは目を開けた。

 ……あれ? あたし?

 まばたきする。なんとも表現のしようがない違和感がつきまとう。
 小ぢんまりとした公園の真ん中にあたしは突っ立っていた。
 錆びついたブランコ、ペンキのはげたカラフルなジャングルジム、長い鼻を伸ばしたゾウのかたちのすべり台。
 風はそよとも吹かない。見上げた空は濃淡のない灰色一色で妙に奥行きがなく、まるでひらべったい天井がそこにあるようにも見えた。太陽は空のどこにもなかった。光源のはっきりとしない白濁した光が、周囲の空間を均一に満たしている。光と同じように、影も輪郭を失っていた。
 誰もいない。黒っぽいベンチには誰かが置き忘れていったのか、中身が半分残ったペットボトルが横倒しになって転がっている。
 あたしは自分を見下ろす。
 グレイのブレザーに白いブラウス、深紅のリボン、ブレザーと同じグレイのプリーツスカートという、学校の制服とおぼしき服を着ている。ブラウスの胸は下からの圧力で高く盛りあがっていた。その圧倒的なボリューム感の意味するところが心の奥底に浸透するまで、数秒の時間が必要だった。
「……な?」
 絶句した。
 やっと気がついたのだ。

 自分は女になっている、ということに。

 手を伸ばして、おそるおそる自分の胸に触れる。右手の人差し指でそっとつついてみた。ほどよい弾力が指先に伝わってくる。
 ホンモノだ、これは。
 あたしは驚愕の叫び声をあげた。もちろん、女の声で。
 その声を聞きつけたのか──
 のっぺりとした灰色の空から黒いかたまりがいくつもボタボタと落ちてきた。
 まるでできそこないのコールタールのように音もなく地面や遊具にピタリとはりつき、のそのそと動きだす。
 あたしは目を見張る。
 緩慢な動作で起きあがったそれは、ひとのかたちをした黒い影。
 あるいは、全身が真っ黒な人形。
 顔の造作はなく、頭部は単純な球形だった。四肢は先端まで太さが変わらない丸い棒で、円筒形の胴体の側面と下面に球形の関節でつながっていた。黒い表面に油膜みたいないくつもの色彩が揺らめいている。それが全部で十体近く、あたかも粘土を使ったクレイアニメーションのようにうごめいている。
 あたしはあとずさった。逃げようと思って周りを見回していると、突然、視野の外から白と朱色の影が飛びこんできた。
 少女だ。巫女装束の。
 白衣が軽やかに宙を舞う。鮮やかな朱色の緋袴(ひばかま)がひらりとひるがえった。
 少女が優雅な身のこなしで、真っ赤に錆びついたジャングルジムのてっぺんに降り立つ。
 見目の美しい少女だった。
 腰まで届く豊かな黒髪を真っ赤な組紐(くみひも)でひとつの束に結わえている。
 闇の色をした瞳。白く透きとおった肌。紅く色づいた唇。
 さながら芸術家が丹精こめて仕上げた彫刻のようにすっきりと整った面立ちのなかで、筆で描いたみたいな先細りの眉が絶妙なアクセントを加えていた。ほっそりとした肢体を包みこむ紅白の巫女の装束がよく似合っている。
 少女が右手を前方に突きだした。
「装夢──破夢弓(はむゆみ)」
 次の瞬間、少女の右手のなかに小振りな弓が出現する。左手で弦(つる)を引きしぼる。少女の指先に白く輝く光の矢が現れて、弓につがえられた。
 影が動きだす。最初はのっそりと。途中からいきなり動きが加速して、安っぽいオモチャみたいなその姿からは想像もできないスピードで疾走した。四方から少女に襲いかかる。
「破(ハ)!」
 少女が矢を放つ。矢が三つに分かれた。三体の影を同時につらぬく。影が蒸発した。
 先頭を走る二体の影が左右から少女にせまる。
 少女は落ち着いていた。顔色ひとつ変えることなく、つぶやくように唱える。
「装夢──斬夢刀(ざんむとう)」
 弓矢がかたちを変え、たちどころに抜き身の日本刀へと変化する。
「斬(ザン)!」
 下段にかまえた剣を横になぎ払った。左から飛びかかってきた影を断ち割る。右に身体を開き、空中にいた影を下から上へと斜めに斬りあげる。一瞬にして影が消える。
 あたしはあっけにとられて、少女と影たちの闘いを傍観していた。
 少女は圧倒的な強さを見せつけて影たちをほふっていく。
 彼女の流れるような挙措(きょそ)は、まるで神楽(かぐら)を舞っているかのように見えた。
 あと少しで決着がつく、と思ったそのとき──
 だしぬけに影の一体があたしに向き直った。
 少女にはかなわないと判断したのかもしれない。それとも、単なる気まぐれなのか。
 影があたしに向かって突進してくる。猛スピードで。
 あたしは全身を硬直させて、急速にせまりくる影を凝視していた。
 やられる!
 無意識のうちに右腕で顔をかばい──
「断(ダン)!」
 少女の鋭い声が飛ぶ。
 あたしは目を丸くする。
 影が真ん中から音もなく左右に分かれていく。
 いつの間にか影の背後に忍び寄っていた少女の剣が、一刀のもとに影を両断していた。
 少女が吐息をつく。サッと手を振ると、剣が小さな光の粒を散らして虚空に溶けていく。
 少女は口許にニヒルな苦笑を浮かべて、
「またつまらないものを斬ってしまいました……」
 あたしは言葉を失う。どう反応していいのか、わからない。
 巫女装束の少女は一転して表情を変え、にっこりと微笑んだ。
「おケガはありませんか?」
「……と、とりあえず平気」
「そうですか。それはなによりです」
「あの……ちょっと訊きたいことが……」
「フム。どうやらきみも夢見人(ゆめみびと)のようだな」
「!」
 不意に背後から聞こえてきた壮年の男の低い声に、あたしはその場で飛びあがる。
 あわてて後ろを振り向いた。誰もいない。いや……正確にいうと、人間はいなかった。その代わり、痩せこけた黒ネコがベンチに尻を下ろし、金色の眼であたしを見上げていた。
「き、気のせいかな……。いま、男のひとの声が聞こえたような気がするけど?」
「それは私だ」
 しゃべった。黒ネコが。威厳を感じさせる、深い男の声で。
「……は?」
「こんなゴーストシェルにいるところを見ると、きみも夢見人らしい、と言ったんだ」
 黒猫が平坦な口調で繰り返す。縦長の瞳孔をキュッと細め、あたしの背後にいる巫女装束の少女に頭を向けて、
「葵(あおい)、きみには味方が必要だ。さきほどは撃退できたが、夢魔は次第に攻勢を強めてる。きみひとりで夢魔と戦うのはムリだ。どうかね、彼女を仲間にしてみては?」
 葵と呼ばれた少女が目をパチクリさせる。とうとつな提案にとまどっているようだ。とまどっているのは、あたしも同様だった。さっぱりハナシがわかんない。
 あたしが夢見人だって? なによ、それ? だいたい、なんでネコが偉そうにしゃべってんの? あ、これってもしかしたら……。
「……そうか。あたしはいま、夢を見てるんだ。うん、まちがいない。これは夢なんだ」
「まあ、これが夢であるのは否定しないがね」
 黒ネコはあいかわらず淡々とした口振りで、
「きみがいまいるのはゴーストシェルと呼ばれる、消滅しかけた夢の領域だ。普通の夢じゃない。きみみたいな夢見人でないとダイブできない場所だ」
「夢よ、夢。あたしは夢を見てる……」