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冬日三重奏

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男は独り言をしゃべりながら、女をなぶり続けようとした。しかし、男は興奮を抑えきれず、先を急ぐように挿入した。
「いいんやろ、したいんやろ」
男の言葉が宙に響く。どうぞ勝手に好きなことを言ってください、してくださいと心の中でつぶやいた。
力づくで押し込んでくる。女の奥深くが絡みつく。きゅ、きゅ、と収縮して、男の動きにこたえる。女は男から罰を受けるかのように、出し入れを繰り返す男の動きに耐えた。夫ともそうだったから感慨はない。
男の動きを体がうけとめる一方、女は頭がさえていく。バルコニーの対岸に視線を泳がせる。落日を告げる灯りがともる。その間に深い闇が生まれている。鴨川はこの九条のあたりでは何もないかのようだ。

重奏低音
ひとり、対岸を眺めていると、かつての日常性を思い出す。今の暮らしは、日常性とは対極にある。どうして、こんなに性欲が刺激されるのだろうかと考えてみる。この境遇自体が非日常性であり、性的刺激にあふれている。日常性は、性欲を抑え込む仕組みなのだろうか、それなら、納得がいく。家庭とは性欲を隠蔽している構造なのだ。性愛は内在化する。
非日常性にひたり、頭の中のこれまで使ってこなかったところに、血流が生まれ、性欲を中心に世界が構成されるようになっていく。
今や、囚われの身、である。夫婦といっても、どこかそういうところがあるのではないかと思う。それは、自立を奪われたという点では同じであろう、隠されているか明示的か、の違いである。
夫婦でも暴力はあるのだろうが、この男の暴力はちょっと違う。男はやさしい一面、女が議論を主導するようなことは許さない気性というか独特の世界観があり、とうてい承服できなかった。抑え込まれるという苦しみ、顔をゆがめるような痛みが重なって、それから解放されるという瞬間は、この上ない歓喜が伴う。この二律背反を高い次元で解決する、心の作業が求められた。
大男でセックスはパワフルだった。セックスの相性はとても良いのだが、妻子持ちと暴力を振るうことが難点である。言い争うと、すぐに殴られる。なにか否定的なことばを使うと殴られる。すぐ殴るのには、閉口した。けっこう、からだにこたえる。この男は口べたのだと、自分に言い聞かせて、暴力の嵐が過ぎ去るのを待つ。
会話はほとんどない。話題がないわけではないが、激しく交わる。この部屋には、主人がいて奴隷がいるのだった。罰が与えられる、そのあとすぐに、褒賞が与えられる。その繰り返しだった。
いたぶられる、命令される。従わせられる。そのあと、深い満足が手に入る。これはなんなんだろう。まだよくわからないまま、セックスを繰り返している。もう少しでわかりそうだが、これまでなら、考えもしなかったことを、あれこれと分析している自分に驚かされる。分析してみると、夫が懐かしくさえ思うようになってくる。
夫は、直接的な暴力行為はなかったが、言葉による陰湿な暴力が繰り返された。忍従すればよいと思ったけれど、外向きと家庭内との落差に対する抵抗心は爆発寸前だった。
家出したとき、キャッシュカードと健康保険証は忘れなかった。下着もなにもかも部屋に置いたままで出てきたから、夫がタンスの引き出しをあけてチェックするのは嫌だったが、そういうことへのこだわりを捨てるのが家出だと、割り切ったものだ。
夫は不思議なことに、自分の口座に毎月入金するのだった。ありがたいから使わせてもらうことにした。返せとは言わないだろうから。このお金は貴重である。牢獄の主に対する独立心を確保することができる。きっと何か、世間体があってそうしているに違いない、愛情とかではない、そう言い聞かせた。
終わった後、男は汗まみれの体を撫でる、絡み合った後の余韻の中心を触れる、髪をすく。その一つ一つが、過去、現在、未来をつないでいく、誰のものでもない自分だけの。

スイングしなければ
「ごちそう、食べにいこか」
と言われて、懐石料理かフレンチかと想像したら、近所の焼肉屋だった。
「ベジタリアンやっていうけど、それは思い込みやで」
 思い込みと決めつられて、女はムカッとした。夫の暴虐には耐えている自分の正当性に根拠をみいだして、気持ちの上での優位を保った。そうして自我の崩壊を免れた。この男は、女がべジタリアンだと、それに強いこだわりがるのを、わかっていて言うから、抵抗せざるを得ない。
男は女に言ってのける。
「においがないのは気に入ってるけどなあ」
女がベジタリアンだから、体臭がほとんどないというのだ。夫には言われなかったこと
だ。男は面白いようにひたすら肉を食べる。野菜も並べられるがほとんど手を出さない。仕方がないから
「辛いもの、食べたい」
「そうやな、キムチの辛いやつ」
店のおばちゃんに大声を出した。韓国料理と言うか朝鮮料理は、とりあえず辛い。唐辛子をたっぷりと使っている。辛いのを口に入れてみる。
「うーうー」
とうなる。
体がうずくような辛さだ。この辛さはよい。朝鮮料理が好きになる。
「食わず嫌いやったなあ」
男が嫌味たっぷりに言う。
「エンドルフィンが出るからな」
とか教えられる。その意味はどうかと聞かなかった。
たしかに、身体が浮き上がるように思える。辛いのに抵抗がなくなると、痛いことになじまされる思いだ。痛さもエンドルフィンが出るのだと、男は言う。

エロビデオをふたりで見て、勉強した。
「感じてないな、女は嫌がってるんや」
と画面を見ながら、解説する。
「本気になってんのは、少ないな」
「わかるの」
「手が男の動きを止めようとしているやろ」
「痛いのかな」
女は画面の女性に同情した。
「足がな、男の腰に絡みついてくるとか、声を押し殺してるようなのはほんまやな」
「ふーん」
「洋物には、ないけどな、欧米人の方がプロなんかな」
 そして、男は、女が激しく腰を振るようにするのが好みだった。西洋の娼婦は、スポーツのように腰を振るのだった。いつもながら、ビデオ鑑賞というか、ビデオによる学習である。そして、女とのセックスも再現される。勉強熱心なのには感心するほかない。
画像や動画が部屋のパソコンに保存されていく。画像や動画を見ながら、学習する男につきあわされて、女は見る、見られる、と言う行為の深さを学んだ。これは性愛の疎外形態か。

「テレビの音が聞こえるのよ」
「そんなことはないやろう、いちおう、分譲やから」
「聞こえるのよ」
「ふーん、上の音はスラブが響くと下にくるやろうけど、隣の部屋はするはずがないけどな」
「上もするし、隣も聞こえてくる」
「静かな時は仕方ないな、廊下をハイヒールでコツコツと歩くと苦情が来るらしいからな」「その女のひとは誰なの」
「違うって、そういうことがあるらしいと聞いたからや」
男は賃貸マンションを経営している。そういう事情には詳しいのかもしれない。
「ベッドを揺るがす音、聞こえてるかも、知れないわね」
と、女は笑った。
そういえば、ま下の部屋の20歳そこそこの若い男性が、エレベーターであった時、なぜかあいさつしてきて、ねぶるような目で見つめてきたことを思い出す。あの男性は、ベッドのきしむ音で二人のセックスを想像しているに違いない。
作品名:冬日三重奏 作家名:広小路博