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冬日三重奏

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冬日三重奏
高瀬川と鴨川と
女はひとりになると、ワンルームマンションのバルコニー越しに鴨川を眺めるのが習慣となっていた。鴨川の川幅は広く、対岸がまったく気にならない。人気の感じられない工場が多いせいかもしれない。このマンションが立地する鴨川右岸は、京都では下町、町工場やアパートが多く、雑然としていて気取りがないのを、女は気に入っている。物価も安いし京都駅への足回りも良いのに、人気がないのが分からない。そして大切なことだが、住み始めたよそ者にはとても人なつこい町なのだ。部屋はいかにも狭いけれど、鴨川に面していて明るく東向きなのが心地よい。
五条や四条あたりの鴨川右岸からの眺めは、屋並の尽きるところから東山のスカイラインが続いて、日本画を鑑賞する風情がある。二条通の「一の舟入」から緩やかな勾配で、南へ流れる高瀬川はもとはと言えば運河、京都一番の界隈を貫流して価値ある景観を形成している。
しかし、高瀬川は七条を越えると、ここではどこの町にでもある用水路のようで、自己主張するでもなく目立つことなく流れている。小さな家が寄り添い、生活感がいっぱいにあふれている。女はこの町も京都であって、そういう下町での肩触れ合うような暮らしが好きになってきた。広島で夫と住んでいた寺はお屋敷町にあり、どこか構えた暮らしだったように、今は思う。
堤にある広葉樹は、昨年は紅葉が遅くて、冬もみじを楽しめた。京都に住んで気がついたことだが、町中の神社仏閣などの名所に限って言えば、モミジは11月末から12月にかけてが、見ごろだろう。
木もれ陽は、晩秋の光の穏やかさを教えているようにも、来る冬の厳しさを予告しているようにも思える。散る枯れ葉は時の経過を告げているようでもあり、過去の忘却をせまっているようでもある。女は木もれ陽を仰ぎながら、ふと、五輪真弓の歌を思い起こした。歌は心象風景を切り取って生まれることがあるというけれど、この歌を聴き、受け取った者の方の心にも、どこか切り取られたところがあって、それにぴったり嵌まるようなことが起こる、その化学反応の瞬間みたいな体験を、冬の木洩れ陽で味わっていた。
朱い夏があって、白い秋が過ぎて、玄い冬が来る。女はなぜか三重奏を聴いているようにも思えた。

広島の嫁ぎ先から着の身着のままで、女は不意に家を出て、あてもなく京都に着いた。とにかく家賃が安いところを探そうとしたが、簡単なことではなかった。勤め先がないとテレビの広告に出ているような不動産屋には、門前払いされる、町の不動産屋を訪ねれば、何とか探そうとはしてくれたが、それでも、保証人がないと、と言われた。女は、世間知らずなことに自分ながらあきれてしまった。
困っているのがわかって、あの男が、売れるまで住めばよいとマンションの鍵をくれたのだった。住むところを見つけるということがいかに安心感をもたらすか、痛感した。世間の貧困問題が頭をかすめてきて、宗派の若手たちとの勉強会がいまさらながら身につまされる。家族ではなく、不動産としての家は別物であることに気が付いた。女のその発見を、あの男は笑っているに違いない。男は、住むところを用意すれば、人手を確保することができる、とくに水商売に勤めようとする家出女をうまく採用することができるのだと陽気に説明していた。女は男の自慢話を聞きながら、肯定するでもなく否定するでもない中途半端な自分が嫌になるのだった。新聞やテレビでしか話題にならないことが、今実話として展開されていることに驚かされた。家庭内暴力から逃げてきた親子連れが、住民票も移せないで、祇園で懸命に働くというためには、何はなくとも仮の宿が必要なのである。男は世の中の隅の方のことに詳しそうで頼りになる。女にとっては知らないことばかりである。
女は広島を出ると本山のある京都に向かった。旅行客でいっぱいの京都駅で時間をつぶした。晴れ晴れとした人がいて、疲れた表情の人がいる。ここは公共空間なのだ。人の視線を気にすることはなく、無遠慮に人の動きを眺めていても、注意されることはない。この空間は密度の濃い人間関係を必要とされず、未経験の解放感を味わった。家出娘の心境はこうだろうかと推しはかる。家出でなければ、公共空間に抱くこのような解放感は生まれなかったに違いない。
極端に裏表のある義理の母に耐えかねて、暴言癖のある亭主から逃げ出してきた境遇をたどってみると、この家出を正当化できるはずだ。
「一の舟入」に保存されている「高瀬舟」は船底が水平になっていて喫水が浅く、運河である高瀬川の航行に工夫されたものらしい。女は自分の境遇を、高瀬川と高瀬舟そのものに重ねてみた。重ねた理由はわからなかったが。
夕方近く、一の舟入から高瀬川に沿って散策し、木屋町近くのジャズバーに入った。学生時代からのあこがれの店だった。そこで、ジャズが好きな金持ちと仲良くなって盛り上がった。この夜のような自由はもう手放せない。自分はラッキーかもしれない、ジャズが好きな金持ちが、かまってくれる、ありがたい人間に出会うことができたから。「会う遭い難し、と教義にもあるではないか」と自問自答した。

鉄製のベッド
男はすぐに、部屋の半分以上を占める大きなベッドを運び入れた。まるで囚人用のような鉄製のシンプルなものだった。いつか絵画で見た修道院か寄宿舎にあるようなベッドである。
家具も何もない、飾り気のない部屋であったが、ベッドが立体感を、東向きのバルコニーが開放感を生み出し、狭さを忘れさせた。夫の家は、浄土真宗の寺で広く、部屋数も多く家具もいろいろあったから、この狭さは容易に受け入れがたかった。高瀬船に乗るためなら仕方ないかとつぶやいた。まるで謡曲の世界、行方知らず、ではある。
女は、監獄とはこうではないかと想像しはじめ、よくわからないまま、その囚人の暮らしがどんなものかをあれこれ考えてみた。牢獄とは、つまり自分が囚人になることだ。囚人には、厳しい戒律があるはずだということに思い当たった。この想像は女につきない興味を、新世界への探検心を湧き上がらせた。女は新たな境遇をすすんで受け入れることにした。孤独には、探検心、冒険心がもっともふさわしい。
「ベッドを置いたら、部屋が変わるな、言葉がいらんな、すぐやりたくなる、そんな雰囲気があるよなあ」
女は目で笑って、肯いた。男は大きなベッドのあるこの部屋をとても気に入っていた。やるためだけにこの部屋があり、女がいる。この状況設定が気に入っているのだった。女が一人、この部屋にいる、やるためだけにいる、そう思うだけで、男はひどく興奮してくるらしい。女は自分という存在に価値があってこそだと、男の興奮ぶりを理屈づけた。
男はベッドに腰を掛けると、女を抱き寄せた。女は背を向けて身をかがめる。男は後ろから抱きあげるようにして、顔を寄せていく。
「あ、あ」
女が吐息をつく。女の唇や首筋、肩から胸元へ、手で撫で、唇をこするようにしてなめまわした。女の若さをたしかめるように、ていねいに扱った。一回りは年の差があるのだろう。女の吐息を合図に、剥くようにして女をま裸にすると、ベッドに押し倒して、覆いかぶさった。
「ベッドはええ、すぐやれる、女郎部屋やな」
作品名:冬日三重奏 作家名:広小路博