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海野ごはん
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novelistID. 29750
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’50sブルース 延暦寺の階段、大原の桜

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白い霧が道路を塞ぐ。時折モヤの中から現れるピンク色の桜ともみじの新緑がなければ、霧に包まれた無彩色の殺風景な風景しかなかっただろう。フロントガラスに色が現れる度、美佳子は「綺麗!」と言った。
4月の中旬にもなると、下界では桜はお仕舞いだが、さすがにここまで登って来ると、ちょうど見頃といった感じで遅くなった花見鑑賞にはよかった。
霧の中から雨がだんだん強くなる。
延暦寺に着く頃は傘が無いと車の外には出れないほどだった。
美佳子は寒いと言って、予め用意していたコートを羽織った。
達郎が初めて来た延暦寺は白い霧の中に荘厳に佇み、まっすぐ大きな杉の大木の間を雲が流れ、悠久の時間をかけて作られたこの寺を一層、神秘的に見せていた。
「たっちゃんは寒くないの?」
「寒いけど平気だ。暑さ寒さはへっちゃらなんだ」
そんなに長い付き合いじゃないから美佳子は達郎の言葉を記憶のページにメモしてゆく。
「寒いの平気だなんていいね。私、暑いのも苦手だ」
「寒さも暑さも同じ。自分で思い込めばいいんだよ。平気、平気って」
美佳子はまたページに達郎の言ったことを書き足した。

二人でそれぞれの傘をさして境内に入ると、外人客が多くいた。
最近はどこに行っても外人だらけだ。観光国ニッポンと政府が声を上げ頑張ってるらしい。
しかし、日本情緒あふれる中に何語か聞いたことのないような言葉が溢れかえると、国際化というが、日本人が日本を感じる唯一の場所が減ってきてるような気もする。
香の香りが霧のように流れてくる。
低音の懐かしいような聞き慣れた鐘の音が響く。
そして傘には雨の音。
美佳子は昔の彼氏とここに来たことを思い出した。達郎には言ってない。まさか達郎がここに来ようだなんて言うとは思わなかった。あちこちに昔の彼氏の思い出が埋まっている。
やはりここは美佳子の地元。遠距離恋愛の達郎が知らないのは当たり前だが、私には少し苦味が残る場所だと美佳子が感じたのは達郎に悪いと思ったからであろう。

ゆうに100年は過ぎている杉の巨木が二人を囲み、数百年という年月を経た堂が建ち並ぶ。
達郎は石の階段を透明傘をさして美佳子の前を登っている。
「たっちゃん・・・」美佳子は写真を撮ろうと呼んだが聞こえなかったのだろう、石段を数えるように下を向いて登っていた達郎は、どことなく哀愁を漂わせていた。
美佳子はその後ろ姿の達郎をカメラに収めると、デジタル画面にすぐに写しだしてみた。
白いモヤの中を歩く中年男、彼はここ数年付き合って、滴り落ちる数滴の水がいつの間にか岩に窪みを作り、割れ目を作り、私という岩を簡単に崩してしまったように私の心に滲み込んでいる。
その男が肩を落として歩く姿がなんとなく淋しそうだが愛おしい。

この地元で色々な男性に会い惹かれたのに、今は、全然知らない土地からやって来たこの男に惹かれている。
いつからだろう?
本当に彼は私の中に自然と滲み込んできたのだ。
美佳子はその画面の中の男を消すと「たっちゃん、待って!」と先程より大きな声で呼びかけた。霧の延暦寺は静かで美佳子の声は水を含んだモヤに吸い込まれたようだった。
静寂の中、いつの間にか観光客はいなくなり、広い堂内には二人だけがいた。
雨の音が規則的に響く。そして、鐘の音。
美佳子はこれも彼との記憶のページに書き残した。