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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

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 自分自身の自然な感覚は、否定されるものであると。過去の記憶が、彼にそう学習させていた。――けれども、自身の確かな感覚を、完全に否定することなどできるだろうか。キレスは、否定されるものこそが自分自身の本質なのだと、自嘲気味に受け止めていたのだ。
 しかし、今は違う。自身の感覚を嘲ることなく、素直に受け入れられるような気がする。だからこそ、今この力を自由に、誰に咎められることなく使い、そうした自身の力を心から認めてやりたいのだった。
 しかし状況がそれを許さない。そうして仕方なく、じっと耐え、じわじわと力を注ぎながらこの結界を保つ。この力の用い方は、自身の望むものとまるで逆だ。消耗するのも道理だった。
 キレスは長く垂れた黒髪の隙間から、ちらと彼の兄弟を見た。ケオルはさきほどからずっと押し黙ったまま、解決策を探っているようだった。が、うまくいってはなさそうだ、とキレスは思った。焦りの色は濃く、その瞳は、深く思考をめぐらすときの落ち着いた色と違い、緊張のために開かれている。――思考に集中できていないのだろう。おそらく、北の知神の言葉のために。
 キレスはふうっと息を吐く。集中できていたとして、この状況を打破する策など本当にあるだろうか。
 文字術によって条件付けされ、閉じられた空間。北神三人によって形が定められたこの空間は、北神のうち最低でも一人を倒さなければ、崩れることがないという。しかし空間に付与された条件によって、四属の精霊はケオルの呼びかけには応じない。知神の得意とする言葉による威圧も、相手が同じ知神となればまったく意味を成さない。彼の攻撃は完全に封じられているといってよい。そしてまた、残るキレスの力も、この空間を構成する文字に触れるだけで無効化されてしまう。
 彼らは箱の内側にあり、敵は箱の外側にある。敵を倒さなければ箱は開けないのに、箱の内側から外側へと力を届ける方法がない。
 これでは一体どうやって敵を倒すことができるだろう。
(くっそ……無理だろそんな……触れずになんて)
 キレスが作り出しているこの結界のように、文字の壁に触れていなければ問題はないのだ。箱自体に触れずに、向こう側に力が届けば。そんな都合のいいことができるなら……
(触れずに……――、待てよ)
 キレスははっとした。
 触れずに向こうに。それだけならば、できるのではないか……?
 今まで敵を倒すのだと、そのため自身のあの力を攻撃的に用いることばかり考えていた。けれど――敵を倒さずともこの場から出られればよいはずだ。自分は、そのすべを持っているのではないか……?
「……できるかも」
 キレスの声を拾い、ケオルが顔を上げた。
「箱から出るのに、箱を開けなきゃいけない? そんなことねえだろ」
 そう言って、キレスはにやと笑う。なぜ今まで気付けなかったのだろう、簡単なことじゃないか。
 しかし、ケオルは訝しげに問う。
「開けずに出るって、……どういうことだよ。壊すのか? 触れずに?」
「壊すなんて言ってないだろ! 出るんだよ」
「……壊すこともなく、開ける事もせずに、閉じた箱から出る方法がある、と?」
「そうだよ」僅かに苛立ちを覚えながら、しかし確信づいた様子で、キレスは答える。「俺を部屋に閉じ込めて、鍵をかけたら、そこから出られないと思うか?」
「……」
 言われて、ケオルは一度言葉を噤む。このとき、キレスが瞬間移動をしようとしているのだと彼は気付いた。が、疑念が解けたわけではなかったらしく、さらに食い下がった。
「キレス、確かにお前の術を使えば、鍵のかかった部屋から出るのは容易だろう、それは俺の文字術を用いてもできることだ。
 ……けどな、もう一度よく考えろ。状況はそれと同じじゃないんだ。戻るべき場と、今居るこの場は、ひとつの繋がった空間じゃない、別の空間なんだ。そう定義されているんだ。分かるか? 同じようには――」
「……お前さあ……」キレスはうんざりしたように答える。「何が言いたいのかぜんぜん分かんねえよ。別の空間とか、関係ないじゃん? どうせまた別の空間に移るわけだし」
「……『別の空間に……移る』?」
 そのとき初めてケオルは、キレスが話していることが、自身の理解の追いつかない話であると気付いたらしい。「知る者」である知神としてのプライドか、慎重さを促す態度は一転、食いつかんばかりにたずねてきた。
「どういうことなんだキレス。もう少し、詳しく、説明してくれ」
 その真剣な様子に気圧され、キレスは、そんな面倒なことはしたくないししてる場合でもない、と断る言葉を飲み込んだ。
 キレスの言うことはこうだ。――月属の力の由来である「異界」は、常にこの世界の裏側にある。またそれは全てのものに同時に存在している。だから、キレスが作り出したこの空間も、この場所の一点から「裏側」にせり出すような形で作られたものなのだと。繋がる一点から空気を入れ、別の空間に風船を膨らませたようなものなのだと。
 瞬間移動の術もまた、そうした方法で成されている。つまり、「裏側」へ同じように空間を開き、そこへ移った後、繋ぎとなる部分を閉じる。そうすると、裏側は表側の時間の流れも距離の隔たりも無関係なので、彼が元の……表側の、望む場所を定めさえすれば、そこに新たに繋げられ、「直後に」現れ出ることができるのだ、と。
「だから、『異界』を挟むだけだし、あの文字の壁に触れる心配もないだろ」
「……『裏側』――そんな、概念が……」
 ケオルが、言葉をかみ締めるように、つぶやく。まだはっきりとは理解できないといった様子だ。
 それが仕方がないことなのだということくらい、今のキレスには分かる。彼には、いや、ほとんどのものには、そうしたものが感覚的に捉えられないのだ。
「まあ、見てなよ……」
 キレスはぐっと意識を集中させた。
 新しい空間を新たに開くのは、体力的にも負担になる。どうせならこの、ただ一点で繋がっている空間そのものを、引き離してしまったほうが楽だ。
 空間を閉じ、引き離す――意識が束となり、上部にある空間のつなぎ目へと向かう。
 ――そのとき、突如として、キレスのすぐ耳元で何かが激しく打ち鳴らされるような音がした。
「う、あっ!?」
 意識が散る。キレスは思わず声を上げ、耳を塞いだ。
「大丈夫か?」
 その様子に、ケオルが心配そうに顔を覗き込む。
「今の音、なに……」
「音?」
 ケオルには聞こえなかったのか。キレスは呼吸を整え、もう一度意識を集中させる。
 すると、やはり、耳元で何かが鳴り響くような音。
 集中しようとすればするほど、ぐあん、ぐあんと、脳内を駆け巡るように、何度も――止むことを知らず、その音は響き続ける。低いような高いような、何かの音、それは女の声なのか、耳元で、普通の何倍もの音を立てている。まるで、耳の中に住んでいるのではないかと思われるほど。
「……んだよ、これっ……!」
 ひどく不快な響きだった。意味の分からない言葉のような連なりが止むことなしに流れ続け、それはついに、ねばねばとした感触に代わり、耳に覆いかぶさると、そこから侵入しようとする。
「う、ああああ!」