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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

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下・かけら・4、開かれし門



 冷気が肌を刺す。息が白く吐き出される。
 地下の道を静かに照らす両脇の灯は、道を覆う白い霧の中にきらきらと氷の粒を瞬かせる。
 北の技神ネイトが黄金の弓を手にその場へと駆けつけたとき、水神デヌタはひとり霧の奥をじっと捉えていた。
 水属――癒しの力を本質とする彼らの、しかし長である「水神セテト・ケネムウ」は、それとは正反対とも言える攻撃的な力を備えている。熱を奪う力――この世に王として君臨する太陽神の、熱のエネルギーの影響の大きい中、彼だけが、この世界に氷を具現することができる。水神デヌタがそうした力を用いるのを、ネイトはこれまでに見たことがなかった。だからこそ、この力を捉えた彼女は、ただことではないと――敵と対峙しているに違いないと、考えたのだった。
 次第に霧が晴れる。その奥に立つ敵の姿に、ネイトは目を凝らす。
 薄暗い地下にあってなおくっきりと浮かぶ、双眸を彩る鮮やかな紅――火属の長「炎神マヘス・ペテハ」である。
 その右腕に、脇腹にも紅をみとめ、ネイトは一瞬デヌタの力が敵を圧したのだと思った。が、しかし、すぐにそれが間違いであると気付く。
 砂をえぐるようにして肉を食む傷痕。それはあの、月神の恐ろしい力によるものに違いなかった。それ以外の傷は見当たらず、またその傷がふさがれていない様子から、それができて間もない傷だと分かる。
 この男は明らかに月と接触している。だが奇妙だ。仲間割れでもしているのだろうか。
 ネイトは注意深くあたりを見回す。周囲に月の姿は見えない。どこかへ隠しているのか……? 神経を研ぎ澄まし、気配を捉えようとする。……しかし彼女には、目の前の敵以外に何かを捉えることはできなかった。
「デヌタ様、月は――」
 敵に気付かれぬようささやいたネイトの声は、しかしデヌタの「力」によってかき消された。
 デヌタ自身から放たれた力、それは氷の粒を交えて噴出する冷気。その勢いに圧されるように地から身をはがされたネイトは、軽い身のこなしで体勢を整え着地する。
 冷気の塊は勢いをもって吐き出されると、うねるように敵へと向かった。渦を巻き、巻き込むように敵に覆いかぶさろうとするそれは、しかしその瞬間、しゅうう、と音を立てて白く気化し始める。さきほどこの場を占めていた霧も、こうして生じていたのだろう。
 デヌタはしかし冷気を生み出すことを止めなかった。それどころか、冷気に紛れる氷の粒は次第に形を大きくし、腕ほどの、次いで腿ほどの厚みをもつと、それは壁や天地に衝突し、柱など激しい音を立てそれらを崩し去る。
 その力は後方に退避するネイトにさえ及んだ。身を守るすべの乏しいネイトは、さらにそこから身を引かざるを得ない。
「デヌタ様……!」
 氷塊を避けながら、ネイトは戸惑うように声を上げた。
 四大神の一人、水属の長たる彼のその力――他の属性の長に劣らず大きなその力は、彼には――少なくとも、ネイトや多くの北神らが知る彼には、まるで不似合いな力であるように思われた。デヌタという男は、常に北の主神、生命神を補い、助ける存在であった。主の命を伝え、下位の神々を指示し動かす立場にあった。彼の力は主に治癒に用いられ、また彼の関心は常に広く、北の神々の身体の、時には精神の状態にも払われた。彼の名は敬意をもって唱えられ、同じ側近のプタハが主の威をその力の脅威に変えて示すのに対し、デヌタは、その治癒の力をもって第一に生命神を補う存在であった。
 その彼が――生命神の側近として、今は神々を率い全力を挙げて月を探し出さねばならぬはずの彼、そうした立場を常にわきまえ主神を支え続けてきた彼が、しかしいつもの様子とまるで違う。
 敵を討つことはなるほど必要であるだろう、しかしこのように闇雲に攻撃的な力を――間近にある同胞への影響も省みず――用いるなど、彼らしくない。より、「月」を捕らえるという彼の目的に対して、その方法が適切であるようには思われない。
 ネイトは恐れをもって――理解が及ばぬために――その力の主を呆然とみつめた。
 冷ややかに澄んだアイスブルーの瞳は、敵以外は映らぬかのように鋭く、研ぎ澄まされているよう。
 決して逃すまいと。ただこの敵だけは、決して許すまいと。そしてその憎悪の理由を、推せばネイトにも見当がついた。
「引け、ネイト。巻き添えを食うぞ」
 短い言葉は背後から放たれた。ネイトが振り返ると、そこには輝神プタハの姿があった。
 応えて素早く後退し、プタハに並ぶ。敵に対峙する同僚を捉えたプタハの瞳は、複雑そうに引き絞られていた。
 ――怒りにとらわれている。彼のそうした様子を見るのは、プタハ自身も初めてだった。同様に、彼のこのような「力」を目の当たりにしたのも。
 怒りのために普段の、あの思慮深く周囲を思いやる様子は消し去られてしまっている。ともすればこちらが巻き込まれ、命を落とすかもしれない。……しかしその怒りのために、彼はそれまで見せたことのない力を発揮した。
 誰も彼を止める事はできないだろう。生命神以外には――しかし彼らが主もまた、今は「いつもの彼ではない」のだった。

      *

 肩で呼吸をしながら、キレスは苛立ちを募らせる。
 北の女神はこの空間に水、さらに風をも呼び起こし、それらは激しい風雨となって飛び交っていた。数刻前に比べ威力は幾分弱まったようだが、未だ収まる様子はない。
 キレスは結界を維持することで、かなり消耗したようだった。欠けた記憶を取り戻し、得た力は無尽蔵と思えたが、やはり限界はあるのだろう。
 それに、この空間はいろいろと制限が多く、思うように動けない。この力の用い方も、あまり好みではないのだ。
 キレスは自身の攻撃的な「力」の感覚を思い起こす。異界由来の、闇色のその力。記憶の中で常に忌まれる原因だったもの。彼は自分自身でその力を嫌悪しているようで、事実はそれ以上に、その力を用いることを望んでいた。
 身体の底から湧き出るようにして生じるその力は、積み上げてきた怒りの感情かもしれない。目に見えず、対象を内側から喰らうようにして現れる圧倒的脅威――その得体の知れない力の性質に、誰もが恐れを抱く。キレス自身ですらはっきり何とはわからない、この力。
 けれどそれらが身体の外へと向かうとき。――その、喩えようもない、心地よさ。
 抑えていたものを解き放つ開放感、ただそれだけではなかった。確かに自身に属し、自身によって形成され、自身から生じているという感覚。またそれによって何かを壊すという行為そのものが、えもいわれぬ爽快感をもたらす。それは、対象の変化に自分自身が関わっているという事、確かに影響しているという、その事実を知ることで、自身の存在を承認しているからかもしれない。
 キレスは、この力を用いたときこそ、本当の自分自身になれるのだと。そう感じていた。
 たとえそこに多くの害を生もうと、それが彼にとって自然な感覚であり、彼自身がそうした感覚に戸惑いを覚えるのは、単に、周りのすべてがそれを否定し続けてきたからだった。