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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

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 なぜ北神が執拗にキレスを狙うのか、ヒスカには分からない。ただ、先ほどのキレスの様子が、記憶を取り戻したために生じたものであったとしたら、彼の持つ力――封印されていたものとは、あまり歓迎できるものではないような気がした。そうしたものを北が手にすればどうなるか。……恐ろしい予感に、ヒスカは身体を震わせた。
 会話が途切れ、部屋はしんと静まり返った。北の攻撃はどうなっているのだろう、結界への衝撃も今は収まっている。つい先ほど、遠くで爆音を聞いた気がしたが、それからまた、静寂が辺りを包んでいるようだ。北はもう攻撃を諦めたのだろうか?
 キレスはぴたりと止まったように動かなかった。無言のまま、その態度で記憶が戻ったことを肯定し、そのまま――見開いた目をそのままで。
 その肩が、ゆっくりと、呼吸をはじめる。目線がゆらりと宙をさまよう。静かに、何かを探るように。
 体が小刻みに震えだし、ひどく寒いというように身を縮めるキレスに、治癒神としての責任感がヒスカを揺り動かし、しかし伸ばしかけた手は宙でためらう。先ほどの力がまた自身を襲うのではないかという恐れが湧いたのだ。
 そのとき――、
「……!」
 地を蹴る音に続いて、扉が激しく開け放たれる。
 張り詰めた空気を破られ、ヒスカは弾かれるように振り返った。
 部屋の扉が、大きく軋みながら、宙を扇いでいる。同じく振り返ったケオルが戸惑うように、兄貴、と呟いたのを耳にしたヒスカは、部屋にいたはずの炎神フチアがいなくなっていることに気付く。
 扉の向こうは相変わらず静かだ。神殿の上空に張られた結界も、反応している様子はない。だが、「何か」があったに違いない――二人の間に緊張が走る。
 ケオルが外の様子を確認しようと足を踏み出したその瞬間、
「――ん、だよ……」
 キレスの、うめくような声に、呼び止められる。
 自身の肩を抱くようにして、宙に身を留めたキレスは、垂れた黒髪の間から低く、その声を漏らす。
「……れの、せいかよ……」
 よく聞き取れない。ヒスカがその様子を探るように、離れた位置から恐る恐る顔を覗き込む。
 と、その影からじわりと滲む、紫の火。
 ぞくり、と身体中に立ち上がる悪寒。ヒスカは思わず身を引く。人の心を捉え、不安を煽るこれは、まるで「魔」だ。人の生を食らう「魔」――そう感じた。
 そうしたヒスカの恐れをよそに、ケオルは――あるいはわざと――キレスの肩に手を触れると、また、その名を呼んだ。
「キレス」
「触んな……!」
 その手は激しく振り払われる。睨むようにケオルを見据えたキレスの瞳の紫がギラリと燃えたぎる。
 そうして彼は、呟くように、言った。
「俺のせいだって言うなら……消えてやるよ」
「――!?」
 瞬く間だった。
 キレスはその宣言どおり、その場から姿を消していた。
「……あ……」
 何がなんだか分からないというように、ヒスカは何度も瞬き、そして部屋を見回す。
 誰もいなかった。――部屋の脇に散らばった寝台やシーツの残骸ばかりがそのままで、それ以外は消え去っていた。
 そう、キレスばかりでなく、ケオルさえも、その場から消えていたのだ。
(いったい、どこへ行ったというの……?)
 誰もいない。まるで夢でも見ていたように。
 静まり返った部屋の中で、ひとり残されたヒスカは、ただ呆然とするより他なかった。

      *

 ケセルイムハト。
 汪洋の青、天穹の青――
 そう表現された青の色は、戦の終結を象徴するものであるはずだ。
 ヤナセは愕然とした。ケセルイムハトは、長く太陽神ラアのことであると……その特異な瞳に象徴される力のことであると信じられてきた。つい数時間前、それが実際には「青」の色を指しているのだと正されたばかりである。
 しかし今、それが、皮肉にも敵の主神の瞳を表していたものだと知った。
 信じられない。……なぜ、ケセルイムハトが生命神の瞳に現れるのか?
 戦の終結を象徴するこの色が、なぜ敵側に――?
 激しい動揺を示す神々の中で、ラアはただ一人、強い警戒をもってドサムを見据えていた。普通とは異なる瞳の色彩、それはおそらく、なにか特殊な力の現れに違いない。――自分自身がそうであるように。
 生命神の瞳には、“何”があるのか――?
 しかし……ラアの予測に反して、大規模な力の放出が引き起こされることは、なかった。
 引き続き訪れたもどかしいほど何もない時間。奇妙なほどの静けさが辺りを包む。ほんの数秒が、何倍にも長く感じられた。
 あまりに敵が動きをみせないことに、カナスが痺れを切らしかけたときだった。神殿の奥に、白い衣が揺らめくのを捉え、目を凝らし見ると、それは女神の着る丈の長いチュニックであると気付いた。今この神殿には、東から治癒神ヒスカが訪れている。だが彼女がいるのは、中庭をはさんでちょうど反対側の建物――神殿入り口側であるはず。奥に移るには、普通この中庭を囲む柱廊を通らなければならないが、通った気配は全くない。
 では、それは一体、誰なのか?
 それだけではない。見ていると、どうも様子がおかしい。女神は足下がおぼつかない様子で、柱を支えにやっと立ち、腕を伸ばして次の支えを探っている。普通の状態ではなかった。
 白のチュニックは闇色の影の中をゆらりゆらりと揺れながら、ゆっくりとこちらに近づいてきている。中庭の近くの階段に差し掛かり、結界の薄明かりの下に現れたとき初めてその正体を知らせると、カナスと、そして彼女の捉えていたものに気付いたカムアが、驚きに目を見開いた。
 女神は、ラアの姉だった。
 ずっと眠ったままだという彼女が、確かにそこに立っている。いや、今もまだ、進もうとしている。
 寝たきりだという彼女が「歩く」ところを、カムアが見たのは二度目だった。――同じだ。ひと月前とまったく同じ光景。ひと月前の事件が思い起こされ、めまいを覚える。何かが起ころうとしている――不吉な予感が胸を満たす。
 カムアの様子に、ラアもその目線を追うと、
「ね……姉さん!」信じられないというように声を上げた。
 ラアの姉は中庭に続く階段を下りようとしていた。しかし、支えとなる柱がないため、その場に座り込んでしまった。
「姉さん、今は、だめだ……!」
 叫びながら、ラアは激しい焦りと警戒をあらわに上空の敵を睨む。
(こんなときに、どうして……っ)
 どうして、危険な場所に、守るべきものが現れるのか――。
「カムア、姉さんを!」
 ラアが言う前にカムアは駆け寄っていた。ラアは姉を部屋に戻して欲しいと、そう頼んだに違いなかった。しかしカムアが身体を支えると、姉はまだ進もうと足を踏み出す。カムアが懸命にそれを抑えるが、その腕を越えようと上体を乗り出す力は強く、その命を賭してもやり遂げねばならぬという意志の現れのようにも思えた。
 結局、女神の細い腕はカムアにつかまることを拒むようにそれをすり抜け、床を這うように進みはじめた。長く身体を動かさなかったものが、自然に歩めるはずがない。カムアはその様子を不憫に感じ、立ち上がるように身体を支えてやると、小さな結界で女神を包み込み万が一に備えた。