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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
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切れない鋏 7.小雪の章 花吹雪 (最終話)

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切れない鋏 7.小雪の章 花吹雪 (最終話)



 その週末、『ブラックバード』での本番の日を迎えた。

 この日は愛美が率いる十七人編成のビッグバンドと、武を中心に組まれたクインテットの二本立ての予定だ。愛美のバンドは現役大学生が中心で、武のコンボにはプロプレイヤーも参加している。チャージはいつも通りの五百円。前売り券がないこともあって、部員たちは「入れなくなったら大変だ」と前日から浮き足立っていた。

 明るいうちに大学での機材の搬出をすませ、『ブラックバード』に向かった。小雪はいつものように後部座席のすみに体をおりたたんで座る。運転しているのは信洋だ。助手席には愛美も座っているが、三人とも言葉少なだった。

 『ブラックバード』に武がやってくる――その現実をうまく整理できないままでいた。

 リハーサルは逆順で、武のコンボから始まる。綿谷に指示された通り、午後四時頃から搬入を始めると、すでに彼らのリハーサルは始まっていた。

 伸びた黒髪を左右に分けて、武がフリューゲルホルンを吹いている。譜面台を抱えて入店した小雪は、全身をやわらかい布でくるむようなその音色に足を止める。うしろから次々と機材を抱えた部員が押しよせてきて、小雪は我に返る。

 ふと視線を上げた武と目が合った。マウスピースにつけたままの口元が上がった気がして、安堵感が胸に広がっていく。

 また吹けるようになったという事実が、喜びとして胸に迫ってくる。
 武はまた目を閉じた。搬入でざわつく店内の中、演奏に集中しようと眉を上げる。

 部員にあやしまれない程度に演奏を聞きながら、小雪は譜面台やパイプ椅子を次々に運びこむ。地上では夕刻になっても生暖かい風が吹いている。季節も武も歩みを進めている。

 このままずっとリハーサルを聞いていたいと思う。けれど準備は着々と進んで、小雪はオリエンテのウッドベースを運び入れる。

 今回は一列目にアルトサックスが二本、テナーサックスが二本、バリトンサックスが一本。二列目にトロンボーンが四本、三列目にトランペットが四本並ぶ。それをリズムセクションのピアノ、ベース、ギター、ドラムの四名で支える典型的なビッグバンドの構成だ。

 楽器はフルートやピッコロもあり、サックスプレイヤーが必要に応じて持ち代える。

 小雪のそばであわただしく準備をしているのはトランペットのメンバーだ。男女四名が額をつきあわせて、どうやって武を誘い込むか作戦を練っている。彼らの中には初心者の頃に武に演奏の手ほどきを受けたものもいて、文字通り武のことを心酔している。

 サークルから部に昇格したころの初代メンバーには綿谷や武が含まれている。全国規模のコンテストに参加して入賞し、練習室の使用許可を勝ち取った。当時の話はもはや伝説のようになっていて、誰もが彼らを尊敬し、愛している。

 嬉しそうに顔を紅潮させるトランペットメンバーを見ながら、改めて自分が独占できる存在ではないと感じる。

 けれど時折感じる武の視線が以前よりも柔和なものに思えて、あの部屋で過ごした日々のことを否応なく思い出してしまう。

 コンボのリハーサルが終わると、愛美の指示で次々と椅子を舞台にセットしていく。そう広くはない店内の端から端まで椅子を並べて、ホーンセクションのメンバーは肩がつきそうな距離で演奏をする。

 小雪に与えられたスペースもごく限られていて、テーブルやピアノにぶつけないように慎重にベースを運んでいく。

 すれ違いざまに武が肩を叩いた。驚いてふりむくと横顔が笑っていた。

 ふれられた肩が熱い。それだけで何十曲も弾けるような高揚感が襲ってくる。

 コンボのメンバーと談笑を始めた武は、トランペットメンバーに取り囲まれ、コピーした譜面を押しつけられていた。1stトランペットの男子が「武さんの負担にならないように、パート割りも考えてきました」と熱弁をふるっている。かと思えば今度はソロを担当する2ndの男子が「チュニジアのソロをお願いします」と頭を下げている。

 戸惑う武をよそに、勢いだけは十分にある大学生たちは強引に武を舞台に引きずりこむ。あちこちから指笛やら歓声が起きる。

 結局武は断る間もなく、トランペットパートの真ん中に据えられてリハーサルを行うことになった。困ったように頭をかいていたが、演奏しながら無邪気に笑うその姿は、ずいぶん久しぶりに見る素のままの武だった。

 アンプの音量と一曲目を確認するだけのあっさりとしたリハーサルが終わると、仲間たちは軽い食事をとるため方々に散って行った。

 トランペットのメンバーと武だけはその場に残り、入念に楽譜のチェックをしている。中学の時からカウント・ベイシー楽団の曲を吹いてきた武なら、おそらく譜面を見なくても吹けるのだろう。けれどこっそりと会話を聞いていると、あくまで現役メンバーの邪魔をしたくないようで、「俺はここだけ吹くから」という言葉が何度も耳に入った。

 そこへ愛美が割って入った。最初に武に頭をこづかれ、愛美が頬を膨らませ、怒って腕を伸ばしたが短くて手が届かず、それから一気に笑いがはじけた。
 どんな会話をしているのかはっきりと聞き取れなかったが、二人は以前のように明るい笑顔を見せている。追悼セッションの前後は棘のついたオーラを放っていた武だったが、後輩たちとふざけあう姿を見ていると、もうその心配もなさそうだなと感じた。

 本番前の食事に行くときはたいてい同じパートのメンバーで行動する。携帯電話をいじっていたギタリストに声をかけて地上に出ると、あわてた様子で愛美が追いかけてきた。

 そのうしろから、ダークブルーのジャケットをはおった武がゆっくりと姿を見せる。
 くっきりとした二重まぶたの瞳が小雪をとらえる。胸がきしむように痛む。

「おまえら、ずいぶん練習したんだな」

 余裕の表情で笑いながら、ギタリストの肩を叩く。お調子者でMCも担当している彼は、感極まって瞳をうるませながら「武さん、愛しています!」と言って抱きついた。

 武は心底嫌そうな顔を作って「男に好かれる趣味はねえよー」とギタリストを引きはがす。その場にいる誰もがにぎやかな笑い声をあげた。

「おまえも、今日で最後なのが惜しいくらいだ」

 そう言って、何気ない動作で小雪の頭に手を乗せた。

 最後なのは慎一郎のベースのことなのか、共演のことなのか、もう会えないということなのか、聞き返すことができないくらい心臓が暴れはじめて、小雪はうつむいてしまった。

 指が髪をすいて、地肌にふれる。武の指の動きに、いやでも体が反応してしまう。

「引っ越し……たんだね」

 怒りのエネルギーが爆発してしまわないように、慎重に言葉を選んだ。
 武は不意をつかれたような顔をして、口の端を上げた。

「住んでもないのに家賃を払うのはもったいないだろって言われてさ。まあ荷物も少なかったし、あっという間だったな」

 悪びれもなくさらりと言う姿から目を離せない。

 なぜ教えてくれなかったのか、引っ越すように言ったのは誰だったのか、聞きたい気持ちが喉の奥からとび出してきそうだったが、本番前なのだからと懸命にこらえた。