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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 5.武の章 不協和音

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5.武の章 不協和音



 武が目を覚まさしたのは、それから二日後のことだった。

 見慣れない天井に視線を彷徨わせていると、日に焼けた病室のカーテンが目に入った。

 遠くで金属音が響いている。鼻につく消毒液のにおい、冷たいベッドシーツ。

 何故こんなところにいるのか、見当がつかない。追悼セッションをしていたあたりから記憶はとぎれとぎれで、体は鉛のように重い。頭を動かすと痛みが走って、思わず顔をしかめた。こめかみに手をやって、入院服を着ていることに気づく。

 巡回にやってきた看護婦がカーテンを開けて、「ようやくお目覚めですか」と言った。
 黒髪に眼鏡をかけていて、患者用の笑顔を作っているあたりが紗弥に似ている――

 腕に包帯を巻いた紗弥の姿が記憶をかすめて、武は体をはね起こした。平衡感覚がおかしくなっているのか、上半身をまっすぐにできない。看護師が背中を支えてやっと、そなえつけのテーブルをつかむことができた。

「……ここ、どこですか」
「内科の入院病棟ですよ。倒れたこと、おぼえてないんですか?」
「あの……紗弥は」

 看護師は武に体温計を渡しながら言った。

「外科病棟の荻野さんのことかしら? 私にそっくりの」

 どうやら本人にも自覚があるらしい。武が苦笑すると、彼女も「びっくりですよね」と言って笑った。その笑顔は紗弥よりも素直で、眩しいくらいだった。
 小雪が慎一郎に似ていることを、気に病みすぎなのかもしれない、と思った。

 この世には似ている人間が少なくとも三人はいて、無関係なところで生きているのだろう。出会いはものすごく低い確率かと思っていたが、紗弥に似た看護師が活動するのを見ていると、ありきたりな出来事のようにも思えてくる。

「毎日あなたの様子を見に来てますよ。あなたのご両親と、妹さんと、それから色白で華奢な女の子。あなたのガールフレンド?」

 体温計の数値をカルテに書きこみながら、にやりと笑った。期待に満ちた意地悪そうな瞳がじつに紗弥に似ていて、反論する気も起きなかった。

 血液検査の用紙を受け取ると、次々と数値の説明が始まったが、全く頭に入ってこない。

 なんとなくテーブルにおかれた携帯電話に手を伸ばすと、電源は切れていたが、なぜか充電ケーブルがつながっていた。

「これ……誰が?」
「自分のものと同じだからって荻野さんがつないだらしいですけど」

 看護師は武を見下ろしながら、ふうっとため息をついた。

「私の話、聞いてる?」

 武は生返事をして、電源を入れた。予想通り、げんなりするほど未読メッセージが届いている。いつもの調子で読み流していると、その中に婚約者からのメッセージが混ざっていた。武の体調にふれる短い文章のあと、それまでの業務内容とこれからの予定が書かれている。それも電源が切れるまでの間だったらしく、日付は二日前になっている。

 一気に現実に引き戻された気がして、携帯電話をふせて天井を仰いだ。

「わかった?」

 看護師の口調が紗弥と同じにぞんざいな感じになってきたので、思わずいつもの調子で「なにが?」と返してしまった。

 彼女はカルテを抱えて冷たい視線を送ってきた。武は肩をすくめる。

「退院のことでしたっけ。数値が戻るまで、お世話になります」

 早くこの問答を終わらせたいと思い、しおらしく頭を下げた。
 彼女は「なんだ聞いてるんじゃない」と言って、次の点滴のスケジュールと携帯電話の使用ルールを告げたあと、病室を去って行った。

 窓からあたたかな日差しがさしこんでくる。数日降り続いた雪がうそのように空は晴れわたり、薄い雲がやわらかに流れていく。病室の中は温かく、薄い綿織りの入院服一枚でも心地よかった。

 倒れた原因は過労の上の風邪だったらしく、まだ熱が残っている。いったいどうやって一時間半ものセッションをやりきったのか、夢でも見ていたのかと思うほど、記憶は漠然としていて頭も重い。

 こんな風に晴れた空をひとりで見上げるのはいつぶりだろう、と考えながら息を吐く。
 うす雲のかかる冬の空は、慎一郎の骨を焼いたあの朝の光景を思い出させる。

 携帯電話を手に取る。小雪からのメッセージは見つからない。紗弥の病室で倒れたのだから当然か、と思いながらも、つい過去のものを探して読んでしまう。武の体調を気遣う内容が多くて、そんなに以前から不調だったのかと、あらためて気づかされる。

 すると携帯電話が甲高い音を鳴らした。社員からだ。あわてて電源を切る。

 談話室に行けば通話もできると言われたが、そんな気にもなれず、テーブルの上に放り投げた。

 倒れたあの瞬間から現実が終わってしまえばよかったのに、また目を覚ましてしまった。いくら悪夢にうなされても朝はやってきて、武に現実を突きつける。何よりも欲しいものが手に入らないこの世界の中で、自分をごまかしながら生きていくしかないのか――

 両手で顔を覆い、深いため息を吐く。逃げることも進むこともせず、ただこの時間を閉じてしまいたい、と考えていると廊下から松葉づえをつく音が聞こえた。

「やっほーおばかさん」

 明るい声が聞こえて、紗弥が姿を見せた。いつもの銀縁眼鏡をかけて化粧はしていなかったが、顔色はよさそうだった。

 武が「ばかはおまえだろ」と返しても、紗弥は鼻歌を歌うほどのごきげんな様子で、ベッドサイドに立った。うしろから若い看護師があわてた様子で車いすを押してくる。紗弥は医療従事者の対応に慣れた様子で、丁寧に理屈をつけて断っていた。

「充電したはずなんだけど。また切ってんの」

 そう言って紗弥は黒い画面の携帯電話を見下ろした。

「うっとおしいから」

 充電ケーブルを引き抜いて紗弥の入院服のポケットに押しこんだ。鼻息を荒くして文句を言っていたが、聞かぬふりをしていた。

「そんな態度取るんだったら、とびっきりよく効く薬、やらないわよ」

 薬剤師の紗弥が「効く」と断言する薬に興味を引かれていると、うしろからニット帽を被った小雪が姿を見せた。
 会うのは二日ぶりなのに、妙に懐かしい香りがして胸が痛くなる。

「じゃあね。これでプラマイゼロだから」

 今来たばかりだというのに、紗弥は踵を返して出て行ってしまった。新任らしき看護師がまたあわてふためきながら紗弥を追いかけていく。車いすを押しているとはいえ、松葉づえをついた紗弥の方が動きが機敏で、小雪と一緒になって笑ってしまった。

 ふと目が合った途端、たまらなくなって手招きをした。遠慮がちに近づいてきた小雪の腕を強く引き、胸の中に抱きよせる。

 肩にたらした薄茶色の髪から待ち焦がれていた香りがわき立って、鼻をこすりつけた。

「ちょっ……と、他の患者さんもいるし」
「かまわない」

 向かいのベッドは空いているし、隣にはカーテンが引かれている。誰に見られてもかまうものかと思うほど、肌のにおいは甘くて、思考をかき乱していく。

「……紗弥似の看護師に、おまえのことガールフレンドかって聞かれた」
「……それ、私も」
「何て答えた?」