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幻燈館殺人事件 中篇

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* 3 *



「通報にあった不審者を連行しました」
 花明は、自分の右腕を掴む警官を見た。そうして、現在の自分が置かれている状況を把握する。もっとも、おおよそのことは問答無用で腕を掴まれた時点で察していたので、驚きのような感情はなかった。
 頬を紅潮させて敬礼する制服警官は、その表情を興奮と高揚とで満たし、その瞳には達成感が、瞳の奥では功名が光を放っていた。
 覚えが目出度ければ、表彰、更には刑事昇進への道が見える。
 花明は、制服警官の歪んだ口元に寒気を感じ、堪えられずに視線を逸らした。
 視線を逸らした先では、ギラリとした眼光が花明を待ち受けていた。
 よれよれの背広に、薄手のコートを羽織った男。名を山本という。歳は五十過ぎ、背は低く樽のような体型だが、身に纏う空気は緊張を余儀なくさせる力があり、目尻や口元に刻み込まれた皺は、長い経験を思わせるだけの説得力を有している。
 ともすれば萎縮してしまい兼ねない雰囲気にあって、花明は内心で安堵していた。
 花明の前に立つ男は刑事だ。それもただの刑事ではなく、経験豊かな刑事だ。であれば、自分がここに連れてこられたのは誤解によるものだと分かってもらえると考えた。少なくとも、手柄に目が眩んだ制服警官よりは話が通じるはずだ、と。
「私は、帝国大学で教員をやっている者です」
 花明は、まず自身の身分を証明することから始めた。
 帝国大学は、言わずと知れた帝都随一の大学である。帝都に住む大人ならば、誰もがその名を知っている。
 花明の腕を掴んでいた二人の制服警官は、帝国大学という言葉を耳にした途端にその力を緩めた。
 高級官僚や警察組織の上層部には、帝国大学の卒業生が名を連ねている。万が一、そういった人物の息が掛かっていたり、関係者であったりした場合、問答無用で連行するという行為は、訓告程度の処分では済まされないのだ。
「大学に確認していただいて構いませんが、名刺をお渡しするためには、まず腕を放していただきませんと」
「放してやれ」
 山本の声は、花明が想像していたよりも幾らか野太かった。
 花明は名刺を取り出して刑事に手渡す。
 名刺には、帝国大学における所属とともに、『助教授 花明栄助』と記されている。
「ふむ。花明栄助、さんで間違いないですかな?」
 花明は頷く。
「なぜ連れてこられたのかを説明していただけると有難いのですが」
 山本は別の警官を呼んで、その耳元に何事かを伝えてから、如何にも面倒だという風情で首の後ろを掻いた。
「いやなに、不審な人物が徘徊していると通報がありましてね。世の中ってなぁ物騒ですから。先生もお気をつけになって。大学に確認が取れたら、お帰りになって結構ですよ。それまではお待ちいただきますがね」
 山本は、これ以上は相手をしない、とばかりに背を向け、足早に花明の前から立ち去った。
 花明は、先ほどまで歩き回っていた場所の一つ隣の区画にまで連行されていた。両腕を掴まれ、がっちりと固められたままの状態で歩いて移動したために、肩や背中や腰が悲鳴を上げている。
 花明は決して虚弱体質ではないが、体力があるかないかの二択を迫られたならば、迷わずにないを選択する。机や書類や研究対象に正対した際に消費する体力は、街中を歩いたり走ったりする体力とは別のものだからだ。
 花明の視線の先には、二階建ての木造建築がある。
 大きな、と言えば大きい部類に入るかもしれないが、外観から受ける印象は酷く陰鬱で、例えるならば、巨漢の大男が肩身を狭めて震えている様子を目の当たりにしているかのようであった。
 花明がそれなりの場数を踏んだ刑事であったならば、これが犯罪の臭いであることに気付いただろう。
 あまり手入れされていない垣根に、黒ずんだ表札が埋もれていた。
 そこには『紅梅荘』の三文字が書かれていた。
 花明は、あっ、と声を出してしまいそうになったが、ギリギリのところで飲み込んだ。
 目の前にある木造建築こそが、花明の探していた場所であり、怜司の手紙にあった地図の場所であったのだ。
 動悸が高鳴るのを感じながら、花明は山本の背中を目で追った。
 それはちょうど玄関の中に入る瞬間で、中に入り姿が見えなくなった後に、なにやら怒鳴る声が聞こえてきた。
 声を耳にした者は、彼が何を言っているのかを正確に聞き取ることはできなくとも、機嫌が悪いことだけは理解することができた。それだけで十二分に役目を果たしている。
 花明は、なぜ警察がここに、などという愚問を浮かべることはなかった。
 怜司の手紙に記されていた通り、一之瀬桜子が殺害されたため、重要参考人として九条怜司の身柄を確保するために来ているのは明らかだった。
 一之瀬桜子が殺害された現場である可能性も残されてはいたが、殺害現場であれば、周囲に立入規制が敷かれているはずだからだ。
 そして花明は、警察は九条怜司の身柄を確保できていない、という推測も立てていた。
 九条怜司の身柄を確保しているとすれば、不審人物として通報された花明が、ここ紅梅荘に連行される理由はないからである。
 つまり花明は、ここから逃走した九条怜司と間違われて連行されてきたということになる。
 以上の状況確認を終え、花明はゆっくりと紅梅荘に背を向けた。
 すかさず、隣にいる見張り役の警官が花明を睨みつけて牽制する。この警官にしてみれば、花明の疑いは未だ晴れていないのだから、当然の行動となる。
 花明は二十六歳。教員というよりは学生の年齢に近く、帝国大学の教員という肩書きは
如何にも胡散臭いものとなる。しかし、事実として帝国大学の助教授であり、歴とした教員である花明は、そうであると告げるしかないのだ。
 “帝国大学の助教授”ではなく“帝国大学の教員”と言ったのは、花明なりの思慮があってのことであったが、その思慮に基づいた発言が山本の怒りに油を注いだことには気付いていない。もっとも、事件の犯人と思わしき重要参考人の身柄確保に失敗した八つ当たりなのだから、花明が助教授だと名乗っていたとしても結果は変わっていなかった。
 自分の仕事が教えることであるように、彼らの仕事は疑うことであるのだ、と花明は受け止めている。理不尽な扱いを受けたわけでもないのだから、腹に据え兼ねるということもない。
 花明の視界の隅に、一人の男の姿が映った。
 花明よりも幾らか長身で、遠目から見ても上物と分かる背広に袖を通しているものの、決してこれ見よがしでも下品でもなく、ごく自然に着こなしている。インバネス姿の花明とは対照的な、時代の流行に沿った服装である。
 探している人物ではなかったが、花明はその存在感を無視することができなかった。
「ご苦労さま」
 男は一切の躊躇もなく歩み寄り、制服警官に声を掛けた。
 そして、興味ありげに花明へと視線を移した。
「あなたは?」
 自分に無関心な相手を不愉快に思ったのか、制服警官が男の視線を引き戻そうと声を掛ける。
 男は視線を花明に預けたまま、懐から黒い手帳を取り出し、表紙を捲って制服警官へ突きつけるように差し出す。
「失礼いたしました!」
 手帳を見た制服警官は、瞬時に姿勢を正して敬礼を行った。
作品名:幻燈館殺人事件 中篇 作家名:村崎右近