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幻燈館殺人事件  前篇

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「怜司さんと私は五年前、恋人としてお付き合いをさせて頂いていました」
 怜司を支えるようにして立ちあがると、桜子は広間にいる人間全員に視線を配った。
「勿論そのまま結婚出来るだなんて、そんな大それたことは願っていませんでした。けれど私の怜司さんへの想いは日に日に強くなるばかりで……。いつか怜司さんの元から離れなければならない現実は、辛くてたまらなかった」
 桜子が遠い記憶に思いを馳せながら語る様を、怜司は眉間に深い皺を刻みながら黙って聞いている。その顔にはありありと悔恨が見て取れた。
「それでも一日一日を大切に過ごそうと、そう心に決めていたある日――私の元に吉乃さまがいらっしゃいました」
「母さんが?」
 初めて聞いた事だったようで、怜司は驚いたように桜子を見つめ返した。その視線を受け止めると、桜子は肯定の意味を込めて深く頷く。
「はい。私と怜司さんの関係が大河さまの耳に入り、吉乃さまの口から私に身を引くように伝えよと、そう命じられたのです」
「ふ、はははは……! なるほどな……」
 自嘲気味に肩を揺らして哄笑すると、怜司はぎりっと歯噛みした。
「その話を伺った時、私は自分の正直な気持ちを吐露しました。結婚出来る等とは思ってはいない事、お側にいられれば幸せである事、それが私の持ちうる愛である事。吉乃さまはお優しい笑みをたたえたまま、私の話に耳を傾けてくれました。そして仰いました。当主の妻として嫡男との交際を認めることは出来ないと」
 怜司が両の拳が白くなるほど握り締めると、桜子はその手にそっと自分の手を重ねた。
「けれどこうも仰って下さったんです。『だから今すぐに別れなさい。その方が貴女の為でもあるのです。もし、それが出来ないというのであれば、二人でどこか遠くへ逃げなさい。九条の庇護も無ければ束縛もない所へ』と」
「母さんが……そんな事を……? 俺には別れろとしか言わなかったのに」
「それ以外言えなかったのだと思います。当主の妻として、この幻燈館の中では」
 桜子は怜司の手を静かに撫でた後、その手を離し再び花明達の方へと向き直ると「吉乃さまは」と続ける。
「吉乃さまは大河さまの浮気をご存知でした。愛のない結婚は虚しいと、怜司にはそんな思いはしてほしくないと……そう、私の前で零された事も御座いました。そしてもし本当に私が怜司さんを九条から連れ出す覚悟があるというのなら、その時は自分もきっと協力するとまで仰って下さったんです。……嬉しかった」
 その当時の事を思い出すかのようにそっと微笑んだ桜子だったが「でも」と続けると、その表情は突然険しいものとなった。
「でも上手くなんていかないものですね。ある日突然怜司さんに会う事が叶わなくなりました。吉乃さまに理由を聞いても答えては頂けず……。私はひどく混乱しました。だってそうじゃありませんか。生涯を共にする事など叶わないと諦めていたのに、共に逃げる道を、その光を与えて下さったのに! なのに何の理由も知らされることなく会えなくなったのですから!」
「それは……違うんだ、桜子。それは……」
 口ごもる怜司を前に、桜子はしかし動揺などしなかった。
「怜司さん、私も勉強したんです。この村を出てから、そう花明さまのご教授の著書も読みました。『九利壬津村に於ける衝動性○○による殺人について』、勿論ご存知ですよね。花明さまの口から澤本教授の名前が出た時は、ああこれは天命なんだと思いましたわ。今日、この日が復讐の日なのだと」
 桜子がそう言うと、大河をはじめ蝶子も怜司もその顔に露骨に動揺が走った。中でも大河の顔色はみるみる内に青ざめていき、それを視界の端に捉えた桜子は、せせら笑うように唇を歪めた。
「あの本と出会ったのは偶然でしょうか、必然でしょうか。それとも私の九条家に対する妄念が呼び寄せたのでしょうか。とにかく私は知ってしまったのです、この村に殺戮衝動というものがあるという事を。それを発症した者は、誰かを殺さない限り狂人として過ごさねばならないという事を。そして……そして私は悟ったのです。あの時、怜司さんの身に何が起こっていたのかを」
 怜司はぐっと瞼を閉じると、何も答えはしなかった。そんな怜司の様子を見て、花明は口にせずにはいられなかった。
「まさか怜司さんは発症されていたのですか? だから桜子さんには会えなかった?」
 その花明の問いにも怜司は返さず、代わりに桜子が口を開いた。
「そのはずでした。でも現実には二人は会う事が出来たのです。殺人衝動を発症してしまった怜司さんと私は会ったのです。……吉乃さまの計らいでね」
「それは一体……」
 言葉を失った花明に対し、桜子は決意を秘めた目で真っ直ぐに大河を睨みつけた。
「花明さま、全てお話致します――そう言ったはずですわ。どうぞ最後までお聞き届け下さいませ。話せばとてもとても単純な事ですのよ、本当に単純であからさまな出来事。けれどこんな悲劇ってあるのかしら」
 桜子に窘められ、花明が――いや全ての人間が沈黙すると、彼女はまるで昨日の事のように、その時の様を滔々と語り始めた。
「……怜司さんと何の連絡も取れなってから数日後の事です。失意に沈んだ私の元へと、ある使用人がやってきました『怜司さまが大変な事になっている。怜司さまを救えるのは貴女しかいないと、吉乃さまがそう仰っています。今なら吉乃さまのお計らいで何とか怜司さまの元へご案内出来ます』そんな知らせと共に。その時の私の心地と言ったら、どう形容したらいいのか! 怜司さんに会える喜びと安堵、そして大変な事という言葉への不安、けれどそれを救えるのは他でもない私だけという誇りにも満ちた思い……! 今でもあの時の気持ちを思い出すと身震いさえ致します」
 桜子は両腕で自分の体を抱きすくめるようにすると、短く息を吐き「そして」と続ける。
「そしてその使用人に導かれるまま、私は幻燈館地下の座敷牢へと案内されました。どうぞお二人でお過ごし下さいと残し使用人が去った後、私は牢へと駆けよりました。なぜこんな所に閉じ込められているのかなどと、使用人に聞くよりも早く体が動いてしまったのです。だってもう会う事も叶わないと、半ば諦めていた愛しい人が手の届く所にいたんですもの!」
 そばで聞いている怜司が「うっ」と低く呻く。桜子はしかし唇を震わせながらも、供述を止めることはしなかった。
「私は怜司さんに帰れ! と怒鳴りつけられました。なぜそんな事を言われねばならないのか、もう私の事など愛していないのか、もしかしてここに閉じ込められているのは私との交際のせいなのか――色んな事を考えました。そして私のせいでこんな不遇にあっているのなら、せめてそこから解放だけでもしてさしあげたいと、きっと幻燈館以外の人間である私がこの扉を開ける事が、それこそが私だけが救えるという吉乃さまの言葉の意味だと、そう思ったのです。室内を見回すと、扉のそばに鍵がありました。私は自分の予測に確固たる自信を持ちました。その鍵を手に取ると、牢へと近付きました。すると怜司さんは気でも狂ったかのように私を静止しました。開けてはいけない、それだけはならない! と……」