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幻燈館殺人事件  前篇

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 そこまで話すとその先の事を思い出したかのように、桜子は小さく震えた。「俺が……っ」言葉を詰まらせた桜子の代わりに、怜司が髪を掻き毟るかのようにして、絶望に耐えながら苦々しそうに続けた。
「俺があの時、自分の‘血’の事を正直に言えば良かった。暗い地下牢の鍵開くその瞬間まで、俺は桜子には桜子だけには知られたくなかった。愛する人に呪われた血の事を、こんな殺戮衝動だなんていう狂人の血を、どうしたって知られたくはなかった。愛しているからこそ言わなければならない事だったのに! 真実を知った君が離れていくのが恐ろしくて、それを思うだけで堪らなくて、俺は……っ」
 打ちひしがれる怜司を慈悲の目で見つめると、桜子は震えながらも告白を続けた。
「……怜司さんの制止も聞かずに、私は扉を開けてしまいました。そこに居た久しぶりにまみえた怜司さんは、私の知っている優しい怜司さんでは無くなっていました。目は血走り何度も何度も噛みしめたであろう唇からは血が滴っていて、ガタガタと震えながら私に近付いてきたのです」
 そこで言葉を区切ると桜子は思い切ったように息を飲んだ後、話を再開した。
「そして私の首に手をかけたのです。血が沸騰しているんじゃないかしらと思うほどに熱くなった怜司さんの手が、恐怖で凍りついた私の首を少しずつ締めていくのを感じながら、私はそっと目を閉じました。なぜそんな事が起こっているのかは分かりませんでしたけど、怜司さんが望むのなら殺されたって構わなかったのです」
 桜子は少しだけ微笑むと、震えを止めようとするかのように組んでいた腕をそっと下ろした。
「けれど怜司さんは私を殺しはしませんでした。一体どれほどの間そうしていたのかは分かりません……。もしかするとたった数秒だったのかもしれません。無限のように感じる時間が過ぎると、首への圧迫がふいに消えて、目を開けるとそこには悲しそうな目をした怜司さんの顔があったのです」
「なぜ、ここに? と、俺はそう聞いたね」
 怜司が閉じた瞼を震わせながらそう言うと、桜子は小さく「はい」と答えた。
「私は怜司さんに伝えました。幻燈館の使用人が私の元へ来た事、怜司さんが大変な事になっていて、それを救えるのは私しかいないと聞かされたこと。吉乃さまの計らいでこの地下牢までの道は人払いをされていて、私は安易にここに来られたこと――私は地下牢に来るに至った理由を全て怜司さんにお話し致しました」
「俺はそれを聞いて激昂した。けれど怒りは殺戮衝動を高めてしまうから、すぐにこの村から出るようにと、それが俺の願いだと……桜子に告げたのだ」
「その時の怜司さんの真剣な眼差しと苦しそうに身を捩じらせる様子に、私はその場に居てはならないのだと理解しました。そうして一度はこの村を離れたのです」
 桜子はそこまで話し終わると、ほーっと肩で息をした。その様子に落ち着いたものを感じると、花明は先を促すかのように相槌を打った。
「そうでしたか……。しかし怜司さんへの想いから独自に調べ、そして再びこの館へ戻ってきた、と」
「はい。しかし戻ってきて驚いたのは怜司さんが私をただの使用人としてしか見られない事でした。ああ、その程度のものだったのかと――時が経てば忘れてしまう程度の若かりし頃の戯れだったのかと、最初は傷つきもしました」
「桜子……なぜ言ってくれなかったんだ。俺は……」
 悔いた眼で哀願するかのように怜司は桜子に問うたが、桜子はかぶりをそっと振ると、寂しそうに眼を伏せた。
「私が復讐心に燃えて戻ってくるような女に成り下がったからです。そんな私はもう怜司さんに対して以前のように接する事など出来はしません」
 切ない桜子の思いに花明までもが胸が縛られる思いがしたが、ここで話を終わらせてしまっては何にもならないと、姿勢を正すと「しかし――」と先を促した。
「しかしあなたは気づいたんですね?」
「そうです。私は普通の使用人よりも遥かに注意深く怜司さんの事を見ていましたから。もしかして人の顔を見分ける事が出来ないんじゃないかと、そう気付くのに大した時間はかかりませんでした。花明さまが先ほどなされたような実験の簡易版のようなものを試したりもしました。そして確信したのです。怜司さんは相貌失認症という病にかかっているという事を」
 桜子の話を聞き終わると、怜司は何かが吹っ切れたかのように薄く笑った。もう過去の自分と向き合う事に恐れは抱きたくないとでも言いたげに、一度だけ唇を噛むと静かに口を開いた。
「君が出て行ってから、母が来たんだ。あの地下牢に。母もね、君と同じように使用人に導かれて降りてきたんだよ。鍵は開いたままのあの独房で、母の顔を見た時――俺の中に起きた衝動は純粋な殺意だった。殺戮衝動を発症している俺の元へと君を送りつけた憎い輩」
 そこで怜司は若干の間を置くと、一度深く息を吐きこう続けた。
「そこからの事はよく覚えていない。けれど止めて! と叫ぶ母と血しぶき、恐怖に歪んだ母の顔、四肢の変形した変わり果てた母だった人間の残骸だけは覚えている。気付いた時には母は破壊されていて、それをやったのは間違いなく自分で……俺はふらふらとした足取りで地下牢を出た。母を殺したことで殺戮衝動は消えていたからね。朦朧とする意識のまま何とか自室へと戻った。返り血を浴びた自分の体を見て、絶望したよ。人を殺したのだと、改めて思い知らされた。さぞ凶悪な顔に歪んでいるだろうと、俺は鏡に視線をやった。……だがそこにある自分の顔を、認識する事が出来なかった。まさかと思い、慌てて飾ってあった家族写真に手を伸ばしたが結果は同じ。俺はね、人の顔が分らなくなっていたんだ。母を殺したという絶望をどこかで認めたくなかったのかもしれない、俺が殺したのは母ではないと、そう思いたかったのかもしれない。そんな意識が働いてこんな奇病を患ったのかもしれない。莫迦々々しいのは全てが憶測にすぎないという事で、俺が母を殺したというのは紛れもない事実だという事さ」
 そこまで一気にまるで積年の思いを全て吐き出すかのように述べると、怜司は優しい眼差しで桜子を見た。
「だからね、桜子。君が罪人だというのなら、俺も同じだ。いや俺の方が罪が重いとさえ云えるよ。桜子、俺は母殺しなんだから」
 桜子は大きくかぶりを振ると「いいえ」と、はっきりとした口調で否定した。
「いいえ、怜司さんは悪くなど無いのです! 悪いのはその男――九条大河!」
 白く細い指を大河に真正面から突きつけると、桜子は燃えるような眼で九条家当主、九条大河を睨みつけた。
「何を言うか犯罪者が。警部、これ以上三文芝居に付き合う必要はない、今すぐ逮捕しろ」
 苦虫でも噛み潰したかのように憎々しげに吐き捨てると、大河は顎で小野田警部に命じた。
「はっ、しかし……」
 桜子の告白に心を動かされていた小野田警部は、いち人間として思わず躊躇った。確かに大河の言う事は尤もである――間違いなく桜子は罪人なのだから、一刻も早く手錠を掛けるのが道理であろう。しかし、しかしだ――躊躇う小野田警部を尻目に、桜子は朗々と語り始める。自分が知った全てを。九条家の闇を。