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大坂暮らし日月抄

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「栗尾様のお住まいは、こちらで」
という声が聞こえてきた。
「そこがそうです」
 長屋の雀、お米の声である。
 口入屋の口振りに似ているが、まさか。こんな朝早くから訪ねてくるはずはない。誰だろう。自分の箱膳を急いで片付け始めた小雪をよそに、どんぶり飯に湯を注いで急いでかっ込むと、飯椀を持ったまま土間に降り、戸を開いた。
 すぐ目の前に立っていたのは、まさか、の信楽焼の狸を担いで来て置いていったのかと思わせる、口入屋の九兵衛であった。
「お早うございます。もう出かけられたかと、急いで来たんですけどね。間におうてようございました」
「驚いたなぁ、誰かと思ったぞ。いやぁ、もうそろそろ行かねばならんのだが、急ぎの用か? まさか、ご用済み、ということではないだろうな」
「ご心配なく。市場には使いの者をやり、私どもの方から、所用があって今日は休ませます、と言付け致しました。ちょっと、よろしおますやろか」
 何も言わないうちに上がり込んで、室内を遠慮もなく見回している。壁際に二組の夜具が重ねてあって、衝立障子が壁に沿って置いてある。夜具と衝立障子は、小雪が、初めて来た日に道具屋で物色し運ばせたものである。
 小雪は、茶の用意をしている。
「お内儀(かみ)さん、お構いなく。すぐにお暇いたしますよって」
 お内儀、と呼ばれたことが嬉しくて、小雪は、貰い物の金鍔も添えて差し出した。
「栗尾様。栗尾様にぴったりの仕事が入ってきましてね。真っ先にお知らせしようと、朝一番で参ったんでございますよ・・・おっ、金鍔ですな、好物なもんで、遠慮なく」
 茶を啜ると、金鍔を割って半分を口に入れた。
「まぁ、よかったこと、ねぇあなた」
 小雪は上さん気取りである。まだ、指一本触れていない。
「どのような?」
 九兵衛は、小豆の甘みを吟味しているかのように眼を閉じて、口をもごもごと動かしている。残りの部分を、鑑定するかのごとくしげしげと見つめてから、口にほうり込んだ。
「これは、虎屋伊織ですな。虎屋伊織の小豆は大粒で、甘さも程良く作られております。あぁ〜、幸せな気分にさせますなぁ。けどね、金鍔は早いうちに食べんと、皮がちょっと、かとうなっとりますで」
 余計なことを付け足して、茶を飲み干してから、おもむろに肝心の用件に入った。

「ご依頼は、東組奉行所与力をお務めの、瀬田様にございます。詳しい事は面談の折に、とおっしゃられておりますんで、私自身も詳しくは存じ上げないんですけど、なんやら、腕に自信があるお方が良い、とのこと。栗尾様は、腕の方はいかようで」
 九兵衛は、自分の腕を叩いて見せた。
「江戸に居る時に、剣術道場で師範代を務めていたことがある」
 表情を緩めている晴之丞の言葉を聞きながら九兵衛は、頻りに頷いている。
「東組奉行所は同じ天満でも、天満橋の南詰めにあります。早速お尋ねくださいますか。口入屋の紹介で来た、とおっしゃっていただきましたら、門番がすべて心得てくれているそうでございます。そちらが決まりましてから、青物市場の方は私から断りを入れますんで、用件が終わられましたら、お立ち寄りくださいな」
「承知した」
 晴れやかな声である。
「ほな、これで。あっそうそう、毎朝一番からのお勤めであるが良いか、と念を押しておいてくれ、とのことでございます」
「分かり申した。わざわざお越しいただき、かたじけない」
 九兵衛は、戸口を出る時に小雪に微笑んで、
「お内儀さん、ごっそさんでした。金鍔、おいしおました」
と、丸い体を揺らして、小走りに去って行った。

 晴之丞は、どんな時にも手放さず、質にも入れずに大切に保管していた刀を押入れから取り出すと、刀身を空にかざしてざっと目配りしてから、腰帯に差し込んだ。
 上機嫌で、生き生きとした、初めて目にするそんな晴之丞の姿を、小雪は眼を細めて眺めていた。


作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実