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大坂暮らし日月抄

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ご禁制南蛮渡来品、取扱注意



 八軒屋浜の舟着き場をウロウロしていると、思った通り、行き合う人々は不躾に眼を据えたまま、こそこそ話を始める。
 こんなはずではなかったのだが、という戸惑いと苛立ちが交互に、心中を襲ってくる。

 東組奉行所に着いた時には、瀬田という与力は同心を伴ってすでに町廻りに出た後で、顔合わせが出来なかった。すべて心得ているという門番に連れて行かれたのは、奉行所建物の横手に沿った奥の方、行き止まりになっているが道を隔てて建っている、厩舎であった。
 そこで引き合わされたのが、今前を、右にトットコ左にトットコと好き勝手に歩いて行く、犬、であった。
 大きな犬である。かつて見たことのある土佐犬と同じような? 大きな犬である。
 その犬の首を麻縄で括りつけて連れ歩く、というのが与えられた務めであるらしい。
 驚いて、門番に問い詰めてしまった。
「犬は、どこも放して飼っていると思うのですが。縄を着けて一緒に歩くというのは、初めて聞くことで」
「この犬は特別なんや。ま、詳しいことは後で聞いてくれや。南蛮からの珍しい犬やよって、取り扱いにはくれぐれも気ぃつけてや。なんぞあったら、これやさかい」
 腹を掻き切る所作をした。
「名前はやな、カステーラ、ゆうんや。どや、ワイが付けたんやで。カステーラの色とおんなじやろ。こいつは食べれんけど、カステーラは、うまいっ」
 ふさふさした尻尾をお祓いのように振りながら寄ってきたカステーラは、足元から着物の裾、臀部、再び足袋先をとしきりに嗅ぎ回した後、後ろ脚で立ち上がって晴之丞の胸に前脚を掛け、頬から鼻、目にかけてひと舐めした。
 掛けられた体重によろけそうになりながら前脚をはずし、舐められたところを手で拭おうとしたのだが、濃厚な唾液でヌメッとしている。手拭いを取り出してぬぐった。
 カステーラは正面に座って、尻尾をゆったりと振っていた。
「栗尾はんやったかいな、どうやら気に入ってもらえたようでんな」

 犬に気に入られても、自分がこの務めを気に入るかどうか・・・。
 右へトットコ歩くと引かれて右へ付いて歩き、左へパッと走ると引かれてつんのめる。
 犬を連れ歩くというより、犬に引きまわされている図は、さぞ滑稽に見えていることであろう。しかも、珍しい種類の犬はよく目立っているに違いない。その前に、南蛮の犬と共に歩いていて良いのだろうか。法に背いているような気がする。町の人々は、奉行所の犬だとは知らないのであるから。そういった、お咎めの視線も投げつけられているような気がしないでもない。
 カステーラ。
 言い難い。
 よしっ、勝手に名前を変えてやろう。自分と犬の間にだけ通用すれば良いだろう。
 だが、何ぞあったら切腹、とは。その何ぞとは、何だろう。犬の為に死ぬことになるのは、阿保らしい。このお勤め、断わった方が良いだろうか。
 いや、我慢して、続けるか。とにかく、報酬が良いのである。門番の言を信じるならば。
「なぁ、小太郎」
 無意識に、小太郎、という名前が飛び出した。

 昔、晋作と一緒に飼っていた、柴犬の名である。飼っていた、といってもどこへ行っても出入り自由なのが犬であった。晋作と飼っていた同じ犬を、自分たちが飼っていると思ってそれぞれの家で呼び名は違っていた、のである。それでも犬のほうは、いくつもある名のひとつを呼ばれると、その名を呼んだ人の元へすっ飛んで行った。
「犬さは自分のねめぇ、分かっちょうてぇじぁねぇって。よけ(たくさん)ある声音さじぇーんぶ覚えとるうんに、ちげえねぇちょー」
 などと議論し合ったものである。
 小太郎がいることで、随分慰められもした。父から厳しい訓練を施されていた頃であった。訓練のことは、晋作にも知られてはならなかったのである。
 
「小太郎、これも何かの縁かもしれんな」
 気を抜いていた為に、急に引っ張られてつんのめり、危うく縄を離すところであった。隠れていたらしい猫が、小太郎の接近で草の間から急に飛び出して走り去り、その背を追いかけようとしたのである。
 何かあったら、というのは、迷子にさせたら、というのも含まれているのであろうか。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実