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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(3/4)

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☽ 古の月(齢不明) 四


 
 真っ直ぐ飛び上がった若い裸形の侍は、まるで海に生まれたかとおもう程美しい筋肉をしていた。
 
 しなやかで強靭で、体のどこを取っても無駄は無く、脆弱さも無い。海豚の如き泳法と蛙の如き跳躍。陸上の生き物が得られるはずの無い水中・水上の速さ。明らかに其処には、壮絶な訓練が垣間見えた。 

 それでも四半時もしない内に、その体のここかしこには赤い血を流す傷口が開いていた。
 魚の様に回遊をした後に、太刀を突き刺してある浮き輪にたどり着き、直ぐにその上に上がる。咳き込んでいるその広く美しい背中を、この尾で叩き割れば良かったが、そうする気にはなれなかった。

「この首の玉は――」

「?」

 若い侍はふらついた腕で新しい太刀の柄を握りながら、振り向いた。

「これまでわが逆鱗を取らんと襲い掛かって来た猛者どもの魂だ。それが此処にこれだけあるということの意味が分からんか。全て食ってやったのよ――今もこの美しい玉の中では、勇者たちの無念が木霊しておる」
「……」

 侍は、それまで腰と脛とに何とかぶら下がっていた具足をはずし、海に捨てた。そして殆ど真裸となり、最後の一本の太刀を引き抜く。

「何をそこまでする」

「惚れた女の為さ」

 太刀を手に、侍は不敵に笑って見せた。

 そして龍には、その次の動きが殆ど見えなかった。
 水に潜っては、浮いている端切れ板をも足掛かりに飛びかかり、顎の下の玉を刳り取って行くその修羅の業。一体どれだけの鍛錬がその礎となり、どれだけの執念がその火種となり、どれだけの決意がそれを発火させているのか。凡そ人間が見せる能力の全てを凌駕しているその動き、一生に二度と得られるものではあるまい。
 牙を剥けば、尾を揮えば、爪を立てれば、その美しい体に赤い筋が次々と入って行く。
 だがそれでも、見て居たかった。ずっと、この動きを。このはかない命が、燃える様を。
 まるで流れ星のようだ。

 龍は、若い侍に心奪われていた。

 だがそれでも最後の時は来た。
 海面から飛び出た若者が、顎の直下にある黒い玉に手を掛けた。
 それは玉ではなく、龍の逆鱗であった。
 龍は恐ろしい速さで顎を揮った。

「あ――」

 その牙の間には、ぼろぼろの太刀を握ったままの右腕。
 若者は翼を千切られた鳥の様に、下に落ちた。

  *

 夜の海面には、四色の玉が、ぼうっとした光を放ちながら、ぷかぷかと浮かんでいた。
 それは自ら持ち主を認めたかのように、若い侍の周りに打ち寄せられていた。 

「分かっているんだ…、これはあいつに取っては遊びに過ぎないという事を」

 最後の力で、残っていた浮き輪の上に仰向けになった侍は言った。

「でも願ってしまった。空想が本当になった時。戯言を本気で受け止めた男がいると知った時に、あいつはもう一度俺に、笑いかけてくれるんじゃないかって」

 龍は、横たわっているぼろきれの様な若者から、目が離せなかった。

「良くぞ我に傷を負わせた。下人、名を聴こう」
「名など、無い。犬の様に軒先に捨てられて、豚の様に軒下で育てられたものだ。貴人どもは、私を呼びたいように呼んだが、私がそれらを自分の名だと思った事は、一度もない」

 龍は、若者の澄んだ、底の蒼い瞳を見て呟いた。

「しい」

「…?」
「神を殺そうとしたお前をそう呼ぼう。下人として生を受け、下人として生き、いまここで下人として喰い殺されるお前は、だが天地の理を超えて神を弑(しい)そうとした。それがお前という男ではないか」
「……はははっ」

 腹が愉快そうに揺れた。

「なにが可笑しいか」
「うれしいのだ」

「変な奴だ。お前は敬う事も出来ん主人の為に命を懸けさせられ、仲間に見捨てられ、今自分の目的も果たせず化け物に飲み込まれようとしているのに」
「だが神に認められた。相手にしてくださり、罪人としてであれ、名まで授けて下さった」

 あれも雨の日だった、としいは言った。

「神様がいつかお前をほめてくださると、母者はそういってござったのだ。俺はそんなものは欲しくなかった。母者と一緒に行きたかった。だが行けば母者の荷物になるということは分かっていた。その言葉がただの祈りという気休めであることも分かっていた。だが、そうではなかった。母者の祈りは、天涯に通じておった」

「しい、おまえは不思議な男だ。だが、もう苦しむことも無い」

「ああ」

 龍はゆっくりと首を下げると、口付けるように、爪先から若者を呑み込んで行った。

「しいめは、このしいめは、あなたをお慕い申しておりましたぞ――」

 腰まで呑み込まれたところで、降り注ぐ雨に向かってしいは叫んだ。

「かぐや姫―――!」