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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(3/4)

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○(十五)



 日向の前には、半球状になって今しも沈もうとする太陽と、その日に照らされて蘇芳の色に輝く長大な河があった。

 南北を抱く山巒、東西に横切る長江。
 入日(いひ)河の両脇には、最早五分散りかけている堤防の桜がきらきらと光の欠片を水面に向かって散らしているのが見えた。
 山裾から森は広がり、森は田畑に繋がり、水辺には堤防を越えて集落が寄り添い、集落から道が延び、それらの道が集まるところに街が、集められたトパーズの様に煌めいている。

「もうちょっと速度上がる?」

 ブラウスとスカートだけで、少しも寒くないのを不思議に思いながら、日向は問いかけた。

「何とかなりますわ。ただ、これ以上の高さは、まずいですわね」

 耳の近くで囁かれる様に、八重の声が聞こえた。

「一撃離脱しましょう。さっきくらいのならなんともござんせんが、直接機体に攻撃を受けると持ちやせん」

「それってさっきの傷のこと?」

「……」

 左翼は黙り込んだが、右翼はぺらぺらと喋りつづける。

「面目ない。初飛行じゃダイアモンドリングってやつをお見せしたかったですがね」
「いいよそんなの。家に帰ったら、わたし看病する。学校も行かない」
「それよりも日向様、羽衣の使い方は分かりました?」
「うん、大分この腕輪にも慣れて来たよ」

 白く光る腕輪は羽衣と使用者の中継器であり、使用者の意志と生命力とを羽衣に伝えるものでもあった。
 腕輪に対して精神を集中し、頭の中で語りかける様にすれば、僅かな誤差も無く意志は羽衣に繋がるようだった。

「引き続き天候や気圧の予測、地形や風の流れによる修正はこちらで加えますから、日向様は思い通りにやってみてくださいな」
「了解。なんだか、飛行機を操縦してるみたい」

 一瞬、両翼が沈黙した。

「なあ、ヤエ」
「あんた、おだまり――さあ日向様、出力を上げますわよ」

 ヤエが言うと、本当に速度の上限が上がり、下を流れる風景が瞬く間に過ぎ去っていく。
 それに伴い、はじめは小さな影に過ぎなかった鷹羽狼頭の男の輪郭がはっきりしてくる。

「どうして蜜柑ちゃんを連れ去ったのかな…人質?」
「それでしたら人質だぞ、寄るなーっ、と言うのでは? 月曜サスペンスの定番ですわ」
「じゃあ簡単じゃありませんか。あの賊はご友人を連れ去りたいんです」

 その言葉に日向は、寒気を感じた。

「ナナエ…それ、難しいよ。あの狼には、蜜柑ちゃんを置いて逃げるっていう選択肢がないんだ」

  *

 彼はひたすらに翔けた。

 西へ――赤い空、太陽の沈むところへ。
 故郷へ。
 朝に夕に、百の変幻を見せる、虹色の海があるところへ。
 夜風は冷たかったが、それだけに、胸に抱えた少女の体温が強く感じられた。
 神などいないと言って泣いた少女。自分が楽園から奪い去って、荒野へと連れて行こうとしている少女。
 慚愧の念が沸いた。
 だが、自分にはあの土地に対する責任があった。

(ならばせめてこの娘が死ぬまで、自分が仕えよう。村人たちにしたように。)

「娘――娘よ」

 呼びかけると、蜜柑はうっすらと瞳を開けた。

「…あ…えっ!?」

 蜜柑は下に広がる景色を見て、危うく又気を失いそうになる。首を巡らすと、横には広がる翼と、その遙か先に空と山波の境目が見えた。

 体を動かすと少し揺れたが、肩や腰、足や腕にほとんど無数といって良い紐のような物が絡みついていた。首を巡らせて上を見ると、やはりあの狼男がいた。
 悪夢の切れ端が、現実の重みによってつながっていく。
 自分は、いつからこんな世界に住むようになったんだろう。

(…ひなちゃんに、帰ってって言ったとき…。)

 言わなければ良かった。
 そばにいてもらえば良かった。
 きっとひなちゃんが、わたしの日常の守り主だったんだ。
 それを切り離したときから、わたしの悪夢が、わたしの現実を侵食していった。だからこれは夢でもあり、夢が招き寄せた現実でもある。
 そもそも人が自分の思いを投影せずに現実を見ることなどできるだろうか? 人は写真のようにすべての現実を捉えることはできない。必ず何かを拾い上げ、何かを捨てている。
 その自分が見ようとしているものだって、強い意志を持って見続けようとしなければ、いつの間にか見えなくなっていることにさえ気づかない。

 蜜柑がうなだれたとき、狼男が下に声を掛けた。

「これから、お前のことを誰も知らない土地に行く。故郷をよく見ておけ」
「……」

 蜜柑はただ俯いて黙っていた。
 もう既に、この狼の言うことを疑う理由はない。

 既に桜垣の市街地は後方へと離れつつあり、前方には、白い渓流を伴う谷が広がり始めている。静まりかえった緑の山々には所々桜が咲き、またそれらが黄昏時の紫の薄明かりで、濃淡のタッチをつけられている。
 真下には、入日河がなお桜並木を伴いながら、蕩々と大地を流れていた。

(大和は国のまほろば畳なづく…)

 和歌を口の中で呟いて、思わず涙がこぼれる。
 本当だ。
 ちゃんとした気持ちさえあれば、千年の隔たりなんて何でもない。

(もっとみんなと勉強したかったなあ。)

 だが自分は誘拐されて、違う国に連れて行かれるのだ。
 狼の話すことがとんちんかんなのは、きっととても遠い国だからだろう。

 なにそれ。ほんとに最悪。

「わたし、運悪いから」

 呟いた瞬間胸が痛んで、思わず手を触れた。

「?」

 そこに違和感があった。
 もう胸元に石が埋め込まれているのは分かっている。
 問題は、それを縁取るようにして何本もの赤い糸が、自分の胸から出て、そして、狼男の胸とつながっていることだった。

「あの…これ…!」

 蜜柑はもう一度上を振り仰いだ。

「あまり触るな。お前を通じて石の力を吸い取っているが、急ごしらえの血管の様なものだ」
「血管…?」

 蜜柑はその数本の赤い糸を指に絡ませながら、まじまじと見た。
 そしてそれが確かに小さく脈打っているのを見て、どきりとする。するとそれらが、ひときわ強く脈打った。鼓動が高まる。するとまたそれに合わせるように、それらの糸は早く動き出す。
 少し強く引っ張ると、

「!」

 左胸の内側がずくん、と刺されるように痛んだ。直感的にそれが何を意味するのか分かった。

「あ…あ」

 白い石は、今や輝きを増していた。きらきらとその光が、後方に尾を引いていくほどだ。

「それは素晴らしい石だ。奇跡を起こす力を持っている」