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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(3/4)

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 気づいたときには、砂漠色の狼が膝まで近づいてきていた。
人間の姿、そのサイズのものだけを探知対象にしていた事が裏目に出た。
狼は一瞬で人形に戻ると、棍棒のようなもので殴りかかって来た。

「!」

 パワードスーツは咄嗟に背を向けて、抱きかかえていた蜜柑を庇う。だがそれを予想していたかのように、棍棒はそのまま背中に振り下ろされた。
 プレス機が落とされたような音がして、背中の装甲にひびが入り、火花が散った。スーツの男は尚も蜜柑を抱え続けてはいたが、衝撃で床に倒れる。

「先ほどの非礼をわびる」

 狼頭の男は、棍棒を砂に戻すと、更に大量に左手に集めて数メートルの大弓と為した。
 そして今までにないほど大きな光の矢を一本、右掌の中から出現させる。

「貴女を地上のものと勘違いし、見くびっていた」

 弓に矢をつがえる。

「!」

 鳥たちを抱えて、膝立ちに振り向いている日向に照準を合わせ――

「許したまえ」

 言葉と同時に引き絞った右手を放す。

「きみを」

 矢が弦から放たれるその寸前、日向は無意識に口ずさんでいた。

「あわれと思い出でける――!」

  *

 中庭が光に包まれた。
 その矢は、対象に触れた瞬間爆散する性質を持っていた。
 大きな風が中心から巻き上がり、その風圧でまたどこかのガラスが割れた。
 美しく勇敢な少女が無残跡形も残るまいと思って、彼は一瞬目を瞑り、だが覚悟して開いたときだった。

 少女は其処に居り。
 少女の両肩を大きく抱くように、巨大な二枚の黒い翼が浮き上がっていた。

「今はとて」

 どこからか、女の声がした。
 それに続いて、男の声が――

「天の羽衣 着る折ぞ―― おはようでごんす。お嬢様」

 日向は抱きしめていた筈の両腕の中身が空であること、そして、その二人の声が、幼い頃から自分に付きまとい続けた従者たちの声であることに気づいた。

「ナナエ、ヤエ」
「きゃーっ、ですわ」

 左の翼の付け根から、ヤエの声がした。

「お飲みになられたようで」

 右の翼の付け根から、ナナエの声が。

「初めてのお相手がだれかってぇのは、気になりますが聞くのも野暮ってもんでしょう。それよか先に」
「そうですわね。あの無礼者を、片付けてしまいましょう」

 鳥のものであった翼は大きく拡がると、より図式的で、平面的な翼の紋様となって宙に浮いた。

 狼頭の男は呆然としていたが、直ぐに我に帰ると、再度続けざまに矢を二本放った。同じように両翼がそれを防ぎ、爆煙が辺りを包む。

「いい加減にしなさいよ!」

 煙をかき分けて日向が駆けつけると、相手の姿は既に無い。パワードスーツが倒れ、その腕の中に蜜柑はいなかった。 

 ふと見たベンチに、見慣れたパンの袋が置いてある。
 手に取って見ると、〈ごめんなさい〉と書かれていた。
 日向は自分が謝られたような気になって、胸が痛んだ。

(まだだ。この子ともっと遊ぶんだ。)

 首を上に反らした瞬間、巨大な羽を広げた狼男が、蜜柑を抱えているのが目に入った。

「これは…」

 狼男は、蜜柑の胸元を見ながら呟くと、

「むっ」

 背中に生えた羽を羽ばたかせ、紫色に染まっている円い空へ向かった。

「あ――待ちなさいよ!」

 日向が上を向いて叫ぶと、右の翼がため息を吐いた。

「なにやってんですかお嬢さん、こっちだって飛べばいいじゃないですか」
「そうですわよ、お嬢様」
「飛ぶってどうやって!」

 更に深いため息が、両方から聞こえて来た。

「何よ!」

「あのねお嬢さん、あっしどもは、御嬢さんの翼なんです」
「一言言ってくださいな。飛べ、天を翔けろ、と」

「え? じゃあ、飛べ」

 言った瞬間、体が浮く。上昇は止まらず加速していく。

「―――うううううひゃあぁぁぁぁ!」

 真っ直ぐに打ち出されたロケットの様に、日向は円塔の屋上を突き抜けた。