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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(3/4)

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飛翔


  
 祇居は眠っている様だった。

 心なしかその寝顔は安らかで、そういえば、吸血によっては治癒の効果があるとかないとか母が言っていたことを、日向は思い出した。
 とにかくこれで、自分は進むことが出来る。
 結果がどうなるかは、今は考えないでおこう。

「ありがとう」

 日向は言って、花の匂いで満たされているそのガラス室を後にした。

  *

 外に出ると、先ず本棟へと走る。
 体がまるで風の様に軽かった。温室から本棟まで、二秒もかからなかった。

(この力。)

 この力で、吸血鬼、あるいは鬼は古代から中世、あらゆる国のあらゆるおとぎ話で、時に音も無く人を闇に消し、時に一つの国を何年にもわたって恐怖に陥れた。

(これがあれば、蜜柑ちゃんを助けられる。)

 本棟の入口で、一瞬日向は躊躇った。恐らくもうあの狼男と蜜柑はいないのではないか。だとしても先ずは中に入って、ナナエとヤエの亡骸を回収しなければいけなかった。その後は、もうやるだけのことをやろう。匂いをたどり、獣たちに聞き、絶対に追い詰めてやる。

「…ウオオオオオ!」
「え?」

 だが、飛び込んだ日向に取って全く想定外であることに、中にはまだあのコートの狼男と、そして、輝く砂でできた蔦に体を縛られた蜜柑が居た。
 更に、その狼男と飛び交うように戦闘状態に入っているのは、

「すご…本物だ」

 国防でもデモンストレーションでしか用いられていないパワードスーツだった。カラーは美津穂らしく、白黒。スーツは蜜柑を背後に庇いつつ、何故か右腕だけで武器を操り、狼男に応戦していた。
 武器もまた、市中ではまずお目にかかれない熱衝撃派発生装置(SWG)。
スーツの助けがあるとはいえ、動力源だけでも十キロ近いそれを、片手で見事に照準を合わせている。 

 だが動力が切れたのかスーツはそれを捨て、腰につけていた円筒を二つ放り投げる。
 煙を吹き出す円筒は催涙弾とおぼしかった。
 それを避けて相手が二階の手すりに飛び移った瞬間、既に足下の筐体から取り出した銃で照準をつけている。楕円形の銃口から小さな雷のような糸が跳ね、着弾した瞬間火花が飛び散る。
 狼男は間一髪で避けるが、スーツは更に、二弾、三弾を撃ちこんだ。
 だが敵は、射線を読んででいる様に、ひらりとかわしていく。スーツがもう一度弾切れとなり、スタンガンを捨てて足元の筐体に手を伸ばして屈む。
 
 その時、その俯いた肩の上に小さな手が載った。

「撃たないでくださいね」

《何》

 パワードスーツは体を起こそうとしたが、俯き跪いたその体勢から、ぴくりとも動く事が出来なかった。
 その肩には、ただ静かに少女の白い手が置かれているだけ。
 少女は真後ろに立っていて、首を回しても顔まで見る事が出来ない。

「……あの主(ヌシ)の血を飲んだか」

 狼男は二階の廊下の手すりの上に立ちながら、戻って来た少女を見ていた。
 驚愕と共に。

(なんだこれは。)

 運動能力だけではない。
 その瞳から感じる知性、その身体全体から感じる、威圧感。そして――

(おお。)

 冷たすぎる程鮮やかに払われたまつ毛に縁取られた燃える赤玉を見よ。あどけなさを残しながら気品に満ちた月の様な額と顎を見よ。黒曜石の輝きを持つ髪が、太陽からの西風に軽やかに舞い遊ぶ。
 その凄絶なうつくしさ。

 鎧の男の右肩に手を置いていた位置から一躍――

「お礼」

 同時に、二つの場所に居るがごとく見えた。
 一瞬で、少女は同じ位置まで上がって来ていた。
 肘が肩の位置まで持ち上がり、手の甲がこちらに見えていた。
 それがひらりと消えた――瞬間、首がちぎれるような衝撃が頬に叩き込まれた。

「――」

 彼は吹き飛ばされ、教室のドアを破り、机と椅子を数個弾き飛ばして、更に窓を突き破って円塔の外へと突き抜けた。
 割れたガラスの破片と、その先にある夕闇の、紫の空を見ながら、漠然と悟る。

 あれは呪いの付着した妖魔などではない。
 妖魔は通常、精霊の出来損ないだ。他者の生命力で自らを補完するために人を襲い血を啜る者である。
 だが他者の血肉を自身に取り込む行為は、多くの場合本体にも悪影響を及ぼす。交じった血が知性を奪い、個性に蛮性がとってかわり、多くは正気を失って、鬼と呼ばれる。
 だがあれは違う。
 渇いていた植物が水を吸い取ったように、男たちが蜂蜜を塗ったパンをたらふく食べた後の様に、生物として再生していた。
 まるで血が元々の食事であるかのように。
 まるで、自らの播いた小麦を刈り取るような自然さで、当然の権利の様にこの地上の命を喰らう。
 そんな生き物に、彼は一つしか心当たりが無かった。

  *

 日向は素早く一階に跳び下りると、まず蜜柑の安否を確認した。

「みかんちゃん、みかんちゃん」

 蜜柑は顔が幾分青白くなってはいたものの、息をしていた。問題は、この巻き付いている水晶体と、

(なんだろう。胸にも何かくっついてる。)

 とりあえず外見から判断して、足下の砂と結晶を切り離すことだと思った。

「えい」

 屈んで、軽く叩いてみるとあえなく砕ける。日向は傾いた蜜柑の体を一旦横たえると、気遣いながら、足から腰まで蔦を砕いていった。

《…それ以上動くな》

 背中から、変声機を通した男性の声がした。
 パワードスーツが、銃口をこちらに向けているのが感じられる。

「何もしないわ」

 日向は蜜柑を抱きかかえていた手を離した。

《頭の後ろで手を組み、ゆっくりとこちらを向け》

 日向は一瞬スーツの突破を考えたが、歯噛みし、断念した。

「ねえ、条件があるの」

 背を向けたまま言う。

《何だ》

 すると意外な事に、相手は会話に応じた。

「わたし大人しくするわ。でも一つだけ約束してほしいの。この子に、わたしがここに来たって、云わないって」

《何故だ》

「何でもよ。もし守れないなら、わたしこの場であなたを無力化する」

 日向は言いながらも、姉や父に掛ける迷惑を考え不安に押し潰されそうだった。

《約束しよう。それだけか》

 だがあっさり、相手は承諾した。
 日向は思わず立って、スーツの男へ振り返っていた。

「ほんとに? 後でばらしても、ぜったい仕返しするわよ」

 見上げた黒いバイザーの奥は見えないまま、だが相手は頷いた。
 その淡々とした仕草に、日向は妙な既視感を覚える。

「あ、そう…じゃあ、ちょっと待って。みかんちゃんお願いします」

 再び抱き起した蜜柑を、スーツの胸に押し付けた。 
 パワードスーツはなにも言わず、銃を手放して蜜柑を抱える。

「ななえ、やえ」

 日向は、翼をひろげたまま横たわっている二羽の方へと駆け出した。

「治るかな…治りそうかな…? 治るよね…お姉ちゃんに見せれば」

 固まったまま動かない二羽を、胸に抱き上げる。

「ごめんね…いうこと聞かなくって…」

 そのまま、小さく背中を震わせる少女を、パワードスーツは無言で見ていた。
 そして声を掛けようとでもするように、一歩踏み出した時。

「石は渡さない」