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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 上(5/5)

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☾ 遠い月(齢不明) 1(1/2)



 回転する円盤が、鋼と触れ合って火花を散らす。

 サッタは塵よけ眼鏡を外し、最後の一本のナイフの砥ぎ具合を確かめると、さっと布巾で拭い、焼印のつけられた馬革の鞘に入れた。

 椅子から立ち上がって膝を払い、店の奥に行く。

 豆電球をつけると、木箱に並べられた都合三十本の注文の仕上がりを満足そうに眺めた。そしてふと、おごりそうになっていた自分の胸中に気付いて、主に許しを乞う。

 たしかに、耕作者たちが巨大な鉄箱に詰め込んで持ってくるなまくらよりは、悪くない出来だろう。

(だが、祖父が極めた鍛冶の秘儀には遠く及ばない。)

 毎年、良く日に焼けた肌を持つ男たちが、彼に挨拶に来ていたことを思い出す。
 東を訪ね、麦を刈る流浪者の一団。
 その中で祖父を知って、その打つ鎌を使わぬものは居なかった。
 この辺り一帯で婚礼の牛や羊を屠る時、必ず彼の新しいナイフが使われたものだ。

 祖父は、長く生きた。
 
 ――ミヅホに行ってみたい。彼の国の刀打ちどもと技を競ってみたい。
 
 八十を超えても槌を手放さなかった祖父の、最後の言葉だった。

「……」

 サッタはため息を吐くと、木箱を閉じ、金槌で鋲を打ちはじめた。

 祖父は元々鍛冶ではなかった。
 麦刈りの一人であった彼が、通常二十歳ころまでにはもてるはずの妻も子供も、その倍の年齢を超すまで持てなかったのは、偏に彼が成人後に、突然かつ無理矢理鍛冶の家に弟子入りし直したからである。

 ――冬月のようじゃったよ。

 麦の葉でえぐられ、鍛冶場の作業で焼かれた傷だらけの大きな手で孫を抱きながら、彼は繰り返しその美しさを語った。

 遙か東の農村にある屋敷の中で、美しい娘との逢い引きに忍び込んだ祖父は、偶然その倉に戦利品として伝わる白刃を見たという。
 
 この昔話の終わりには必ず、祖父の目に輝きが灯る。
 そこにはもう自分は映っていなかった。

 サッタは鋲を打ち終わると、金槌を道具入れに仕舞い、呟いた。

「”こんなにも美しいものをつくる人間は、いったいどんな気持ちなのだろう、とな”」

 それからふと、黒ずんだ壁に張り付けてあるカレンダーを見上げる。
 日付の為ではない。
 何年前のものか分からないが、以前妻のパティマが出稼ぎに行った折、NGOからの横流し品を喜び勇んで入手して来たものだ。

 白い壁、濃紺の瓦葺の要塞は、清新さと歴史の両方を感じさせる。
 手前には堀と橋とを持ち――写真の構図では根元が見えないが――その手前から一本の木、その数条の枝が伸び、それぞれ枝先に五つの花弁を持つ桃色の花がこぼれんばかりに咲き誇って、城の前景に覆い被さっている。 

 ”私たちは、いつかここに行く。”
 ”そして、いいものをつくるという、共通の言語で話す。”

 このカレンダーを張った時の二人は、そうやって未来を見つめていた。

(だが今は――)

 そう思いかけて、サッタは首を振った。

 何を言っている。あきらめてたまるか。

 自分たち二人もまた、見たいものを見るのだ。
 出会うべきものに出会う。
 この世は広いのだ。
 主が用意してくださった恩寵を十分に讃える事もできずに、終わってたまるか。戦争などに負けない。争いは人間の自然ではない。愛が主の教えの最上のものであり、平和こそが本来の人類の望みなのだ。

「――あなた。サッタ、いる?」

 ノックの音と妻の声がした瞬間、とっさにサッタは作業場の電球を消していた。
 出入り口のトタンの引き戸が、開けられようとして少しずれたが、止まる。
 そのまま、ガタガタと揺れ始めた。

「あかないわ」
「俺が開ける」

 サッタは作業場となっている板を敷いたスペースから土間に下り、引き戸が収まるべきスペースに立てかけられた自動小銃を手に取った。

 古びたベルトを肩から掛けると、四キロの冷たい塊が背中を冷やす。

 サッタが内側から素早く戸を開けると、そこに、藤で編んだ籠を肘から下げた妻が立っていた。
 その姿が、十代だったころの彼女が麦の束を抱えていた思い出と重なった。

「お疲れ様。今日もありがとう」

 パティマは弾んだ声で言った。
 スカーフに包まれた卵型の顔の、輝く瞳が微笑むと、サッタは軽い眩暈を覚えた。

「どうかしたの?」

 暫く動かなかった夫を気遣って、パティマは問いかけた。
 サッタは照れ隠しに、帽子を被り直した。 

「なんでもない。丁度終わったところだ、行こう」

  *

 サッタは妻を促して外に出る。辺りはすっかり暗くなって、他の店も完全に閉まっていた。
 妻が乗って来た自転車を見ると、その車輪の下で口を開け放して舌を垂らしている白い犬が居た。

「老い知らずも一緒か」
「ええ。あなたのナンを食べようとするから、ちょっとこらしめてあげたわ」

 パティマが微笑むと同時に、犬が返事をするように吠えた。
 この犬はいつもこうだった。
 まるで言葉が分かるようにふるまうのだ。

 いや、話すのかもしれない。
 預言者は、狼も話すことがあると信じていた。

「そいつは災難だったな? 一緒に来るか」

 サッタは自転車に跨りながら犬に訊いた。
 犬は頷いた――様に見えた。

 そして、サッタが前に乗り、パティマが籠を抱えたまま後ろに乗る。
 サッタは前車輪の電灯を足で付けて、夜の乾いた道に漕ぎ出した。

 夜空に凹凸をつくる白い四角い壁の家々と、街角のかがり火。
 羽根を円く並べたような椰子の葉の影からのぞく、満天の星。
 祈祷堂の前で赤々と燃えるドラム缶の焚火に当たりながら、茶飲み話に耽る髭の老人たち。彼らのお気に入りの茶壺の、銀のストローが炎に照り返る。
 暫く漕いで行くとやがてかがり火も人の姿もなくなって行き、寝静まった家々の間に、鳴りやまぬ星々の光だけが青く道を照らしている。

 パティマはサッタの背負った銃を肩の方にずらしながら腕をすべり込ませる。夫の腹を抱き、背中に頬を寄せた。
 誰も見てはいない。
 夫の背には先ほどまでの鉄の冷たさの代わりに肌の温かさが、妻の耳には静寂の代わりに力強い鼓動の音が与えられた。
 自転車はこれ一台だけだった。一台で十分だった。

 二人乗りの車輪が、土の道で少し軋みながら進む。その後ろを、犬が小走りでついてくる。

 やがて、街の終わりを示す崩れかけた古い城壁が見えてきた。城壁の中段には祈りの言葉が彫ってあるが、半分は崩れて読めなくなっている。
 二人と一匹は物見台の塔の下に着いた。登って行って、それまで詰めていた男と交代する。

 壁の向こうには果てしなく青く黒い沙漠が続いている。その上を覆って星々は鳴り響く。
 物見台の風よけの内側で、夫婦は遅い夕食を取り始めた。
 絨毯の上に広げられる数枚のナン、ドライフルーツ、揚げ団子、豆のソースとハチミツ。ナンにはまだ温かみが残っていた。

「南の街へのバスは、いつになったら再開されるかしら」

 グラスにちぎったハーブと砂糖を入れ、魔法瓶から湯を注ぎながら、パティマは呟いた。

「…あしたにもくるさ。このところ東の奴らとの撃ち合いも無いしな」