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ベイクド・ワールド (下)

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 僕は地下道を進み、地上に上がり、さらにまっすぐ進んで行き、新静岡セノバ前へと出た。僕はセノバにあるユナイテッドアローズで服を買うことにしたのだ。店内に入ると、外の蒸し暑さがまるで嘘かのように涼しさに包まれた。冷房は、北極に吹く風のような冷たさを店内にまき散らしていた。子どもを連れた家族や、学生カップル、老人の集まりなど、さまざまな人で溢れかえっていた。入口からすぐのところに、ユナイテッドアローズがある。僕は店内に立ち入った。僕がぶらぶらと店内を歩きながら、どの服を購入しようかと思案していると、そんな僕を見つけた二十代くらいの男性店員が声をかけてくる。どうして、服屋の店員はこうもしてまで声をかけたがるのか。きっと、売上のノルマのようなものがあるのだろう。きっと、売上を上げることが、服屋の店員にとっての役割なのだろう。ただ、客にとってはそんなことはどうでもよかった。正直なところ、声をかけられるのは迷惑に他ならなかった。
「何かお探しですか?」と店員は声をかけてきた。
 僕は、つくり笑顔だとはばれないようなつくり笑顔を浮かべ、「見てるだけなんで、大丈夫です」と言った。相手を不快にするような口調にならないように注意した。
 店員はにっこりと笑ったあと、こくりと頷き、その場所から離れていった。僕は視界に入ったホワイトのカッターシャツを手に取って眺めた。そうすると、ふいに店員が近づいてきて、「それ、おすすめなんですよ」と言った。さらに「今、結構売れてるんですよ」と付け足した。
 僕は心のなかで深いため息をつかなくてはならなかった。「そうなんですか」と再び、つくり笑いを浮かべる。ただ、僕がそのシャツを気に入ったのは間違いなかった。決して、おすすめだとか、売れてる、とか言われたからというわけではない。僕はシャツをカゴに入れ、さらにボトムスのコーナーに行き、商品を見て回った。さりげない格子柄の入った灰色のスラックスが目に入った。ウエストはゴムシャーリング仕様で、アンクル丈の長さのスポーティな印象のスラックス。僕はそれを購入することに決めた。僕はホワイトのカットシャツと格子柄のスラックスを入れたカゴを持ち、レジに向かった。レジには先ほどの店員が待ち構えていた。ふう、と僕は心のなかでため息をついた。店員は「このボトムスもおすすめなんです。それに結構売れてるんですよ」とさっきとまったく同じことを言った。でも、僕は彼を責めることなどできない。なぜなら、彼は彼の役割を忠実に遂行しているだけなのだ。僕は、金を払い、『おすすめで売れている服』を手に下げ、店をあとにした。

 僕は珈琲ショップ『Green Hill』に再び足を踏み入れた。服を手に入れた僕はもはや市街でするべきことがなくなってしまったのだ。このあいだ沙希と一緒に来たときに飲んだ珈琲はとても美味しかったし、料理もなかなかだったので、小腹を満たすために店に入った。
 店内には、サラリーマン姿の男と、若い女二人組が座っていた。僕は彼や彼女たちが座るところから少し離れた席を選び、腰を下ろした。しばらくして、女性店員がやってきて、おしぼりを置いた。そして、このあいだと同じように「ご注文は?」と訊いた。僕はアメリカンコーヒーとハムエッグを注文した。
 注文した品が出てくるまで、僕は壁に無造作に貼られたチラシを読むことで時間を消費することにした。チラシを左から右へと一通り読み進めていった。この近くにある高校の学園祭の広告チラシや、同じく近くにある大学のサークル活動に関する広告チラシがみえた。さらに、右へと読み進めると、このあいだも見た、この近辺に点在するライブハウスのチラシが目に入った。一枚目は、両替町にある、UHU(ウーフー)というライブハウスのチラシだった。

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 ライブハウスの紹介が書いてあった。どちらかというと、このライブハウスは若者向けというよりも、趣味でバンドを組んでいる壮年期グループによるものが多いようにみえた。
 その隣には、Sunashのライブスケジュールに関するチラシが見えた。このあいだ、沙希といたときのチラシからどうやら更新されているようだ。僕はライブを行うバンドグループの名前を順々に眺めていった。左から二番目のグループに久藤たちのバンド『ブルカニロ』を見つけた。
 さらに、読み進めていくと、僕はある文字を見つけて思わず息を飲んでしまった。それは、とてつもない驚きといってもいいだろう。何を見つけたかというと、それはバンド名なのだが、そこには『THE BAKED WORLD』と書かれていたのだ。沙希から失われてしまった世界を僕たちは『ベイクド・ワールド』と呼ぶことにした。そしてここには『THE BAKED WORLD』というバンドが存在するのだ。これはあまりにも奇妙な一致だった。もちろん、偶然という可能性は否定できないが、僕は気になった。
 キッチンから店員がコーヒーとハムエッグを持ってきた。「注文は以上でよろしいですか?」と訊いた。「はい」と僕は答えた。店員が立ち去ろうとしたとき、僕は店員がバンドについて何か知っているかもしれないと思い、訊ねてみることにした。ライブハウスのチラシを掲示しているということは、これらのバンドを知っている可能性は高いはずだ。
「すみません」と僕は店員の背に声を変えた。
 店員は振り返って、こちらに戻ってきた。「何でしょう? 何かございましたか?」
「少しお聞きしたいことがあるんですが」僕はそう言ってから、コルクボードを指差した。
「ライブチラシのことですか?」
「はい。チラシに載っているバンドについて詳しかったりしますか?」
 彼女は微笑を浮かべた。「私はライブが好きで暇があれば、主人と一緒にライブに行くんです。なので、大概のバンドは知ってると思いますよ。地元のバンドが多いので顔見知りのバンドもあったりします。興味のあるバンドがございましたか?」
「THE BAKED WORLDというバンドなんですが、ご存知ですか?」
「THE BAKED WORLD……。私は、直接は見ていないんですけれど。チラシを見る限り、最近、Sunashでライブされているような……。でも、私はちょっと見たことがない名前です。前まではいなかったと思うんですが。ごめんなさい、どのようなバンドなのかは分からないです」店員は前髪を撫でて、申し訳なさそうな顔をした。