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ベイクド・ワールド (上)

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 しかし、こんな中途半端な時刻に学生が駅構内をうろついているというのはあまりにも不自然だった。辺りを歩く大人たちのほとんどは僕に見むきもしなかったが、数人が僕に好奇の目を注いだ。まるで新種の生き物を見つけたかのように。けれども、彼らもすぐに目を逸らし、何事もなかったかのように立ち去っていった。僕は四方に広告が貼られた柱に背中を預け、何処に向かうべきか思案した。
 しばらく考えてから、最近、僕が気になっている古書店に向かうことに決めた。その古書店はいくらか変わっていた。その店には店名がなく――きっとあるのだろうけれど、店名が書かれた看板はひどく錆ついていて文字を読み取ることができなかった――、そして左目が動かない初老の男――おそらく義眼なのではないかと僕は推測している――が店主だった。店員は彼一人しかいなかった。店の前にはおそらくその男のペットであろうボーダー・コリー犬が鎖に繋がれているのだが、その犬は後両脚がなく義足をはめていた。いや、義足というよりも、補助輪といった方が正確かもしれない。そのために、歩き方は奇妙な動きになるのだが、犬はいつも無邪気に辺りを歩き回り、疲れたらトレイに入れられたドッグフードを食べていた。
 そして、もっとも奇妙であり、僕がもっとも興味が惹かれていることは、その店にいる女の子の存在である。その古書店には入口から奥まった場所に読書のできるフリー・スペースのようなものがあった。くたびれた木製の机が中央に置かれ、その周りに同じくくたびれた木製の丸椅子が四脚、無造作に置かれていた。そこにその女の子はいつも座っていた。黒曜石のように艶やかな黒髪のショートヘアに、透き通るくらいに白い肌の女の子。彼女の瞳は冬の寒空のような冷めたさを帯びていた。彼女は黒色を基調とした無機質な印象を受ける制服を着ていた。黒のブレザーとスカート、黒と青のストライプ・ネクタイ。付近にこのような制服を着る中学校や高校がなかったのでこれもまた奇妙だった。一か月ほど前に、この古書店を見つけ、暇があれば僕はここへ来ることにしていた。いずれの日も彼女はいた。晴れでも、曇りでも、雨でも。きっと嵐の日でも彼女はいるのだろうと思った。彼女は机の上に何冊もの本を並べて、調べものをしているように見えた。本の隣にはキャンパス・ノートを広げ、すらすらと何やらを書き込んでいた。彼女はいったい何をしているのだろうと僕は疑問に思ったが、今まで一度も話しかけたことはない。彼女が店の店主と会話している姿はよく見た。それは日常のたわいもない話だったり、小説や映画の話だったり、哲学的で難しそうな話もあった。彼女は店主のことを『ゲバルト』と呼んでいた。ゲバルト。聞いたときは意味がわからなかったが、調べてみるとゲバルトはドイツ語で暴力という意味らしかった。なぜ、彼女が店主をゲバルトと呼ぶのかもさっぱりわからず、それは僕の興味をさらに掻き立てることになった。
 いままで放課後や休日にしか古書店に訪れたことがなかった。平日に行くのははじめてだ。どちらにしても平日のこんな時間帯にはきっと彼女はいないと思ったが、他に行くべき場所が思いつかなかったので、僕はそこへ向かうことにした。

 北口方面にある地下につづく階段を下り、ティッシュやらチラシを配る人たちを避けながら、まっすぐ進むと、地下広場に出る。真上が円形の吹き抜けになっていて、トラス上にガラスを葺いた屋根から陽光が差し込んでいた。広場を抜け、再び通路に入り、デパ地下を抜けた。
 途中で奇妙な男を見かけた。どうして、駅地下という場所は風変わりな人間が集まってくるのだろう。その初老の男は黒スーツを着ていて、ポークパイハットを被っていた。そして最も奇妙なのは首からはプラカードをぶら下げていることだ。そのプラカードには幼稚園児が書いたような下手糞な字で、『霊感あります (自称)。 お悩み、ご相談、なんでもござれ。』とあった。自ら、自称・霊能者と明言する霊能者もめずらしい。他にも、『手相』と書かれた看板の横に座りこみ、眠りこけている占い師もいた。両手をだらりとたらし、自分の手相をさらけだしていた。しかも、よくよく『手相』と書かれている看板をみてみると、それはどうみても『毛相』にしかみえなかった。毛に相なんてものあるのだろうか。そんなとりとめもないことを思いながら、通路を進み、突き当たりの階段を登り、地上に出た。
 呉服町通りをまっすぐ進み、右に役所が見えたら、左に折れ、青葉シンボルロードに入った。青葉シンボルロードは五百メートルほどの長さの散歩道で、両脇に木々が等間隔に生え、風変わりな噴水やモニュメントが設置されている。休日には大道芸などのイベントが開催されたりする。さらにまっすぐ進み、奇妙な形をしたモニュメントを見つけて、立ち止まる。これが目印なのだ。モニュメントの向かい側にある細い通りに入り、三ブロックほど進むと、ゲバルトの古書店が現れる。

 補助輪をつけたボーダー・コリーは、店先のアスファルトの上で寝そべり、欠伸をしていた。僕はそっと近づき、頭を撫でてやった。すると、舌を出しながらとても気持ちよさそうな顔をして、さきほどよりも大きな欠伸をした。犬の隣に置かれたワゴンには雑多な本が山積みにされていた。そこに置かれた本は十円で売られている。僕はここに来ると、まずはそのワゴンのなかを見てから店に入ることにしていた。たいていは面白くない本ばかりだったが、たまに掘り出し物があったりするのだ。だが、今日は不作だった。ボーダー・コリーをもう一度眺めてから、店のなかに入った。
 店のなかはとりあえずひどく狭い。人一人が通るのがやっとの通路で、おびただしいほどの本に埋め尽くされていた。本棚には隙間なく本が詰め込まれ、入りきらなかったものは本棚の上か床下に無造作に積み上げられていた。それらの本は著者や種類別にジャンル分けされておらず、規則性というものはまるでなかった。江戸期の和本の置かれた隣には、ドストエフスキーの『罪と罰 (上) 』があり、その隣にはJ.K. Rowlingの『Harry Potter and the Philosophers Stone』があり、その上には山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』が捻じ込まれてあった。天井にはいくつかの吊り下げ式の白熱電灯がぶらさがっているのだが、それらの位置もまばらで、ケーブルの長さもそれぞれ違っていた。