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鉄の馬で日本を駆けろ!

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  あとがき



 特に部活に勤しむわけでなく、勉学に勤しむわけでもなく、何に勤しんでいたかといえばというとバイトと連れと駄弁ることくらいしかなかったようなヘタレ学生でした。部活も勉学も嫌いじゃなかったんですが(大学で部活はやってませんが)
「よーし、そこでいっちょやったろかい!」
といえるほど能力が無かったのです。アスリートといわれる体もないし、専攻する勉学でメシを食えるレベルでないのは昔からわかってました……。

 でも、でもですよ!そんなどこにでもいるただの学生にだってドラマはあるんです。出来る範囲でなにかやっておきたかったのですよ。「全国制覇」とか「何とかコンクール」とか「何とか賞の受賞」とかと比べるほどの大きな目標でもなかったのですが。
 当時(平成8年)はアトランタでオリンピックやってました。本編でもありましたが高校野球は愛媛の松山商業高校が劇的な勝ち方をして優勝しました。しかし僕は同時期馬上生活をしていたので詳細はよくわからないのが残念でしたが、選手たちは一生を賭けても惜しくないほどの練習をしたのではないかと思います。
 これは余談ですが、ちょうどそのころ当時の人気番組「進め!電波少年」という番組がありまして、猿岩石というコンビがヒッチハイクだけで香港からロンドンまで行けるのかという企画をやっていたのです。出発するのをたまたまテレビで見ていて
「おお、こいつらスゲーな」
と思って毎週楽しみに見ていたものです。僕が日本一周に出る前は自分と同い年の彼らは旅の真っ只中でした。
 一月の旅を終えてテレビを見ると、彼らはまだ地球のどこかでヒッチハイクをしているのです。確かロンドンに着くまで半年くらいかかったのではないかと記憶しています。当時は「ヤラセ番組」だとか物議を醸しましたが、たとえヤラセでもとんでもなく過酷な旅をしていたのだろうなと思いました。日本を一周するよりは絶対に大変です。

 そんな怠惰な学生生活をしてて、自分もそれほどではありませんが何かやってみようと思ったのが「日本一周」だったのです。地図を買って道筋を辿ってみて
「ホンマに行けるんやろか?」
というのが本当のところでした。でも、シュミレーションするうちに、

   「行けるんやろか」が「行ってみたいな」
 
 に変わっていったのです。それが行ってみようかと決断をした分かれ目でした。少しの(平均的な日本一周の費用と比較してですよ)お金と、時間、そしてなによりも大切なのは行ってみようという気持ちがあれば旅は楽しいものになるのではないでしょうか?僕はそう思います。
 
 日本を一周したあと、道中で知り合った師匠である藤井さんの教えを受けて二輪免許の限定解除(現在の大型二輪免許)を取得、それから白地図を買いました。今まで走った経路を赤ペンでなぞり、これまで走ってきた軌跡をみては自分の財産としています。それでもまだ行っていないところはたくさんあります、そしてバイクで走れるところは日本国内だけでなく、道さえあれば、いや、道がなくてもバイクなら地球上の陸地なら大概のところは走れます。

   僕の旅はまだまだ終わらないようです。

 最後まで読んでいただいてありがとうございました。  ihatov88