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短編集『ホッとする話』

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 あれから3年、派遣先で慣れない仕事と風土にヤキモキしながら、それでも僕は文句を言わずに働き続けた。狭い社会で娯楽もない、そして各家の距離が近い。都会育ちの僕たち家族にはこの独特の地域社会を理解するのが難しかった。親切にしてくれるのだが、それが求めている以上のものであったり時には求めていないものであったり。良かれと思ってやってくれてるだけに、なかなか断ることもできず、気を使いながら月日だけが流れていった。

 家族をそこに残してひと月の海外出張にも出た。帰国の報告で本社に立ち寄ったのは先週のこと、僕はそこで嬉しい知らせを受けた。夏が終われば地元に帰ることができる、それもここでの業績が認められ、昇進というご褒美まで付けていただいて。
 辞令書を持って家に帰った。妻と、二人の娘に辞令書を見せてお互いに喜びあった。もっとも娘たちは字が読めるような年齢ではなかったが、どうでもよかった。 
「秋には、帰れるんだ」
「ホントに」
「ああ、しかも俺、昇進できるみたい!」
「だったら何かお祝いしなくちゃ」
 僕たちは早速出かける準備をした。良いことがあればとりあえずご馳走。いつしか我が家の行事になっていた。というのも小さな田舎町では娯楽も多くなく、三年の生活でここから行けるようなところはすべて行きつくしたし見れるようなところは見尽くした感がある。何か自分の気持ちを満たしてくれるものといえば食べるということくらいしか残っていなかった。生きている限りこの感覚だけは失うことはない、それはどこへいっても同じだ。
 しかしこの地方ではあまりご馳走をいただける施設がない。知っている店は数件あったが、子供を連れて行けるところでなかったり、顔見知りになった人ろとばったり出くわしたりでもしお世話になった人がそこにいて「脱出おめでとう」だなんてとてもじゃないけど、言えない。
「じゃあ『例のところ』で落ち着くのかな?」
「まあ、そうなるかな……」
 結局考えた末に出た答えが、町に一つしかない回転寿司だった。それも自分の地元にもあるどこにでもある大手のチェーン店だ。
「ぼくは、かまわないよ」
 回転寿司だって立派なご馳走である。家でにぎり寿司を作ることなど無いし、そんな寿司を腹いっぱい食べられるほど余裕のある家でもない。
 
「今日は昇進祝いなんだから、ジャンジャカ食べよう」
 町に一軒しかない回転寿司屋。頻繁に見る看板は実家のすぐ近くにもある。それだけに敷居が低く入りやすい。僕たちは空いたテーブルに座り、箸をもった。腹いっぱい食べようと勇んだものの種類がいっぱいあってなかなか手が伸びず目の前のレーンを次々と皿が通って行く。流れてゆく寿司の皿を見ながら僕は物思いにふけった。三年前の今頃、ここへ来た時には生活の不便さと地域の雰囲気に馴染めないのと、この先の生活の不安であまりおいしくいただけなかったことを思い出した。
「いろいろ、あったな――。この三年」
「そうやね」
 大変だった記憶が次々によみがえった。テーブルを囲む家族は一人増えて四人になった。まだ寿司を食べられるような年齢ではない娘の顔をみるとここの三年は良くないことばかりでもなかったのかなと思える自分がいる。
 僕は流れるレーンに視線を戻すと、『特選』とかかれた高級で値が張るネタが流れてきた。そういえばこの店で高級な皿を取ったことは一度も無かった。コストばかりを考えて、そんな皿には目もくれたことなどなかった。なのに、今日に限ってその皿に一度目がとまると、目が離れようとしない。
「せっかくだから、食べてみたら」
躊躇している僕を尻目に、妻はそう言って迷いもせずにその皿をレーンからすくい上げた。
「あ……」
 テーブルに置かれた黒い皿、丸い皿の中に一つだけ四角い皿がある。

「そういや、一番まずかった食べ物は回転寿司だって言ってたよね」
「ああ、そうだったな――」
 共通する記憶が浮かび上がった。思えば祖母が亡くなる前日、食べた食事がこの寿司だった。あの時は辛くて、何の味もしない、今でも忘れられないくらいおいしくなかったものだった。僕たちはそれ以上の会話はしなかったがそれだけであの時の記憶が一瞬で甦った。
「だからこそ、今日はこれを食べてみるべきよ」
 妻の勧めで僕はそのネタに箸を伸ばした。

   良いことと悪いことは、
   振り子のように訪れる

妻の言葉に反射的にこの言葉が連想された。今日はお祝いなのだ、やっぱり僕はこれを食べるべきなのだ。
 わさびを少し足した醤油に浸し、ゆっくりと、一貫の寿司を一口でいれてゆっくりと噛みしめた。
「どう――?」
 質問する妻、何かを答えるべきなのはわかっている。だけど、僕はその場でこの味がどういったものであるかは、これまでの三年とそれ以前の記憶が頭の中を支配し、言葉で表現することが出来なかった。しかし、その表情だけで言葉は必要でないことがすぐにわかったのだ、妻も、娘たちも今までになかったような表情で微笑んでいる――。
「まずいのも、うまいのも、おんなじ寿司だってのも不思議なもんだな」
 僕は十分に噛んだ寿司を飲み込みお茶をすすり、感想を述べた。
「気持ちで変わるものなのね、味って」
「地元に帰ったら、またここへ来よう」
「そうだね」
 もう覚えていないけど、値札のないカウンターのそれと比較したらそれほど値の張るものではなかった。だけど、黒い四角の皿に乗せられたそれは三年の苦労がすべて良き経験に変えるにはじゅうぶんなほどおいしかった、それだけは覚えている。額面とか、場所とか、そういったことは考えないでそれは今でも強烈に印象に残っている味だった。それでいいじゃないか、僕はそう思った。