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短編集『ホッとする話』

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「寄房行き、発車しまーす」
 3月も終わりに近づいた昼下がり、大石はいつも通りに乗降のない停車するだけの列車を見送った。春は確実にやって来るのに、それが待ち遠しいほどこの地域はまだまだ寒い。
「次は15時58分、と」
 大石は一人次のダイヤを口ずさんで確認しホームから改札に戻った。
「まだまだ寒いなあ」
 暖炉に火を入れて待合室を暖め出した。2月の大雪が街のあちこちにまだ残っていて、この時期に火を起こすのは稀な方だ。大石は着火を確認すると火の前で両手を擦り合わせた。
「大石さん、こんにちは」
「おや、小夜さん」
 大石がホームに出ようと待合室の入り口に背を向けたとほぼ同時に名前を呼ばれた。そこに立っているのは、防寒対策をしっかり整えた小夜だった。どこか出掛けるのだろう、大きな鞄を暖炉の前に下ろした。
「ごめんなさい、列車は今さっき発車してしまいましたよ」
 大石が説明すると小夜は口に手を当てて笑い出した。
「いいんですよ」
「どういうことですか?」
いつもは列車の発車時間に合わせて来る彼女が言う意味が読めずに大石はその理由を問いただした?
「だってあたし、大石さんに会いに来たんですから……」
「私に、ですか?」
 小夜はそういうと駅舎の後ろから、一目で彼女の両親とわかる初老の夫婦が駅舎に入って来て大石を見るや深々とお辞儀をした。
「大石さんはあたしの恩人なんです。だから、会いに来ました」
 最後の大逆転、それはこの待合室の暖炉の前で起こったとだと小夜は何度も両親に説明したようだ。それを聞いた小夜の両親はどうしても大石に会ってお礼が言いたいと聞いて大石は顔を真っ赤にして何も答えられなかった。
 この時ばかりは一時間に一本しか来ない列車のダイヤをありがたいと大石は思った。
「あたし、今日ここを出るんです」
 大きな荷物の理由がその一言でわかった。家族で寄房まで行き、そこで親元を離れると言った。
 貝浜から通える大学は近くにない。小夜は今日、進学のため関西方面に発つのだ。
「そうですか、大学、合格したんですよね」
「はい!」
 雪で列車が止まったあの時まで見せていた顔とは全く違う顔を見せた。冬の寒い時期にずっと溜め込んで来たものを一気に解放して芽を出して喜ぶ植物のように、彼女の表情はとても希望に満ちたそれだ。一足早く春が来た小夜の顔を見て大石は心が暖かくなる感覚を覚えた。

 普段は次の列車が来るまで長く長く感じる時間であるが、今だけはあっという間に過ぎていった。大石は懐中時計を確認すると針は15時55分を指している。寄房行きの列車がもうすぐ来る時間だ。大石は時計の蓋を閉じて改札を抜けてホームに出た。

***

「貝浜、貝浜ぁ」
 大石の呼び声に迎えられ、橙色の二両しかない列車は貝浜駅に到着した。いつもと変わらず列車が止まっても扉は開かない。大石は運転士に目で合図をして列車をしばらく止めるよう訴えて了解を確認すると、列車の扉のボタンを押して開けた。
 それから少し遅れて大きな荷物を担いだ小夜とその両親が改札からやって来た。
「ありがとうございました」
三人は列車に乗り込むと、小夜はその場で反転し大石の方を向いた。
「お元気で」
 いつもの「お気をつけて」ではなく大石はそう言った。
「また、会えますか?」
 小夜の吐く息が列車の外に出て白く舞い上がる。
「もちろん、私はこの駅におりますよ」
 あと少し、少しでいいので列車が止まって欲しい。大石には僅かであるがその権限がある。そう思いながらも大石はこの場にいるすべての人の顔を確認し、扉のボタンを押した。
「寄房行き、発車しまーす」
 列車のブレーキが解除される音が耳に入った。大石が目の前の閉じた扉を確認すると、窓の向こうで小夜が直立してこっちを向いている。
「行・っ・て・き・ま・す!」
 声は聞こえなかった。ただ、口の動きでその声は大石の脳に直接こだました。そして小夜の垂れた右手がスッと上がり、その細く白い指先が右のこめかみで止まった。
「お・気・を・つ・け・て!」
 大石も敬礼をした。いつものように、指を伸ばし姿勢を正して、真っ直ぐ小夜の顔を目に焼き付けた――。
 
 薄い橙色の二両しかない列車は、貝浜駅を発って寄房の方へ去っていった。ホームから見える一本しかない線路は遠くまで見える。大石は離れ行く列車をいつまでも眺めていた。やがて見えなくなると懐中時計を見て次の列車の到着時間を確認し改札を通り待合室に戻ると、まだ暖炉はパチパチと音を立てて燃えている。春はそこまで来ている、大石は暖炉に薪を足さず、自然に火が消えるのを見届けた――。

   『駅舎』 おわり