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月も朧に

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 佐吉は、ほっと一息ついた反動で、思わず声に出してしまった。

「ここに、置いてくれはるんで!?」

 それまで黙って見ていた藤翁は笑った。

「当り前だよ。将来の婿殿でもあるからな」

 やっと『婿』という言葉が出た。
安堵し、脱力した佐吉に藤五郎が謝った。
 
「不安にさせたようで、すまなかったね。我々はお前さんを跡取りとして育てたい。
でも、もうしばらく公にするのは待って貰いたいんだよ。いいかい?」

 正直、佐吉は婿入りどうのこうのより、芝居ができるできないのほうがずっと大事だった。
何も深く考えず、返答した。

「わかりました。構いません」

「よし、じゃ。芸の事だけ考えよう。さっそく明日から本格的な稽古だ。来月舞台に立ってもらうからね」

「え! ほんまですか!?」

「あぁ。『倉岡吉治郎』が藤屋一門へ入ったお披露目だ」





 稽古漬けの日々が始まった。
どんなに厳しくても、きつくても、芝居が好きな佐吉には苦ではなかった。

 藤五郎は普段と仕事とでは別人だった。
稽古場で一切笑顔は見せない。
 厳しく指導し、めったに褒めない。
 手さえ出さないものの、稽古場には厳しい言葉が飛んでいた。

 『永之助に怒られてしまったよ』と首をすくめて居た男はどこへ行ったのか、
その日は永之助に怒鳴っていた。

「やる気が無いやつは要らん! 稽古場から出てけ! 邪魔だ!」

 そのあとすぐ、台詞を何度も間違える弟子に、冷たく言い放っていた。

「顔洗って、頭冷やしてこい。当分戻ってくるな」

 佐吉も例外ではなかった。

「ここはどこだ? 大阪じゃないぞ」
  
 その指摘は、大抵が言葉に対するものだった。
生粋の上方人間の佐吉は、どうしても方言が交じってしまう。
 苦戦する佐吉を見かね、永之助が先生になっていた。

「すまんな。永之助……」

「いいえ。お互い様です」

 稽古の合間を縫って、永之助は佐吉に江戸弁を教えていた。
お返しに佐吉は持ち前の観察力を活かし、永之助の芝居を観て何を感じ取ったかその都度教えていた。


「江戸弁、大分うまくなって来ましたね」

「そうかい?」

 キザってそう言うと、永之助から声が掛った。

「芳野屋! 男前!」

「ありがとよ」

「よくできました」

 二人で仲良く喋っているその姿を、三太は遠くから微妙な表情で眺めていた。




 忙しい毎日が過ぎ、とうとう佐吉が舞台に立つ日がやって来た。
お披露目といっても、佐吉は外から来た者な上に若年である。
 当然、脇役だった。
 しかし、台詞をしっかり貰えていた。

 一つ一つの言葉に心をこめ、その役になりきって台詞を言った。

 初めての土地での初めての舞台。
緊張はしたものの、その心地よさに佐吉は酔い痴れた。

 もちろん、良いことばかりではなかった。
 目の肥えた客から、厳しい野次も飛んだ。

「大根役者!」

「ぜいろく!」

 そんな貶しにもめげず、佐吉は一生懸命役を務めた。

 そして千秋楽。
 佐吉の最後の出番で、懐かしい屋号が響いた。

「芳野屋!」

 それは自分の屋号だった。

 佐吉の眼から、自然と涙がこぼれていた。

 実の父から、家の芸は学べなかった。
 好きな芸の道を断たれ、絶望した。
 しかし、優しい人たちに助けられ、どうにか舞台に戻ることができた。
 そして、その日自分を見てくれる客が居ることが実感できた。

 感謝の念でいっぱいになった佐吉は、深々と頭を下げ、袖に引っ込んだ。

 袖では三太が控えていた。

「お疲れさんです」

 彼は顔を伏せたまま、水の入った湯呑を差し出した。

「おおきに。兄さん、どないした?」

「よかった。ほんまに……」

 彼は泣いていた。

「兄さん、泣かんでもええやん」

「うれしくて……」

「兄さん、まだこれが始まりや。これからや。泣いてたらあかん」

 自分が泣いていたことは棚に上げ、佐吉は力強く言った。
それは兄弟子への励ましだけではなく、自分自身への活でもあった。

 

 

 無事に佐吉のお披露目としての公演が終わった。
二日の休みの後、全員集合と稽古場に集められた。
 その日は藤五郎ではなく、藤翁が中心になって話を始めた。

「まずは、皆にお疲れさまと言いたい。佐吉が一門に加わり、初めての興業が無事に終わった」

 兄弟子たちが、佐吉の労をねぎらった。

「お疲れさん」

「頑張ったな」

 永之助も笑顔だった。

「これからもよろしくお願いします。兄さん」

 場が和んだのを見計らい、藤翁は神妙な面持ちで口を開いた。

「今日は皆に、佐吉が一門に加わった本当の理由を発表する」

 しんと静まり返ったその場に、藤翁の声が響いた。

「佐吉には、将来婿入りしてもらい。ゆくゆくは、藤屋の跡を継いでもらう予定だ」

 途端、一同から声が次々湧き上がった。

「ついに現れたぞ、良い婿殿が!」

 素直によろこぶ者。

「ようやくお嬢さんに御似合いの男が現れた…… よかったなぁ……」

 涙ぐんで喜ぶ年配の者。

「頑張れ、佐吉」

 佐吉の肩を叩き喜ぶ者。
満場一致で佐吉の婿入りが大歓迎のうちに終わると思いきや……





 一人だけ異を唱える者がいた。

「婿など要りません!」

 永之助が立ち上がり叫んでいた。
藤翁の横で黙って控えていた藤五郎は明らかに動揺していた。

「お永! 佐吉の前で何を言うんだ!?」

「わたしは永之助です! 藤屋はわたしが継ぎます! 婿は要りません!」

 そう言い放ったとたん、兄弟子も慌ててなだめすかし始めた。

「永之助。落ち着きなさい」

「そうだ、今すぐ結婚ってわけじゃない」

 しかし、永之助は聞かなかった。

「要りません! 婿はイヤ! 結婚もイヤ!」

 突然火のついたように泣きだすと、稽古場を飛び出してしまった。
呆然とする一同の元に、血相を変えたお藤がやってきた。

「貴方! あの子に何したの!?」

 首をすくめる藤五郎。彼を庇うように、藤翁がお藤の前に進み出た。

「佐吉を婿にするって言っただけだ」

「いきなり言ったんですか!? あの子に何も打診しないで!?」

「私はあの子にも、この家にも良かれと思ってこの場で言ったんだ」

 揉め始めたお藤と藤翁。
居辛くなった佐吉は、そっとその場から抜け出した。

「失礼します……」





 自分の部屋の真っ暗な押入れの中で、布団を被って佐吉は悶々としていた。
 数日前の幸せな気分はどこへやら。
心の中には不安しかなかった。

 一体自分はどうなるのか。
 お役御免で大阪に帰っても、自分の居場所など無い。
 芝居ができないのであれば、いっそ……
 
 とんでもない方まで考えが行ってしまった。
 しかし、その時兄弟子の声で現実に引き戻された。

「……佐吉、居るか?」

「佐吉さん? どこですか?」

 藤屋で一番年配の兄弟子が、三太を引き連れ、心配そうな顔をして部屋の中で佐吉を探していた。

「は、はい! 居てます!」

 急いで押入れから出てきた佐吉を見て、兄弟子二人は安堵した表情を浮かべた。
作品名:月も朧に 作家名:喜世