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月も朧に

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〈03〉 初の舞台



  藤屋の一員になって数日間、佐吉はあちこち引っ張り回された。
そのあまりの忙しさに、彼は緊張して固まる暇さえなかったほど。

 ある日は、朝から同業の家々へ挨拶回り。
またある日は、贔屓にしてもらっている大店へお呼ばれ。
 それは大抵宴会付き。料理と酒を振舞われ、帰宅が遅くなった。

「……しんどい」

 酔ってフラフラになった佐吉。
彼を玄関先で出迎えるのは、毎回三太の役目だった。

「お疲れさんです。はい、水」

「おおきに……」

 これで何度目か。
酒に慣れてきたが、さすがにほぼ毎日はきつい。
 湯呑を空にすると、佐吉は三太の隣にいる永之助に気付いた。
 永之助はなぜかぷんぷん怒っている。

「どないした?」

「お父さん酷い。兄さん疲れてるのに毎日毎晩連れ回して!」

 佐吉は苦笑した。

「……新入りの他所者やから、挨拶周りは大事や。顔覚えて貰わんと」

「でも。忙しすぎです!」

この頃、佐吉の緊張は無くなり、藤屋の皆と普通に会話出来るようになっていた。
しかし……

「早く稽古一緒にしたいんです!」

 芝居に関する事がまったく出来ていなかった。

 やる気満々の永之助。
その横で、いまだ永之助の正体に一抹の不安を持つ三太は、訝しげな表情を浮かべていた。
 しかし、佐助は素直に喜んだ。

「そやな。やりたいな、稽古……」

「そうですよね!? お父さんに文句言ってきます! では、おやすみなさい」

 ぺこりと会釈をしたあとくるっと踵を返し、自分の部屋に戻っていった。
その姿が見えなくなるなり、三太は低い声で言った。

「永之助、何もんやろな、お父さんに直談判…… ただもんやないで」

「兄さん、怖いって」

 ニヤニヤしながらそう突っ込んだ佐吉だったが、三太の険しい表情に驚き、笑うのを止めた。

「……佐吉さん、あんたは婿養子ってことでこの藤屋に来たんやで」

「ま、それはそうやけど……」

「お父さん、誰にも佐吉さんの事『婿』って紹介してへんのやろ?」

 それは事実だった。
『藤屋の一門に』という紹介だけで、『婿に』ということは一言も藤五郎の口から出なかったのだ。

「そやけど、婿でなくても、ここに置いてくれたら……」

 そう言いかけた佐吉を、三太が厳しく制した。

「甘い」

「えっ……」

「あんたは芳野屋の御曹司や。ほんまなら、正当な跡取りや。だけど、女将さんのせいで……」

「兄さん、だから……」

「母親は自分の子どもがかわいい。父親もそうや。永之助は怪しい。お父さんと血の繋がった息子だったらどうするんです? もしそやったら、佐吉さんここに居ても、端役ばっか回されるのがおちや……」

「でも……」

「私は嫌や。家も腕もちゃんと揃ってる佐吉さんが、私ら外の人間と同じように端役しかもらえずに一生終えるの見るんは……」

 佐吉は何も言えなかった。 
 どんなに実力があっても、芝居が好きでも、外部の者は主役を張れない。
 下手でも、芝居が嫌いでも、家の者は主役を張れる。
 不公平な現実だった。

「とにかく。明日にでも、お父さんに聞きなはれ。永之助は何者なんか」

 佐吉は黙ったままだったが、三太は構わず続けた。

「それが無理なら、自分は婿に入れるんか、ちゃんと聞くんや。ええな?」

 いつになく怖く厳しい兄弟子に、佐吉はうんと頷く以外成す術も無かった。





 次の日の朝、佐吉は藤五郎に呼び出された。
三太の言葉が頭の隅に残り、落ちつかなかった。

 どうやって切りだそうか。
そればかり考えていたが、目の前の藤五郎に頭を下げられた途端、すべて吹っ飛んでしまった。

「毎日毎晩連れ回してすまなかった」

「い、いえ。顔を覚えてもらうのは、役者として大事な事です」

 真面目にそう言うと、藤五郎は満足そうな笑みを浮かべた。
しかし、すぐに肩をすぼめた。

「……永之助に怒られてしまったよ。早く一緒に稽古させろ!ってね」

 佐吉は兄弟子の心配が間違っていないとその時悟った。
 実質上の一家の主である藤五郎に文句を言える。
 やはり『永之助』はタダモノではないのだと……

 佐吉の考えとはよそに、藤五郎は笑顔で話を続けた。

「今日はゆっくり休んで。明日は稽古場に来なさい。現時点での実力を見せてもらうよ」

 それを聞いた瞬間、さっきまでの不安はどこへやら。

 芝居ができる。

 その嬉しさで彼の心は満たされていた。





「兄さん! 明日から稽古場入れるで!」

 そう声を上げながら、兄弟子たちの部屋に飛び込んだ佐吉。
兄弟子たちは、笑いながら佐吉を歓迎した。

「おう、やっと稽古か。楽しみにしてるぞ」

「上方の御曹司の実力、見せてもらおうかね」

 そして、三太。
昨晩の険しさは消え、素直に佐吉と共に喜んだ。

「芳野屋の実力、見せつけましょ」




 
 次の日、佐吉と三太は稽古場に入った。
多くの弟子たちが見守る中、二人は改めて挨拶した。
 そして、これからなにが起こるのか、なにを要求されるのかドキドキしながら待っていた。
 しかし、最初は藤翁と藤五郎からの質問攻めだった。

「佐吉、二枚目と三枚目、どちらが好きだね?」

「三枚目です」

「ほう。なんでかね?」

 実際、主役級の二枚目を佐吉がやる機会は無かった。
いつも脇ばかり。それは大抵三枚目。
 しかし、素直に『舞台に立てず、役をもらえず、機会がほとんどなかった』などと言えない。
 肯定的な返答を彼は用意していた。
 
「へたれやアホな三枚目の方が、奥が深いと思てます」

 実際、やってて楽しいと思っていたので、彼のその答えは間違っては居なかった。

「そうか。でも江戸に来たからには、三枚目以外の二枚目も敵役もなんでもやってもらうぞ」

「はい!」

 佐吉は飛び上がりたい気分だった。
今までやったことのない事が出来る。芸の幅を広げられる。
 うれしくて仕方がなかった。
 
 その日は結局、実質的な稽古はできなかった。
しかし、稽古場で皆が稽古する光景を実際に見ることができた佐吉は大満足だった。





 実際に稽古が出来るようになって数日たったある夜、佐吉は一人藤翁と藤五郎に呼び出された。

「大阪では窮屈な思いをしたようだね……」

「いえ……」

 佐吉は、二人から何を言われるのかと気を張った。

「ここ数日の佐吉の稽古する姿を、お父さんと一緒に見てたんだがね……」

 それは、自分の芸に対する評価だった。佐吉は身構えた。

「酷なこと言うようだが、お前さんは芳野屋の芸を持っていない……」

 その言葉がぐさりと佐吉の胸に突き刺さった。

 父から何も貰えなかった。
 何も学びとれなかった。
 
 それはよくわかっていた。
しかし、他人から言われて改めて痛感した。
 
 『お前は要らない』そう言われるのかと、怖くなったが、藤五郎の口調は穏やかだった。

「だがね、芳野屋以外の家を回って、いろいろ学びとってきたんだろう。学んだことを自分の物にできる者には教え甲斐がある。これからは藤屋の芸を一番に覚えてもらうよ」
作品名:月も朧に 作家名:喜世