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拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―

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(二) 峠走


 白秋から玄冬へ。
 積もる落ち葉を散らす風、木枯らしの吹く時候。
 首元を撫でる風の冷たさに、人々は身を竦め道を急ぎ歩く。しかし見上げれば、葉を落とした木々の向こうに凛と澄んだ青空が広がっている。
 雲があるのも良い。重苦しさに負けぬよう燦然と過ごすも良し、心身の内々に蓄えて過ごすも良し。
 玄(くろ)とは奥深さ。然るに、玄冬とは目で見るものに非ず。
 目に見えぬ生命の胎動を感じる季節なのだ。

 *  *  *

 ライムグリーンのボディから溢れ出す、単気筒エンジンの音と振動とに身を任せながら、曲がりくねった山間道を走ること十五分。
 突如として広大な平地が出現する。その広さは、約四十台分の駐車スペース。平地の中央奥と両端の計三箇所には、ひと目で廃業済みと分かる飲食店跡が残る。
 この山間の道は、主に地元のドライバーたちが、いわゆる裏道として有効に活用していた。尤も、それは去年までの話だ。
 この道よりも遥かに利便性の良い直通道路がすでに敷設されていたのが、去年までは有料道路であったのだ。それが無料で解放された現在、山の頂上付近にある送電のための鉄塔へと向かう、運転免許を取ったばかりの若者たちを除けば、この山間道を通るものは殆どいない。

 バイクは、舗装された道路から砂利の駐車場へと侵入する。
 道路と砂利との間には、大きな石がこれでもかと並べられており、二箇所の出入口が形成されていた。
 立入禁止と書かれた看板と、出入口を封鎖していたのであろう鎖とが、無惨に打ち捨てられている。いずれも酷く錆び付いていて、長く風雨に晒されていることを物語る。
 ここには、利用できるものなど何も残っていないのだ。

 エンジン音が止むと、あたりは無音に包まれた。葉を散らす木枯らしも、ここでは息を潜めているようだ。
 ヘルメット脱いだ搭乗者は、澄み渡る真冬の空を見上げた。
「どうしたもんかいな」
 吐く息は白い。

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十四歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。
 師のおさがりであるKLXの慣らし運転。建前としてはそんなところだ。
 この山間道は、直通道路が無料化されてすぐに“峠”となったが、見物できる場所が皆無なこともあって、ショーのようなランは行われない。
 インターバルを組んで、順番に走り出す。ただそれだけだ。
 ここは、走ることが好きな者たちが、単純に気持ちよく走るために集まる場所である。
 葵がそんな場所を訪れたのには、それなりの理由がある。

 ――時は、六日前に遡る。

 葵は、塚原モーターサイクルと書かれた看板の下にバイクを止めた。
 太陽は未だ東の空にあって、もっと暖かくてもいいだろうに、と愚痴の一つもこぼしたくなるほどに蒼く澄み切った空を見上げれば、冬という季節のなんたるかを感じざる得ない。
 バイクを降りた葵は、ボディと同じくライムグリーンを基調としたデザインのヘルメットを小脇に抱え、ガラスの引戸を開けた。
「こんにちわー」
 店主らしき壮年の男が、素早い反応を見せる。
「いらっしゃい」
 油が染み込んだ指先を隠すように揉みながら、一歩二歩と奥から歩み出てきた。
 営業スマイルのぎこちなさが、商売ではなく好きでやっていることなのだと感じさせ、ところどころ黒く汚れたツナギと共に、不思議な信頼感を放っていた。
「早苗のしょぅ」
「おぉ! 早苗のお友達かぁ!」
「ぅかぃ……」
「聞いてる、聞いてるよ! バイクを見て欲しいんだってね」
 くい気味に話す相手に、葵は思わず目を丸くする。
「えっと?」
「あぁっと、早苗の父です。早苗がお世話になってます」
「いえいえ、こちらこそ。早苗はんには良くしてもろてますぇ」
 塚原と葵は、互いに一礼を交わした。
 塚原早苗は葵の大学での友人で、三つ年下の同級生である。祖父が道場を開いており、幼い頃から剣道に心血を注いできた。大学剣道部にも所属する剣術娘である。
 葵は早苗の紹介に従って、この塚原モーターサイクルを訪れたのだ。
「そうですか。あなたですか、三宮さんというのは」
 塚原は改めてそう言い、うん、と小さく頷いた。
「なんですのん?」
「達人らしいね、剣の。小野田君も手玉に取ったとか」
 ぎこちない営業スマイルだった塚原に、柔和な感情が宿る。
「手玉て」
「最初はね、早苗も不満があったらしいんだよ。よくぶつぶつ言ってた『剣を交える相手に本気を出さないなんて――』ってね。だから僕は『今日始めて竹刀を握った相手に本気を出せるのかい?』って言ったんだ。そしたら」
「いや、あの」
「あぁ、ごめんごめん。本人に会えたものだから、つい、ね」
 塚原は、白髪交じりの頭を掻きむしり、申し訳ない、と笑った。
「バイクを見て欲しいって、どこか調子でも悪いの?」
「長いこと眠ってたバイクなんですわ」
「そんなのに乗ってきたの? 危ないよ」
 外へ出た二人を、冷たい空気が包む。
 塚原が、おおぅ、と小さく呻いて肩を竦めた。
「いちおー整備っぽいことはやってはったみたいなんやけど、用心っちゅうか、念のためっちゅうか」
 葵の話を聞いているのかいないのか、塚原は右から左からとKLXを眺めていた。
「ところどころ手を加えてあるね。元は……93年式かな? 随分と古い型だけど。“長いこと”ってどれぐらい?」
「正確な期間は聞いてへんのです」
「ここまで走ってきたってことは、すぐにどうこうなる異常はなさそうだけど……全部点検しておいた方が安心だよね。そうすると一日がかりになるけど、いいかな?」
「よろしゅうたのんます」
「もうすぐバイトから帰ってくるから、早苗の原付を代車に使うといいよ」
「それやと、早苗が困るんちゃいますの?」
 寒いから中へ、と誘われるままに、再度店内へと足を踏み入れた。
「午後は道場内試合だからね」
「内試合っちゅうことは、小野田はんも?」
「彼に見つかると再戦を申し込まれるだろうね。でも大丈夫。こっちには来ないから」
 大通りに面しているこの店の裏手には、塚原道場と塚原家の住居とがある。
 大通りとは言うものの、片側一車線の極々普通の道路だ。道を真っ直ぐ進むと駅があり、そのすぐ傍に大学がある。反対方向に進むと、二階建てや三階建ての集合住宅が連なる住宅地に到達する。大学が建設されたことで近隣に住宅地が形成され、両者を繋ぐ道路が敷設されたため、この塚原モーターサイクルを訪れる客の七割ほどが、大学の生徒及び関係者となっている。余談だが、塚原モーターサイクルでは自転車の修理も請け負っている。
「にしても早苗はん、午前はバイトで午後は試合なんか。ご苦労さんやなぁ」
「小中学生の試合だから、早苗は審判だよ」
「そんなんやから彼氏もようできひんねん」
「キミより先に恋人を見つけてみせると言ってたよ」
「ほんなら、ウチの勝ちどすな」
 葵は、表に止めてあるバイクをチラリと見たあと、にっと白い歯を見せて笑った。