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拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―

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 バイクを運び入れ、点検についての詳細確認を終えると、十五分の時間が経過していた。
「もう帰ってる頃なんだけどな。ちょっと、家を見てくるよ」
 壁に掛けられた時計を見上げ、塚原は独り言のように言う。
 それから、くるりと振り向くと、声を張りあげた。
「シュウ! 店番頼む!」
「あい!」
 すぐに奥から返事が戻る。若い男の声だ。
 表からは見えない奥まった場所にある、三方を囲まれた作業スペース。葵が訪れたときに、塚原がいた場所だ。
「お客さんに失礼のないようにな」
 すれ違いざまにそう言われ、うっす、と返事をしたシュウは、仏頂面で葵の正面に立ち止まった。
「……ども」
 さっぱりとした黒髪短髪で、髪を染めたあとは見られない。ひょろりとした体躯と顔立ちは、まだまだ幼さを残していた。
「あれ、早苗の弟かいな?」
「今はただのバイト。学校に行きながら、ここで」
「大学?」
「整備士の」
「どおりで――」
 葵は、“見覚えがないはずや”と続けそうになった言葉を、強引に呑み込んだ。
 生徒全員の顔を覚えている、などと口走ろうものなら、正気を疑われてしまう。
「なんだよ」
 見た目で過小評価されたと勘違いしたシュウは、店員と客という互いの立場も忘れ、不快を顕にする。
 そうさせたのは、若年者特有の万能感や、自分は優秀であるという思い込みの類ではなく、むしろその逆、自身の未熟と不甲斐なさとを恥じる、自虐めいた意識であった。
 目標とするものがすぐ傍にあるために、憧れという名の強い光によって、影を消されてしまっているのだ。
「それより……あ、あの話は本当か?」
「どの話や?」
「早苗に、か、彼氏がいないっていう話だよ」
「ははーーん」と途端に悪い顔になる葵。
「アホっ! そんなんちゃうわ!」
「ウチまだ何も言うてへんし」
「ヤな女」
 シュウがそっぽを向くと、葵の視界には赤く染まった耳が現れた。
 その耳を、葵は微笑ましく眺めた。
「盗み聞きはアカンで」
「それは謝る」
 ぶっきらぼうに放たれた言葉ではあったが、込められた謝意は及第点であった。
「早苗はええ子やからなぁ。誰かさんみたいに、声を掛けよう思て掛けられてへん男のコは、ぎょうさんおるんやないかな」
 シュウは何かを言い返そうとしたが、葵が真剣であることに気付いて口を閉じた。
「チャラチャラしたのんは嫌いやと言うてた。せやからあの子の好みは、誠実で優しくて、ほんで、自分より強い男、やな」
「最後のがムリ」
 シュウは自嘲する。
「大事なんは、ここの強さや」
 葵は拳を作って、トス、とシュウの胸を突いた。
「ここで働いてるんやったら、まだまだ時間はあるやんか。早苗やったら、そこらの男に引っ掛ったりせぇへん。安心して自分磨きや。な?」
「お、おう」
「ほんなら、ギブアンドテイクや。ここらで気持ち良う走れる場所、教えなはれ」
「いい山間道がある。バイパス道路が無料になって、通行車がなくなったんだ。複雑な道やないから、初心者とコースに行く金がない貧乏人が集まってる」
「アンタも走るんや?」
「一応ね。そこ、週末は仕切り屋がいてな、無茶な走りができんように誘導やってるんよ。ただ、土曜の夜はアカン」
「なんでやのん?」
「でるんだよ。幽霊が」
 シュウは背中を丸めて、うらめしや〜、と幽霊のポーズをとった。
「そら穏やかやないな。冬の怪談なんか凍えてしまうわ」
 肘を抱いた葵は、大袈裟に震えてみせる。
「幽霊そのものは危なくないらしいんや。勝負を仕掛けた命知らずがおるねんけど、勝っても負けてもどっちもピンピンしてる。ほんで、安全やと分かった途端、幽霊と走ったろかいう奴らがわんさか押し寄せてん。普通には走られへん」
「つまり、土曜の夜にだけ現れる幽霊がおるっちゅうことか」
「そういうことや。って俺の顔、何か付いてる?」
 シュウは、きょとんとした顔で葵の返事を待った。
「アンタ、早苗にあわせよ思て関西訛りを使うてへんのやったら、逆効果やで。ウチに釣られて訛りが出てもうてるし」
「そうかな?」
「そうや」
「逆効果?」
「逆効果や」
「気をつける」
「早苗のお父はんにも気ぃつけなや。早苗が目的でここにおるのがバレたら、追い出されてまうで」
「そんなんとちゃうわ!」
 シュウは声を荒げた。誤魔化しや取り繕いのためではない、純粋な怒りの声だ。
 しかしシュウは、そのまま続けようとしていた言葉を、すべて失ってしまった。怒鳴られたにもかかわらず、葵が嬉しそうに笑っていたからだ。
「その意気や」
「あ……おぅ。しっかし幽霊のヤツ、勝負に負けたんなら潔う成仏せいやってな。何が目的で化けて出てんねのやろな?」
 何かを誤魔化すように、シュウは早口で喋りたてた。
「アンタも走るんやろ? 何で走っとるんや?」
「何でって、楽しいから」
「うん。それが答えやろ」
 葵は、にっと白い歯を見せて笑った。
 ほぼ同時に、カランカラン、と乾いた鈴の音が響く。
 ガラスの引戸が開けられたことを報せる音であり、同時に本来の入口はそこであることを示している。葵は、入口ではないところから入ってきた、ということだ。
「すんまへーん。自転車パンクしてもうたんですー」
 恥ずかしそうにしながら店内に足を踏み入れたのは、中学生ぐらいの女の子だった。寒さで頬が赤らんでいる。
「お客さんや……で!」
 葵は拳を作って、ドス、とシュウの胸を突いた。
 唖然と葵を見つめていたシュウは、先ほどより少々手荒い突きを受けて、意味不明の言葉を吐き出した。
 葵は、よろよろと歩きだしたシュウの背中を見送りながら、いらっしゃい、と女の子に声を掛けた。
 そうして次は、自身の背後に向かって、盗み聞きはあきまへんで、と声を掛けた。

 *  *  *

 脱いだヘルメットを、タンクの上に置く。
 日没が近づくにつれて気温は下がり続けている。雨も雪も降っていないが、路面が凍結するほどではない。
 ライダージャケットの首元からマフラーを引き出して、口と鼻とを覆う。吐く息の湿気が、鼻頭に僅かな温もりを与えた。
 葵は寒さが苦手である。そして、暑いのは好きではない。
 辺りは相変わらずの無音で、静寂が耳に痛いほどである。だが――
「……えねぇのか、人間」
「……んじをせい、人の子」
「……るでない、小娘」
 いずれも常人には聞こえぬ声である。それは音量の問題ではないし、周波数や音域の問題でもない。いうなれば、霊波数や霊域の問題である。
「聞こえねぇのか、人間」
「返事をせい、人の子」
「無視するでない、小娘」
 三人の妖怪が葵を取り囲み、口々に葵に対する呼び掛けを行っているのだ。
 若い男、翁、そして艶女。いずれも古い日本式の着物を纏った人の姿。尊大な物言いに比べ、その姿はみすぼらしいものであり、妖力もまた、吹けば消えてしまうような、なんとも弱々しいものであった。
 諦めのため息を一つ。
 すっかり脱力した葵は、しぶしぶ口を開く。
「なんやのん、あんたら」
「聞こえてんじゃねぇか」
「ようやく返事をしおったな」
「無視するなんて酷いじゃないのさ」
「一人ずつ喋りや!」
 三方向からのサラウンドに、葵は一瞬にして沸点に到達したのだ。