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毒虫少女さみだれ/私に汚い言葉を言って

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PHASE 3 : THE HAUNTING


■ □ ■ □ ■

 めぞん跡地の辿ってきた歴史は、それなりに複雑怪奇なものだったと言っていい。
 あの大家などは言わずもがな、入居者は祖父曰く選別され、ふるいにかけられた変人奇人揃いで、とにかく一日たりとて妙だなと感じないことはなかったのだという。祖父自身がすこぶるつきの変人だということを差し引いても、彼の言葉は概ね正しいのだろう。物心ついたときからこのアパートに暮らし、今ではほとんど最古参の一人にまでなってしまった五月雨にしても、それを認めないわけにはいかなかった。
 五月雨を除くほとんどの入居者達が引っ越してしまい、新たな住人が押し寄せたのはつい最近のことだ。今までとは相当に毛色の違う連中が取り揃えられたな、というのが偽らざる本音だった。今度は一見普通に見える人を優先したのだろうか──大家にそう尋ねたが、いつものように曖昧な笑みで誤魔化されただけで、肯定も否定もされなかった。年齢不詳のあの美女は、どうでもいいことに関しては全て応えてくれるくせに、大事なことは何一つ教えてくれない。
 一見普通に見える──明らかに異質な住人というのはほとんど見受けられない。
 自分のように、異質を騙る人間もいない。
 無理にでも一人挙げるとすれば──やはり、一階に暮らす中年男の同居人になるのだろう。
 ──全裸で血塗れは。
 明らかに異質だ。
 異質で──異常だ。
 もとより霊体である彼女が異質でないわけもない。
 ──まあ、霊とかそういう戯言はどうでもいいんですけどね。
 どれだけ奇異な目に遭おうとも、五月雨はいわゆる幽霊というものの存在を信じていない。目に見えようが声を聞こうが、それを霊だとは認めていない──あくまでも世間一般で言われる幽霊に似ているというだけの話で、実際には全くの別物だというのが五月雨の認識だった。
 ──ようするに、記憶の残照みたいなもんだよ。
 ──大抵はすぐに消えるもんさ。
 ──人に危害を加えるようなことは、まあ、まずねぇやな。
 ──何事にも例外ってのはいるがね。
 淡々と語る祖父の口調を思い返し、頭の隅に鈍痛を覚える。祖父もまた、心霊だの何だのを一切信用しない人だった。他の奴らに見えず自分にだけ見えるようなものがあるとすれば、大概は幻覚か妄想だというのが祖父の口癖で、死んだ人間ですら幽霊とは別物だというのが彼の持論だ。五月雨もその持論には共感していた。
 死んだ人間と幽霊は全くの別物だ。
 似て非なるものだが、結局のところ似ているだけで非なるものでしかない。
 わかりきったことをつらつらと考えながら、五月雨は“それ”を掴んだ掌に力を込めた。万力のような全霊の握力を振り絞り、締め上げる。華奢な体格と病的な色白のせいで勘違いされやすいが、晩生内五月雨という少女の身体能力は冗談じみた高さを誇っている──他人に披露する機会は滅多にないのだが、久し振りに見せびらかした相手が彼女だというのはひどい皮肉だった。
 彼女は既に肉体の呪縛から解き放たれている。物を見るための感覚器も、情報を取捨選択するための中枢神経も、筋肉を稼働させるための末端神経すら必要としない。そうであろうと念じるだけで自在に身体を変化させ、障害物を透過し、場所を移動することができる。
 便利だとは思う。だが羨ましいとは思えなかった。
 つまるところ彼女は、肉体を失って精神化した人間だった。有り体に言うなら幽霊になったということになる──他にわかりやすい呼び名もないので、持論はともかく幽霊と呼称するしかない。祖父は確か、精神体だか思念体だか、そんな呼び方をしていたような気もするが。
「……僕は何だって良いんですけど」
 実在しないものを掴み、握り潰していく。
 本来ならば存在しないはずのものに触れようとしているのだから、方法などどうでもいい──最も信頼できる肉体の感覚に頼り、筋力だけですり潰せるはずだと信じ込む。大家曰く、力技どころではない無茶苦茶だとのことだったが。
 幽霊の頭を掴んだまま、狭苦しい部屋の床に叩きつける。痛みなど感じてもいないのだろうが、衝撃そのものは伝わったらしい。驚愕に顔を歪める幽霊を畳の上に組み伏せ、脇腹を数度蹴ってから背中を踏む。蛙が潰れたような音を漏らして呻く幽霊を見下ろして、五月雨は自分に冷静でいることを厳命した。
 部屋に虫が出たときの気分に似ている──下手に刺激して逃がすようなことがあってはならない。だが一度捕まえたらきっちり死ぬのを確認するまで殺虫剤の噴霧を止めない。
 まさに幽霊とは虫のようなものだ。見たくないときはどこにでもいて、見たいときにはどこにもいない。ノックもなしに部屋の中へと上がり込み、我が物顔で歩き回る。
 つくづく──虫だ。
 ──僕も人のことは言えませんが。
 ぎゃあぎゃあと泣き喚く幽霊の頭を踏み潰し、畳の表面で摺り下ろす。音は自分以外の誰にも聞こえず、畳が汚れることもない。幽霊はただ孤独に滅んでいく。
「──僕の『言葉』を『聞き』なさい──」
 血に塗れた頭に足を乗せたまま、五月雨はゆっくりと唇を解いた。言葉が滴り、幽霊の体がびくんと痙攣する。
「──あなたの身の上には同情しましょう」
 ──あなたは不幸で、
 ──あなたは弱く、
 ──あなたに抗う術はなかった。
「それでも──僕は、あなたを許すつもりはありません」
 ──この部屋に勝手に入ってくるのも、
 ──このアパートに侵入することも、
 ──僕の暮らす範囲に踏み込むことも、許さない。
 虫が、親子ですら喰らい合うように。
 共食いに振るう牙が特別鈍るようなことはなかった。
「──僕の『毒』では『殺し』ません。その権利は僕にない」
 ──だけど、
「『殺さない』だけです。意図があろうとなかろうと、不可抗力だろうと何だろうと、誰かに命令されていようが何をしようが、あなたが僕の視線に触れた時点で──僕は、あなたに『死ぬ』こと以外の全てを与える。死ぬ寸前まで服毒させる。わかりましたか? わかったら──

 ──さっさとどこかに消えなさい、アキヤマナントカさん──

 ──娘のことが気になるのなら、生きている内にそうすべきだったんですよ」

 血塗れの女が、絶叫と共に消えていく。
 全身焼け爛れて、
 切り裂かれた喉からどす黒い血を垂れ流し、
 憔悴と絶望を深く顔面に刻まれた女が──消えていく。
 軽く膝を払い、五月雨は足の裏に畳の感触があることを確かめた。ソックス越しに伝わる冷気はいっそ清々しい程のものだったが、まともな暖房器具のないこの部屋ではどうしたところで向き合わなければならない問題でもある。出かける前にせめて雨戸を開けておけば良かったと後悔しながら、蛍光灯の明かりに照らされた室内を見回した。
 正月だろうが何だろうが、この部屋に劇的な変化が起きるわけでもない。相変わらず室内は雑然としているし、カラーボックスには無数のホラーDVDが陳列されている。さすがに衣類は年末の大掃除で片付けたものの、あと半月もすればまた床も見えないような惨状になり果てるだろう。どれだけ汚れたところで、人に見せる機会も滅多にない──滅多にない機会が訪れたとしても、素直に汚い部屋を見せてやれば済む話でもあった。