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南 総太郎
南 総太郎
novelistID. 32770
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幽霊機関車

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しかし、私は番長の言葉など耳に入りませんでした。
私の頭の中こそおかしくなりそうで、パニック状態を引き起こしていました。
信じられない出来事が、現実に起こっているのです。
昨夜の妄想に出てきた馬鹿げた光景が実際に発生していたことを知ると、心底から怖くなって来ました。

その日は、一日中授業に身が入らず窓の外を眺めて過ごしました。
 (勇ましく煙を吐く蒸気機関車が、客車も貨車も曳かずにむやみに汽笛を鳴らしながら所構わず走り回っています)
突然、担任の先生に耳を引っ張られました。
後刻廊下に立たされた時も、膨れ面だと言って頬をつねられました。綺麗な顔が意地悪そうに歪んでいました。日頃好感を覚えていただけに衝撃は大きく、あの仕打ちは未だに忘れられません。代用教員だった彼女は、生徒に馬鹿にされたと勘違いし、過剰反応をしたのでしょう。

家に帰ってからも、先生のあの歪んだ顔がちらつきましたが、やはり頭の中はほとんど機関車の事で一杯でした。
十七畳半の表座敷から庭越しに晩秋の夕空を眺めていたら、叔父が外から帰って来て、
「坊や、今日の青年会の会合で変な話聞いたど。K崎の事故現場からちけ(近)い山の方へ上った所んええ(家)が、ゆんべ一軒ぶっ潰れたんだってよ。そのええ(家)にゃ爺さんが一人で棲んでたとかで、気の毒にええ(家)の下敷になっておっち(死)んじまったと。Y町警察が調べたけっど、原因が判らねえって言ってたそうだ」
私はこの話を聞いた瞬間、今朝学校で聞いた目撃談と重ねていました。
(もし機関車が家にぶつかったらどうなるか?)
(例の交通事故も、その機関車が相手だったらどうだろうか?)
「叔父さん、原因は機関車だよ。蒸気機関車に潰されたんだよ」
「あに(何)?、機関車に?馬鹿なこど言うもんでねえ。そんなもんがあんなとご(所)走る訳ねえだろが。坊や、夢でも見でんのか?」
「いや、夢じゃないよ。ほんとに蒸気機関車が走ってるんだよ。叔父さん」
叔父は、私の顔をまじまじと見ていましたが、
「もしほんとだどしても、レールのね(無)えとご(所)をおめ(重)い機関車がどうやって走しんだ?。土にめり込んですぐ動けねえようになっべえ」
「そこんとこがおかしいんだけど。兎に角、機関車が走ってるのを見た者がいるんだよ。場所も同じらしいし」
「まあ、家がぶっ潰れたこどはほんどらしいけっど、そんな漫画みでえな話は信じられねえな」
叔父はそう言いながら、今朝の新聞を持って来て拡げ始めました。
社会欄のページを眺めていましたが、
「まだ、その記事は載ってねえな。ゆんべの事件じゃ今朝の朝刊には間に合あわねえか?」
叔父の独り言を耳にしながら、私はあの生徒が出まかせを言っていたのかなと、再び自信が揺らいで来ました。
叔父の言うように重量のある蒸気機関車が普通の道路を走れるわけがありません。
そんな事は誰でも知っています。
あの生徒はやはり番長の言うように、頭がおかしいのかも知れません。
しかし、そうなると家が潰れた原因は何か、別の理由を考えなければなりません。
(とにかく,その家を見て来よう)
私の様子を見て、叔父が言いました。
「坊や、やっぱり見でく(来)っか?」
「うーん、行って来る」
叔父の声に背中で答えながら、足先に藁草履をつっかけました。

今頃の季節は日が短いです。
気温も下がり始めています。
この前の交通事故の現場からそれほど遠くはないとタカをくくっていましたが、「馬捨て場」の前に差し掛かった時は、すでに日が沈みかかっていました。
黄色く枯れた葦原が妙に黒味を帯びて見え、風も出て来たのか葉が揺れています。
先日事故現場の帰り道に通り過ぎた時、妙な寒気を覚えた事を思い出しました。
「馬捨て場」だからお墓には違いありませんが、人間のお墓とは違いそれ程薄気味悪さを感じてはいませんでしたが、こうした日暮れ時ともなると、やはり気持ちのよい場所ではありません。
足早に過ぎ去ろうとした時、突然鳥肌が立ち、微かな寒気を感じました。葦原の一角が、ぼわーっと橙色の明るみに覆われたかと思うと、その中に人型のものが白っぽく浮かび上がりました。
驚いて立ちすくむ私に向かって、その人型が口をききました。
いや、口をきいているかのように思いましたが、耳に伝わる音声ではなく、直接心に話しかけて来るものでした。
「坊、元気カー?」 
とても懐かしい気分になり、私はすっかり怖さを忘れていました。
(ゲンさん)
半裸の中年男の姿が、私の脳裏に浮びました。
(あのゲンさんが、なぜこんな所に?)
一瞬私の頭の中をゲンさんとの数々の思い出がよぎりました。

去年(昭和二十年)の秋でした。
集落の家々に、毎日何人もの「物貰い」や「俄か乞食」が次々に訪れ、幾らかの米や野菜を分けて貰って帰りました。
その中の一人がゲンさんでした。

以前から、近隣の土地の乞食が二人ほど代わる代わるやって来ては、庭先で何かごにょごにょ言って、米とか野菜を貰って帰って行きましたが、それはのどかな田舎の一風景としてそれなりに村人に受け入れられていました。
 そこへ突然現れた新たな訪問者たちは、前述のように二通りの呼び名を持っています。
当初は戦争の罹災者という不幸な境遇に同情し「物貰い」という表現が用いられましたが、訪問者の数が余りにも多くなり、遂には農家の人々の同情心の域を超えてしまい、逆に軽侮の念を覚えるに至り、「俄か乞食」と言う表現に代わったものと考えられます。その背景には、当時農家といえども米の在庫は決して豊富ではなく、自分達の分をやむなく分け与えていたと言う事実があります。
農家は供出制度により自分達の食べる分を除いて、すべて政府に召し上げられていました。仮に都会の親戚などの分を確保するとなると、怖い検査官の目を盗んで何処か安全な場所
に隠さねばならず、それだけに国の使命を帯びた検査官の目は厳しく家の隅々まで探しまくったものです。
 つまり、食糧統制の厳しい時代でした。
 私自身も家宅捜索じみた検査方法とそれを執行する検査官の横柄な態度に嫌悪感を覚えたものです。
 時々当時の農家の人々は吝嗇だったとの陰口を耳にしますが、こうした事情もあったことをご理解いただければと思います。
 ところで、検査官の指名がいかなる方法で行われたかは知りませんが、所詮同じ土地に暮らす人間ですから、大人達から悪口を聞いた子供達は、検査官の子弟に辛く当たったりしました。  
 現に私のクラスにも検査官の息子がいましたが友達は少なかったようです。
 因果な話です。

さて、ゲンさんが私達の仲間入りをしたのは、F岡某という旅芝居の一座が村にやってきた時でした。芝居のクライマックスで「なんとか屋」の掛け声に混ざって、
「ケン、ケン、ケンタマー」
と大きな声が掛かったのです。         
作品名:幽霊機関車 作家名:南 総太郎