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刻の流狼第三部 刻の流狼編

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episode.26


 心と体は異なる存在なのかも知れない。
 考えるよりも先に体が衝動的に動き始める時もあれば、どれだけ心が逸ろうとも体が竦んで動けぬ時もある。心と体が伴わない時間が長く続けば、それは苛立ちに変わる時もある。
 人は心のみにて人にはならず、体のみにても人にはならない。
 ならば心と体が同時に異なる壁と相対した時、その時人はどちらに先に打ち勝つ術を見出すのであろうか。


 * * * *


 二本目の煙草に火が点る。
 ゆっくりと立ち上り天井付近で消えていく紫煙をシャリノは暫く見つめ、忘れられない過去を話し始めた。
「俺が九つの時に、俺の不注意からベリザが崖から落ちてな、そりゃあもう血は吹き出てるわ、そこら中から骨ははみ出てるわで、マジで死ぬ寸前だった」
 とても楽しく出来る話の内容ではなかったが、彼の口振りは良い思い出の響きを醸し出していた。
「流石に俺も焦って、誰かを助けに呼ぼうとは思ったが、近くに家はないし、他に人は見当たらないし、ベリザは虫の息だし、咄嗟に俺がしたのが神頼みだ」
「それでオレアディス様が?」
「ああ、びっくりしたね。情けないが泣き叫ぶしか出来なかった俺の前に、いきなりそれまでの人生の中で、まあ今もだが、見た事のない綺麗な姉ちゃんが目の前に現れたんだ、びっくりするに決まってるわな」
 そう言って何が可笑しいのかシャリノは、喉を引きつらせる様な笑い声を出し、それが納まるまで話を中断させた。
 シャリノが可笑しかったのは、その時の自分が、重傷のベリザを放ってその女性に見惚れていた事だが、検討などつく筈もない須臾には彼の様子を呆然と眺めるだけだ。
「まあ、それでだ、驚いた事に、その姉ちゃんが言う訳だよ。ベリザを助けてやるから自分のお願いを聞いてくれって」
「お願い?」
「そう、お願いだ。なんか妙に呑気な言い方だったが、その時は焦ってたし、俺もまだ正真正銘のガキだったから、それを飲んだ。そんでもって、ベリザはものの見事に治して貰った」
「………」
「難しい事は俺には判らねえけど、その時から俺は先の人としての成長を、ベリザは人としての感情を失った。その代わり」
「オレアディス様が実体化できる様になった」
「その通り。俺の力は、オレアディス様と繋がっている成長の部分の副産物だ」
 彼がミシャールに事実を話さないのは、真実を言えば少なからずオレアディスを彼女が憎むかも知れないからだ。見返りもなく助けてくれていたら、シャリノが子供のままで居る事も、ベリザが表情を無くす事も無かったと、必ず思うからだ。
 貪欲な人の心は、力在る者を尊敬するが、反対に憎悪もする。
 出来るなら自分達を助けた者を、その対象にして欲しくなかった。
「オレアディス様は俺の人生の時間を、人として過ごすと言った。俺が今も生きているって事は、オレアディス様の人としての人生は終わってる筈がない」
 突然シャリノは口調を変え、含みのある言い方を須臾にし、須臾はその言葉に表情を堅くした。
「なのに、俺は最近オレアディス様に会った。人の姿じゃなく、精霊神としてのオレアディス様にだ。……此処からは俺が話を聞く番だ。お前の連れ、恒河沙と言ったな、彼奴がオレアディス様の子供か?」
 問い掛けでありながらその言葉は確信めいていた。
 須臾はシャリノから視線を逸らす事はしなかったが、それでも口は重く、両手は無意識に握られていた。
 その仕種だけでもシャリノの言葉の肯定となっていた。
「そうか、やっぱりな。最初に会った時から、どうもそんな気配が感じられていたんだ。オレアディス様の気配がするってのもあったが、もう一人の自分が居る様な気持ちの悪さだ。この気持ち悪さが判るか?」
「流石にそれは……。だけど、勿論あんたの話を疑う訳でもないし、……聞かれた事を否定もしないけど、それじゃ恒河沙が今此処に居られるのまでもが、あんた達の力で成り立っているとでも言うの?」
「知るか、そんな所まで。俺は見たまま感じたままに言ってるだけだ、真実が知りたければ直接オレアディス様に会って聞くしかない。だが現実としてオレアディス様が元の姿に戻った、そして彼奴からは俺の気配がする。後は俺とお前が此処で何を言おうと、全部が想像だ。――もっとも、その様子じゃあ彼奴自身は、自分の親の事も知らねぇみたいだな」
「言わないでくれ! 恒河沙は自分が人間だって信じてるんだ。自分の母親がオレアディスなんて全く知らないんだ」
 須臾は思わず立ち上がってシャリノに詰め寄った。
「オレアディスにもそう頼まれているんだ、だから、この事は誰にも言わないで欲しい。それに……確かにあんたの予想が正しかったとしても、あんた達のお陰であいつは今の姿で居られるのかも知れないけど、もしかしたら本当の人間かも知れない。……だから」
 間違いなく須臾は自分自身にそう言い聞かせていた。
 少なくとも恒河沙は、あの大剣に関わる事以外は特別な力など持っていない。喧嘩をすれば怪我をするし、怪我をすれば痛がりもする。シャリノの様に触れた物を跳ばせる力もなければ、ましてや……
――ソルティーみたいな……ッ。
 考えまいと思っていた事を不意に過ぎらせてしまい、須臾は重苦しく頭を振った。
 そんな肩の荷を感じさせる須臾の姿に、シャリノは溜息を吐き出した。
「はぁ……、場所を移して正解だったな。判った、内緒にして置いてやるよ。まあ、俺もオレアディス様に頼まれてはいた手前、どうするか考えていたんだ」
「……何を?」
「手助けをして欲しいと言われた。ただ、何をどうするかなんては無かった、殆ど一瞬みたいなもんだったし。だから俺は一度、彼奴に会わないとと思っていた」
 だからミシャールとベリザを恒河沙の元へ送った。もしも恒河沙がリグスに来ていなければ、ミシャール達を危険から回避させられる可能性を含めた賭だった。
 だが実際にこの様な結果になり、もしかすると自分の知らない所で何かが起きているのではないかと感じていた。
「しかし、彼奴自身がそれを知らないんじゃあ、俺はどうする事も出来ねぇ。ある意味助かった。俺はガキ共を護らなければなんねぇからな」
「そっか……」
 力が抜けた様に須臾は梁に座り直し、重くのし掛かる重責をどうするか悩んだ。
 シャリノの話を自分の知りうる話と統合するなら、恒河沙の人としての時間は限られたものだ。
 今までずっと母親がどうであれ、恒河沙が変わる事は無いと信じていた。
 それが何時の日か何かが起こるかも知れないのだと思うと、自分にその時何が出来るのかと不安になる。
 そしてその時まで自分が傍に居られるのか、不安を拭い去るには余りにも大きな問題だった。





 広いだけが取り得の様な屋敷の中は、何処に行っても誰かが居る様になっていた。そしてその殆どが好奇心を抑えられない子供ばかり。だが廊下を外見に似合わず静かに歩く竜族を見ても、誰一人として近付く者はいなかった。
 竜族が恐かったのではない。敏感な子供達は、ハーパーの厳しい気配に足を止められてしまったのだろう。
 そんな重々しい雰囲気を背負う大きな背中を見つめながらある恒河沙は、ずっとソルティーの顔を脳裏に浮かべていた。
 気になって仕方がない。