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NIGHT PHANTASM

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11.賽は投げられた(1/5)



――いってみれば、ただのビル、もしくは工場。
実際、表は製薬会社の工場として動いているようだ。だが、そこで働く関係者は全員ナハティガルの一員である。
ハンター稼業をやめ、工場で働き余生を過ごすものも少なくないようだった。まったく、長い間うまいこと隠しきってきたものだ。
地上に見えている部分はそれほど面積がないが、ナハティガルとしての領域は地下に根を張るように広がっている。
人間にとっての墓場、吸血鬼にとっての寝室も存在するとレンフィールドはちらりと口にしていた。地図は受け取ったが、広い。
「……マスター、ここがおそらくあの男の言っていたホールでしょう。どうぞ」
そう言い、ルイーゼは手にしていたてのひらに収まる大きさの機械を差し出した。吸血鬼をホールに集めると言っていたレンフィールドが事前にティエ達に預けていたものだ。
それは、一言で済ませてしまうなら盗聴器だった。現代の機械を嫌う吸血鬼は多い。壁に埋める等せずとも、死角に配置しておけば知られてしまう可能性は低く、それを生かした結果ティエ達はホールに響く声や音をほとんどノイズもなく聞き取ることができる。つまり、高精度の盗聴器が使用できた。
万が一見つかったとしても、まさかそれがレンフィールドの仕掛けたものとは誰も思うまい。二重にも三重にも計算された疑心暗鬼を呼ぶトラップに、ティエは複雑な思いを隠せない。
「あと十五分……」
受信機を受け取り、ティエは呟いた。暗闇の中、工場を囲む森はいい隠れ場所になる。見ている限り、人間の出入りはほとんどない。見張りが立っていることもなく、静まり返っていた。
裏口と、地下へ通じる非常扉の鍵はあらかじめ受け取っている。あとはタイミングを見計らい突入するだけなのだが、それまでに決めておかなければならないことがまだ残っていた。
「ルイーゼ、アンナ。私は単独で動く。あなた達はどうする?」
ティエはあくまで、それを二人の判断にゆだねた。その甘さがいつか命取りになる、という言葉を忘れて。
対して、ルイーゼとアンナは黙って視線を合わせていた。どうするかはもう、ほとんど決まっているようだ。ただ、確認が必要だった。視線の理由はそれだけだろう。
「別ルートを取ります」
「用意された時間は一時間。……深追いはしなくていい。来た道を忘れないで」
「はい」
双子の声が、重なった。一時間後に、地下はレンフィールドの手によって毒ガスに満たされる予定になっている。
吸血鬼にはさほど害もないが、人間が吸えばまず生きて出口にはたどり着けない。その上出口は封鎖されるという。ティエはその作戦に反対したが、確実性を高めるためだと言われ、最後には折れた。
標的の全員がホールに確認できなければ、連絡するとレンフィールドは言っていた。様子を見るに、揃っているようだ。
時間が迫る。
「アンナ、それは?」
「銃です」
「あんなに、使いたがらなかったのに……」
「距離をとられると、厄介ですから。念のためを思って持っているだけです。必要にならなければ、使いません」
「……」
それ以来、沈黙が続いた。
この夜を越せれば、安息がくると信じていい。もう、異端者として追われることも――完全にとはいかないが、なくなる。自由になれる。
ティエは思う。
終わったら、二人を休ませよう。行きたい場所があるのなら、連れていってあげたい。欲しいものを言ってくれればどうあってでも用意する。
そして、今度は人を殺す術ではなく、普通の人間に戻るための訓練をはじめる。
街を歩くのに、過剰な警戒心などいらなくなるように。安心させてあげたい。娘を、抱きしめたい。困った顔をして、笑われたい。夢を叶えたい。
失敗は、許されない。
じっと、三人は時を待った。


「全員揃ってるな」
「はい、間違いありません」
それは声ではなかった。唇だけをわずかに動かし、二人は意思の疎通をはかる。エルザは珍しくバイオリンケースを持たず、スカートの下、足にベルトを装着しナイフを隠したのみだった。
確認したのち、レンフィールドは自ら扉を開ける。両手で押し出された扉の先に、自らへ向けられるいくつもの視線が見えた。


「ヨーロッパといえど、事実上現在のナハティガルが機能しているのは一部に過ぎない。この事実を……」
淡々と、それでいて煽るようにレンフィールドは演説を続ける。トップの椅子をとったのは伊達ではなく、ホールにいる誰もがレンフィールドのカリスマに射抜かれていた。
赤い液体に、製薬工場という表の顔を利用した毒が含まれていることも知らずに。
野心をすでにあらわにしている者。たくみに隠している者。ただ大きな流れに身を任せている者。
レンフィールドの隣に立つエルザは、暗く広がる紫の瞳でずっとその様子を見ていた。この後何が起こるかも知らない愚かな豚が、集っている。心の内で、そう呟いた。


時計の針が、予定時刻を指した。
「では、堅苦しい話はここまでにしよう。乾杯だ」
ワインの注がれたグラスを掲げ、レンフィールドは言った。導かれるようにして、ホールの誰もが手元のグラスを取り同様に掲げる。
一人。
二人。
三人。
十人。
五十人。
飲みほしていく。何の疑いもなく、無害なふりをした赤い猛毒を誰もが嚥下していく。そのさまを見て、レンフィールドはぞくぞくと背筋が痺れ興奮を覚えた。
――ショータイムだ。
唇だけで、言った。
幕開けだった。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴