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NIGHT PHANTASM

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08.ビッテンフェルトの黒百合(4/6)



『アンナという人格』には、大きな欠点があった。
人を傷つけ、殺すことを愉しみ、それに対しては一歩も譲らない頑固さ。殺されるか、殺すかのギリギリの死線が彼女に生きる楽しみを与えてくれる。
片割れであるルイーゼにそういった面がないとは言い切れないが、アンナの場合はそれが顕著すぎた。
長けているにも関わらず銃を理由がない限り使用しないのも、刃物で『直に』獲物の肉を裂き命を奪っていく感覚を味わいたいがためともとらえることができる。
彼女はいつか、言っていた。
今まで殺めてきた人間達の怨恨が、天に昇ることもできない魂が、自分という亡霊――ファンタズムを生んでいるのだと。


ティエは自らだけではなくアンナの片割れであるルイーゼにも、勝負という餌に興奮しきった彼女を止めるよう言ったが、まともに聞き入れる様子はない。
無駄だと、わかっていたのだ。
片割れであり、半身であるルイーゼには最初から、こうなったアンナを止められないことを理解していた。
「……レン」
やめて、と言いたげな顔でティエは訴え続ける。
狂犬と化したアンナは、歯止めがきかなくなるかもしれない。それ以前に、このようなものは演劇を鑑賞することとは違う。
「大丈夫だよ、ちょっとした試験だと思えばいい」
そう言うレンフィールドの横顔からは、ティエとは反対に何も読み取れなかった。ブロンドが夜風に揺れて、沈黙の庭にわずかな変化を与える。
ホテルを出て、数十分ほど歩いただろうか。気が付くと目の前にあったそれは、大きな屋敷だった。
聞くと、それはレンフィールドの所有する別宅だという。
死んだも同然の、何に使うこともない『家の形をした墓所』だよ――そう言う彼の表情には、少し自嘲とかげりが見えた。
大きさと存在感に警戒を煽るがゆえに、待ち合わせ場所に使われることもなく、ここ数十年は客人を迎え入れたこともない、ただ、在るだけのもの。
だが、手入れされた芝生の他に何もない、広さだけがとりえの庭は勝負の場に丁度いい。それが目を合わせての最後のやりとりだった。
そうして今、役者は揃っている。
「……」
アンナとエルザは、数十メートル距離をあけて対峙したまま動かない。合図など必要なく、ただ互いのどちらかが先に動くかで揺れているだけだ。
エルザの得物は、意外にもナイフだった。アンナのものよりかは若干小型ではあるが、手入れの行き届いた質のいいものだということは遠目でもわかる。
ティエは薄々、嫌な予感ながらも勘付いていた。
隣に立つ彼は、レンフィールドは、わざとエルザにナイフを選ばせたのだ。アンナと対等な位置に置き、闘争心を煽ると同時に実力の差を見せつけるために。
「ルイーゼ」
「はい、マスター」
「この先何があっても……一歩も、動かないように。手を出しちゃ駄目」
「御意」
会話を聞いて、くすりと笑うレンフィールド。
「それがいい」
意味深な言葉の真意を探る前に、月下の舞踏は闇を切り裂く勢いで開始の合図を告げた。

先に動いたのは、エルザだった。
姿勢を低くし、切り払いとも刺突とも読めぬ構え方でまっすぐに向かってくる。見るなりアンナは迎撃するべく構え、相手のアクションの一つ一つに集中した。
その体勢を崩そうと、エルザは軽い滑り込みとともに切り払う。素早く飛びのいたその目の前で、風の切れる音がした。
音だけで肌をたやすく切り裂いてしまえそうな迫力があったが、アンナはひるまずに突進をかける。エルザの肩を突き飛ばし、そのまま後ろに押し倒した。
横転がりに逃げられる前に、自らが馬乗りになり行動を封じる。相手のナイフが動いたのを見逃さずに、刃と刃をぶつけあうと、たやすくエルザのナイフは手を離れた。
――こんなに、あっけないものかとアンナは心中思う。
鍛えられていても、所詮は少女だ。その頼りない体格に制限された動きが、場合によっては命取りになる。勢いのまま首筋にナイフを埋めようとして、アンナは凍りついたように動きを止めた。
わき腹の周辺を這いまわる熱。そして、追うようにしてやってくる激痛。かぎなれた血の匂いが、意識をぐらぐらと揺する。
「……あ、うっ……」
痛みに慣れているはずだというのに、不意を打たれたアンナはわずかにうめき声を漏らす。痛覚をたどると、たやすく刺された場所は把握できた。
腎臓だ。
付近には神経が集中しており、その一つ一つが苦しさのあまり絶えず悲鳴をあげている。
冷静さを失ったアンナでは、相手が予備のナイフを隠し持っているという、そんな単純なことにも気が付くことができなかった。
蹴り上げられそった体が戻る前に、するりとエルザが抜け出てみせる。先ほど手放したナイフを再び手に取ると、無慈悲にアンナの前へと立った。

「レン!」
「まだ勝負はついてない。どちらかが、負けを認めるまで誰にも止められんさ」
「……」
「エルザが、ビッテンフェルトの黒百合と呼ばれていたのはな、私の元についてからじゃないんだ……それより前のことなんだよ」
「え?」
求めていたこととはかけ離れたレンフィールドの呟きに、ティエが怪訝な顔と声で応じる。
対するレンフィールドは、ティエに目もくれぬままじっとエルザ達を見つめていた。瞳に、どこか甘い毒を宿して。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴