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NIGHT PHANTASM

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07.I'm here(2/6)



ただならぬ雰囲気。それが殺気だと、幼い二人にわかるはずもない。
濃い血の匂いが、二階の廊下まで霧のように伝わってきていた。父と母はどうしたのだろう。喧嘩をしたとて、このような事態になったことは一度もない。
ぎし、ぎし、と一階を誰かが歩いている。
その音が鮮明に聞こえてはじめて、二人は外の雨がうそのように止んでいることに気付いた。
聞こえてきたのは足音だけではない。荒い息づかい、ぶつぶつと呪詛のように繰り返される気味の悪い声。
家族以外の誰かが、今、この家にいる。
本能的に、二人は身の危険を感じ取った。先ほどの悲鳴は母のものであり、怒号は父のものだった。
殺されてしまったのだろうか。
誰に?
何故?
答えは出ない。だが、真相を確かめるのに一階へ降りるのはあまりにも危険だ。まだ、怪物がかぎまわっている。
自分達を探しているのだろうか。いないと知れば、次は二階へ来るだろう。二人は、音をたてないように自分達の部屋へと逃げ込んだ。

袋小路。
扉の向こう、階段をきしませながらゆっくりと怪物が迫ってくる。見つかったら食べられてしまう、逃げなくてはいけない。
だが、窓から飛び降りるという選択肢は恐怖に追い詰められていても二人の脳裏に浮かばなかった。ベッド、いや、ベッドは駄目だ。
「アンナ」
胸が激しく鼓動する。心臓が、どうかなってしまいそうだった。ルイーゼが、開いたクローゼットの中を指し示す。
「入って、閉めるから……あとは、動かないで」
「姉さんは?」
指示に従いながらも、泣きそうな声と表情でアンナは問う。隣の部屋で、物を荒らすような音が聞こえた。時間がない。
「ベッドの下にもぐりこむ。それしかないんだ、早く」
「姉さん……」
クローゼットに、窮屈そうに座り込むアンナ。閉められたら、もうこの扉を開けてくれる人は現れないかもしれない。
そんな不安が、涙となって溢れてきた。嗚咽を我慢し、ただ音もなく涙だけを流し続ける。ルイーゼが、一度だけその熱いものをぬぐってくれた。
「……大丈夫。大丈夫だから」
音もなく、アンナの目の前には闇だけが広がった。

雨が再び激しさを増すこともなく、ただ、雷鳴だけが少しずつ遠ざかっていくのを二人は耳でとらえていた。
一秒が、とても長く感じる。これが夢だというのなら、何故覚めてくれないのか。これが現実だというのなら、何故終わってくれないのか。
様子をうかがうにも、危険すぎる。
まだ、家の内に怪物がひそんでいる可能性は十分にあるのだ。姿もわからぬ怪物を前にして、幼い二人はあまりにも無力だった。

緊張のあまり、心臓が止まってしまいそうだとアンナは思った。心臓が止まると、人間は死ぬのだという話はいつかに聞かされていた。
死ぬと、どうなるのだろう。
痛く、なくなるのかな。
「……」
気を張り詰めていることに疲れ、だんだんと意識がうつろなものになってくる。姉はどうしているのだろう。自分は、どうしてこんな狭い闇に閉じ込められているのだろう。
眠気が、アンナの手を引く。
だが、その時だった。階段を音もなく上る、誰かの気配をとらえたのは。それはあるいは予感で、あるいは第六感であったのかもしれない。
音もなければ、殺気もない。
だが、確かに何かが存在している。その誰かは隣の部屋に入り、しばし留まっていた。何かを物色している様子もなく、ただそこに在るだけといった感じだ。
自分が気付いているのだ、きっと姉のルイーゼも同じことを考えていることだろう。
やがて、それは移動をはじめた。静かに、二人の部屋の扉が開かれる。ここでやっと、こつり、こつりとブーツの音が直に聞こえてきた。
「……っ!」
体を抱きこむように、身を縮こまらせる。恐怖は不思議と伝わってこなかったが、得体の知れないものに対する不気味さは色濃くある。
やがて聞こえてくるのは、ずるずると何かが床を擦る音。そして、激しく抵抗する音と呼応する姉の声。
「やめろ、離せっ!! 殺されるくらいなら、今ここで……」
「おやめなさい」
制止した声は、品と静かながら迫力のあるものだった。男か女かも判断がつきかねる、中性さをかねそろえた不思議な音色。
ひきずりだされ、口をふさがれたのか姉の声が途絶える。迫り来る終わりの時に、アンナは震えた。
「他に生き残りは?」
「……」
「あなただけ? ……私は、血の匂いがしたから来ただけよ。その時にはもう、全ては終わっていたけれど」
「……」
「喋れないの? 信用できないのなら、それでいい。幽霊でも見たと思って、忘れなさいな」
「……妹が、クローゼットの中に」
聞こえてくる姉の声は、どこか浮ついているというべきか、ぼうっとしていた。魔法をかけられてしまったかのように、警戒の色も薄く。
「なるほど。では、あなたが開けなさい。私だと、驚いてしまうだろうから」

「……父さんは? 母さんは、どうしたの? 何が起こったの?」
クローゼットに手をかけながら、救いを乞うように問うルイーゼ。彼女の視線の先には、黒く長い髪を美しく垂らした女が立っていた。
闇色のドレスに身を包み、ルイーゼからしてみれば結構な長身であったが、それによる威圧感はまったく感じられない。
人間離れした、雰囲気。声の一つ一つが、まるで何年も聞き慣れてきたものであるかのようにすっとなじむ。問いに、女は答えなかった。
「……さん。ねえ、さん」
「アンナ、もう大丈夫だ。心配いらない」
倒れこむようにクローゼットから出てきた妹を、姉はしっかりと抱きとめた。その様子を見て、女は何か思いあるとばかりに腕を組んで黙り込んでいる。
「実感が欲しいのなら、見にいくといい。けれど、あなた達には……重すぎる、現実よ」
重く口を開いた女は、言い終えぬままに部屋を出ていった。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴