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拝み屋 葵 【壱】 ― 全国行脚編 ―

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嫁取物語 〜花嫁は狐色に輝いて〜


「♪ふぅ〜ゆのぉ〜」

 止むことを知らない荒波が、歌声を飲み込んで海中へと連れ去った。
 その後に続いたはずの言葉は、英語では避寒地、イタリア語では海岸を意味する言葉である。
 厚い雲に覆われた灰色の空は今にも泣き出しそうで、眺めているだけで心まで灰色に染め上げられてゆくようだ。吹き荒ぶ白い風は徐々に勢いを増し、それに追従するように白も深みを増す。空を往く鳥はカモメかツバメか。襟を立てたトレンチコートがよく似合う。誰もが哀愁という形容を纏わざるを得ない海岸。シーズン中ならば海水浴場。折りたたまれた海の家には“浜茶屋”と書かれた錆びた看板が見える。

 そこに一時間も立っていれば、どんな人間であろうとも同じ思考に到達する。
 その瞬間、いままでの人生で経験してきた物事すべてが些細なことであったかのように錯覚し、一つを除いたすべてが思考の枠から除外され、ある種の境地へと真っ直ぐに向かうのである。


「寒いねんボケェぇぇええ!!」


 氏名 三宮 あ……

「寒い言うとんねん!!」
 荒波猛る冬の日本海には、セオリーが通じないらしい。

 新潟県新潟市から国道四十九号線を阿賀野川に沿って内陸方面へ。福島県との県境に程近い津川という場所へとたどり着く。
 阿賀野川に常浪川(とこなみがわ)が合流するまさにその場所にある標高194メートルという小さな山は、観光名所ともなっている。
 そこへと案内するはずの地元連絡員に待ちぼうけを食わされているのだ。
 すでにこの時点で、いつもの仕事とは毛色が違っていた。

 何色か?

 それは狐色だ。



 氏名 三宮 葵
 年齢 二十三歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。

 今回彼女の師匠が持って来た仕事は、新潟県東蒲原郡津川町。福島県との県境に程近い場所のものだ。
 一級河川・阿賀野川と常浪川が合流するまさにその場所には、狐が住むと言われる麒麟山がある。
 麒麟山では毎年五月三日に『狐の嫁入り』が行われる。
 狐の嫁入り行列という名のお祭りで、狐に扮した花嫁がお供を引き連れて常浪川に掛かる城山橋まで街道を往く。お供の数は総勢百八人に上る。城山橋で花婿を加えた行列は、結婚式と披露宴を終えると舟で川を渡り麒麟山に戻ってゆく。
 このお祭りでは狐のメイクを施しているのだが、それは祭の参加者に留まらず一般観光客から警備の警察官、更には高速道路の料金所や駅の職員に至るまで街中が狐顔になるのである。
 ちなみに、群馬県高崎市など津川以外の場所でも狐にまつわる祭が開催されている。

 これだけは忘れてはならない。

 いまは冬なのだ。

 *  *  *

「おめさんがせんせーらかね?」
「やで」
 いきなり背後から掛けられた声にも、葵は動じることなく答えてみせる。
「やいや、なまらサーメねぇ」
「ほんまやわ。一時間も待たされて凍えるかと思たわ」
 葵は肩越しに横目で男の姿を確認する。
 声を掛けてきたのは、五十をいくつか越えた風体の男だ。
 タクシーの制服と思われる帽子とジャケットを身に着けているが、吹雪く砂浜ではさすがに寒い格好だ。
「ほんで、ウチは合格でっか?」
「あえべや、立ち話もなんら」
 男は葵の返事を待たずに、たったいま歩いてきたばかりの砂浜を歩き出した。
 葵もその背中を追って砂浜を歩く。
 進む先には黄色いタクシーが止まっていた。一時間前には無かったその車が、前を歩く男が乗ってきた車だとすぐに気付く。
 エンジンは掛けられたまま。
「アイドリングストップ宣言」
「なんら?」
 運転席のドアノブを掴んでいた男は、ドアを開ける動作と同時に人の良い笑みを浮かべたが、葵は余裕のない愛想笑いだとすぐに見抜いた。
 葵は後部座席に乗り込んだ。
 車内は暖房が効いていて、悴んだ手足と赤くなった耳がその温度差をしっかりと感じ取る。
「減点らこて」
 走り出した直後、男は唐突にそう言った。
「得体も知れね相手に……」
「得体は知れとるよ?」
 葵は男の言葉を遮る。
「ウチはそないな尻軽やないで」
 連絡員でもない見ず知らずの男が運転する車に簡単に乗り込むほど、愚かでも自信家でもない。
「あんたはん、化け狐やろ? 上手く化けてはるみたいやけど、ウチには通用せえへんよ。主導権握ろ思ても無駄や」
 葵は手袋を外して手を揉みあわせている。
「そんねがんだて」
「ごまかされへんよ」
「……。」
「……。」
「待たせたことを怒っているのなら謝るらね。すたろもせ、おんしゃがんけっぺらぐねすけ、確認ことよっぱらなごーうしてたがね」
「それは最後の二十分だけやんか」
「そんねがんだて」
「ごまかされへんて」
 葵は男の四十分の遅刻について言及しているのだが、それについて本気で怒っているわけではない。
「なんらぁ? もじけてんなぃや」
「寒いねん」
 男はタクシーをコンビニに止めた。
「コーヒーこと飲むか?」
「ウチ、あったかいお茶で頼んます」
 男は苦虫を噛み潰したような顔でお茶とコーヒーを買ってきた。
「ほんなら松井はん、よろしゅうたのんますわ」
「名前おせねたっけ?」
「黄色いタクシーのドライバーは、松井はんと相場が決まっとるによってな」
 温かいお茶のペットボトルを受け取ると、葵は、にっと白い歯を見せて笑った。

 途中で休憩をとりながら、阿賀野川に沿って国道四十九号線を走ること数時間。
 タクシーは津川という町に到着した。
「話は分かるんやけどな」
 葵は不機嫌だった。道中で聞いた依頼の内容に納得が行かなかったのだ。
「らすけ、おめさんばっからけ」
 松井は両手を合わせて頭を下げているが、葵は侮蔑の表情を返すばかり。
「普通の女御らと務まらねすけ、こんがに頭こと下げて頼むんだて」
「ウチが言いたいのは、そこやないねん」

 松井は化け狐だ。
 昔から続いている家系であるため、戸籍も持っている。古くは戦国時代から人の身に化けて人間社会に入り込んでいる狐もいるのだ。
 化け狐の家系はとっくに日本全国に広がっていて、血を絶やさぬため、さらには人間との混血を生まぬため、はるか遠方から嫁を迎え、はるか遠方まで嫁ぐという慣習がある。
 狐と人間では遺伝子が違うため、子が産まれることはない。胎に宿ることはあっても、産まれることはないのだ。
 しかし例外もある。
 児を宿す母体、つまり母親が強い力を持った化け狐である場合と、母親が強い霊力を持った人間である場合だ。

「子供産んでくれてなんやねん……狐に……」
「このとーり!」

「毛ぇむしりとって焼いたろか!?」