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天国へのパズル - ICHICO -

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piece4 困惑、選択、その心の形




 瞬きをすると暗く澱んでしまう瞳で、彼女は自分の死後を見つめている。
 
 丁度共に暮らす人がいなかった日、彼女は死んだ。
 見た目も心根も子供だった。しかし、多少なりとも大人になりたいと望んでいた。
 只、彼女は選択によって己の命を止めてしまった。
 何故かは分からない。
 だが、彼女の脳は死して尚、その時の事を今でもありありと思い出す事ができた。


「遅いなぁ。」

 彼女はキャベツとセロリのスープを啜りながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 その日は丁度、同居人が生活費稼ぎの為に日雇いの仕事にありついた時だった。年若い女子供だからと優遇される事もなく、高給・高待遇を奪い合う若年層向けの職業安定所で同居人が取ってきた仕事は、ヘブンズ・ドアのある第6区・第7区のゴミ収集だった。
 日払いで少ない賃金でも無いよりはマシな話で、金の回る場所ならば使える物でも捨てられている。
 何か役に立つ物があれば拾って来る。同居人はそう言って仕事に行った。
 誰でも生きるには衣食住を満たさねばならない。人の輪の中にいれば、自ずと同じ価値基準で物事を判断する事となり、相応の能力とお金が必要となってくる。タダで生きていられる程、世の中は甘くない。
 彼女は幼いながらも、その分別を弁えていた。しかし、同居人の行き先はヘブンズ・ドア。
 需要と供給は生理欲求で成り立ち、その名前のとおりに、バーやジャズクラブの数を超えて、風俗サービスの店が溢れている。それこそ顔立ちが良ければ、年齢・性別不問で強引に雇われる事も多く、その要望に合わせて『女引き』専門の人さらいがたむろしているらしい。
 人並みの容姿を嗅ぎ分け、大人子供関係無く小銭の為に丸呑みされてしまう。
 それが天国の街であり、地獄の一丁目。
 彼女は自分の生まれた街にそんな場所があると思いもせず、それを知ったのもつい最近の事だった。
 此の街に戻った時に見た派手な風俗店の広告文句。
 袋に変えられた新聞のゴシップ記事や、近所に住む小母さんが喋ってくる内容。
 幼くとも、それだけで推測する事ができた。それだけの勘と知恵を彼女は持っていた。
 すぐ隣りに住まう小母さんが慣れ始めた頃、同情の言葉を言いながら腕を組んで見下ろしていた時に、子供は愛されるばかりでは無い事を覚え、己の容姿を疎ましく感じた。
 大体は笑顔で親切を押し売り、少しばかりの情報をちらつかせ、話題づくりの噂話を拾っていく。その時の態度だけで今後の存在価値が値踏みされ、多少なりとも公平な評価が下る。
 そして、知り合い同士の内輪話の為に売られる愛想と、本当に心配する時の表情は似ている様で全く違う。
 彼女は同情と愛想を引き出すだけの容姿と、それを分別するだけの頭脳を持ち合わせていた。
 ふわふわとカールした金髪と深青色の大きな瞳。
 背も小柄で、動く様もこまやか。
 傍目にはショーウインドウに飾られる高価な西洋人形と変わらない。年も大人と子供の中間点で、世間知らずに捉えられる外見だった。

「遅いよね。ね?」

 顎を机に付けた行儀のない調子で、写真立てに収まった母親に声を掛ける。同意は返って来ないのに、彼女は頷いて姿勢を正した。
 治安など無きに等しいこの場所で、今彼女の出来る事と言えば、節約の為に使っている蝋燭に灯す火を減らす事、窓を覗いて外の様子を窺う事、独りでずっと写真に話し掛ける事だった。
 写真に写る母親は彼女にそっくりだった。すこし明るい蒼灰色の瞳で、印画紙の向こうから笑い掛けている。しっかりとした思い出は少ないものの、聡明で明るい人柄だったと聞いていた。
 その隣りに写る彼女の父親は、濃い茶色の髪に暗い土色の目を細めて笑っていた。図体はひょろりと高いばかりで、少し目尻の下がる様が穏やかに見える。
 写真の通り穏やかな性格だが、人道を通す信念は頑固な人だ。
 彼女は容姿だけしか、母親に似ていない。遺伝子の優劣で起こり得ない事など、彼女は知るよしも無い。ただ父親と一緒にいる時間が長かった事で、性格だけは父親と似ていると自負していた。
 そして、両親の聡明で敏い所も似ておきたかったと己を憂い、できるのなら同居する恩人の様になりたいと思った。
 その人は写真には写っていない。だか、彼女はその人の生き方を尊敬していた。
 父親の言う所の病の証である刺青を持ち、彼女の命を救った以前の事を何も覚えていない。しかし、清廉とした様は誰にも汚されぬ誇りを持って見えた。
 本人曰く全て空威張りでも、そう見える限りは本物にしか見えず、恩人に対するそれは彼女にとって恋に近いものだった。
 だが多少難しい性格をした人で、自分勝手に喋る人が近寄るだけで表情を堅くしてしまう。それは同性異性、知人隣人、公人私人全く関係無し。気分が荒立っていれば、平気で拳を出していた。
 それでも、彼女にとってはその人は、写真にいる人達と同じもの。守るべき愛しい家族だった。

「お父さんが帰ってきて、皆でご飯が食べれたら、他には何も要らないのに。ねぇ。」

 写真へ勝手な相槌を打ちながら、小さな椀を洗い場へ運ぶ。うろ覚えの歌をくちずさみながら洗い物を片付け始めた。

 彼女の傍には、今誰もいない。
 母親は彼女の幼いうちに病で亡くなった。父親は「人と約束がある」と言って出て行き、ずっと戻って来ていない。
 しかし、彼女なりに母親の死も、父親の失踪も、漠然と受け入れていた。
 母親は彼女を生んでから間もなく病床に付き、少しでも触れ合っていたいと共に過ごした。長く生きていたいと必死に頑張っていた事を、幼いうちに傍で見ていた。
 父親は悪い事をしていないのに、仕事での上司命令に背いた事で、その身を隠さねばならなかった。懺悔の念に駆られている父親を見る事で、自分の存在を消さねばならないと強く思うようになった。
 友達らしい友達を作らず、目立たず息を潜める事に必死だった。
 それ故、彼女は他人に対して激しい感情を持っていない。その替わり、自分を傷付けない者の匂いを感じる事が得意だった。

 母親が死に、父親と世間から身を隠していた時。
 命の恩人と出会った時。
 この街へ戻ってきた時。
 そして、父親が姿を消してしまった後。

 しかし、その気配を感じても特に何も出来ない。
 幼いうちに修羅場を超えてきた事が、彼女の精神を容姿以上に老成させ、己の分別を弁えるだけの判断力を養っていた。
 しかし人に慣れていない分、言葉の表裏を見る事には慣れていない。誰かが傍にいなければ生きている自身は無かった。

 彼女の判断力を狂わせたのは、全ての食器を洗い終わった時に聞こえた、久し振りに外を走るパトカーのサイレンだった。
 街中と言えど、パトカーが走るだけでも稀な事で、サイレンを鳴らしている等ほぼ皆無だ。何事かと窓を開けて見下ろすが、直ぐに何が起きたのかは全く判らなかった。どうやらパトカーが走っていたのは少し離れた場所で、ヒナのいるアパートメントから見えないヘブンズドアの方角だった。

 もしや、噂の殺人鬼でもいたのか。
 誰か殺されたのか。すぐ近くにいるのか。

 彼女は独りでいる不安から嫌な想像に駆られ、とっさの判断から部屋を飛び出した。