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WishⅡ  ~ 高校1年生 ~

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 言葉もなく、黙って橋を渡る。橋の向こうは遊歩道に沿って、低い植え込みと高い木々がほど良い陽射しを通して不思議な空間を作り上げていた。ベンチの数もまばらで、所々に作られた柵は景観を損ねないように手作り感満載である。舗装はされていないが、特別大きな砂利がある訳でもない歩道は歩きやすかったし、きっと、演奏する時にも支障はないだろう。なにより、コンクリートやアスファルトと違って照り返しがない。周りの地形等を考えて植えられているのだろうか、木々をすり抜けてくる風が気持ち良い。演奏する側にも立ち止まって聴く側にも快適な事請け合いだ。
「……んー……」
 キョロキョロと見回しながら、航が笑顔になっていく。
「バンドもいれば、一人でやってる人もおんねんなー……」
「一人?」
「うん。ほら、あっち」
 航の指差す先を見ると二・三十人の人だかりが出来ていて、肝心の演奏者は見えない。
「……見えねーけど?」
 首を傾げる慎太郎に、“俺も見えへんけど”と前置きして航が答える。
「でも、音が一つやもん。そやから、一人ちゃうかなって……」
 あちこちから聴こえてくる“音”に対して、一つと言い切る航。
「お前の耳って……」
「それにしても、一人って度胸あるなー……」
 そう呟きつつも足はそちらへ向かっている。幾つかのグループの演奏を横目で見ながら、少し離れたソロ演奏者の所へと辿り着いた。社会人だろうか、二十代後半の青年がギターを弾きながら、歌いながら、吹いていたりする。
「……ハーモニカ……?」
 奏者の口元を指しながら、慎太郎が首を傾げた。
「……の種類で、ブルースハープ。ハーモニカと違(ちご)て、穴が十個しかあらへんねん」
「十個!? じゃ、十個しか音が出ねーじゃん!?」
 驚きながら、“ドレミファ……”と指を折る慎太郎の隣で航が吹き出す。
「んな訳ないやん!」
 “ほらほら”と奏者を指し、
「色んな吹き方があんねん。そやから、穴は十個でも音は無限大」
 得意げに笑う。
「ふーん……」
 言われてみればそうである。目の前で演奏中のこの曲のイントロが、僅か十音だとは思えない。首に掛けられた専用スタンドに納まっている小さなハーモニカの生み出す音に感心しつつ、ふと航を見るとその音色と奏者の動きを熱心に見入っている。去年のクリスマスにエレキのインディーズCDを聴いていた時と、そっくり同じ瞳だ。
「物欲しそうな顔してんじゃねーよ」
 クスリと笑って慎太郎が言うと、
「え!?」
 慌てて顔をペタペタとまさぐり出す航。
「図星?」
「うっさいねー!」
 頬を赤く染めて言い放つ。
「……すぐとは言わへんけど、その内……欲しいなって。とりあえずは、歌い始めんと話しにならへんやん?」
 エヘヘと笑いながら、その場を離れるべく回れ右! と身体を反転させ……た途端、ビクッと航が身体を強張らせた。
「航?」
 肩に手を掛けようとした慎太郎の手が触れる事無く、航がその場にしゃがみ込む。
「おい、航!?」
  ――――――――――
 たった一人で演奏している奏者。見詰める自分が微かに微笑んでいる事に気付く航。人だかりの向こうの彼が手にしているのは、アコースティックギター。ギターの優しい音色にじゃれ付くように流れるのは、首から下げられているスタンドにチョコンと乗っかっているブルースハープ。ほんの数回、父が手にしていたのを思い出す。
『……何年たっても、苦手やわ……』
 微妙なメロディーに顔をしかめる小さな自分を前に、父はバツが悪そうに笑っていた。なんでも出来ると思っていた父の唯一の苦手。父も人間なんだと、可笑しくなってクスクス笑って小突かれたのはいつだっただろう……。
「物欲しそうな顔してんじゃねーよ」
 不意に慎太郎の声がして、現実に引き戻される。そんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか? と見返すと、
「図星?」
 と指をさしてくる。父の事を思い出していた事を気付かれたくなくて、
「うっさいねー!」
 その指を払いのける。
 ……でも、父に少しでも近付きたくて“欲しい”と思っているのは事実だ。
「……とりあえずは、歌い始めんと……」
 まず、“歌う”事の土台を作らなければ何も出来ない。“色んな付属品”はその後だ。そう思って、演奏者に背を向けた。
“ズキンッ”
 頭の中に衝撃が走った。いつの間にか、自分達の後ろにも人ごみが出来ていたのだ。ソロ演奏者の人気の程が伺える、が、振向いた途端のその光景に、自分が取り囲まれている風景が重なった。二年前の夏。“事実”を知らされた、あの“夏”……。
「……い……たっ……」
 激痛に立っていられなくなって、その場にしゃがみ込む。動悸がそのまま頭に響いてくる中、航は気付いた。小さい時から、人前が苦手だと思った事はない。そんなに得意ではないが、人前に立つ事自体、嫌いではなかった。でも、あの事故以来、人前だとドキドキして声が出なくなる。ただ単に、思春期だから精神が云々……なのかと思っていたが、そうではない。以前公園で歌った時も卒業式の時も、囲まれていたのが遠巻きだから分からなかっただけだ。動悸は恥かしいからではなく、無意識の拒否反応。声が出ないのは緊張ではなく、一種の恐怖心から。
(トラウマ、って奴……?)
 頭を抱え込む航の肩に、
「航……」
 慎太郎の手が触れた。
  ――――――――――
「大丈夫か? 立てるか?」
 心配そうな声が耳元で聞こえ、航が頷く。肩に添えられた慎太郎の手に力が入り、それに頼って立ち上がると、人垣に手をかざして道を確保している慎太郎の姿が目に入り、航は妙に安心した。
「ベンチまで歩いてくれよ」
 慎太郎の囁きに航が頷く。
 慎太郎のかざされた腕と足元のはっきりしない航の様子に気付いた人達が、無言で道を開けてくれる。
「手、貸そうか?」
 二人と同じ歳くらいの少年が手を差し出すが、
「……大丈夫……」
 航がその手をそっと払った。“知らない人に迷惑はかけられない”という思いと“あれこれ詮索されたくない”という思いがその瞳に宿る。
「ありがとうございます」
 航を支えながら慎太郎がペコリと頭を下げ、目に止まったベンチに行こうとする、が、
「あっちの方が木陰があるよ」
 少年に言われ、その指差す先に視線を合わせる。確かに、少し離れてはいるがベンチが木陰に覆われている。直射日光の下よりもあちらの方が良さそうだ。
「ありがとう!」
 慎太郎が礼を返すと、“気をつけて”と手を振り、少年は元いた人垣の中に姿を消していった。
「あそこまで歩けるか?」
 慎太郎が、たった今教えてもらったベンチを指差す。無言で頷く航の身体に手を回したまま、足並みを合わせて慎太郎がゆっくりと歩き出す。覚束ない足取りに、意識があやふやな事が窺(うかが)える。時々ガクンと落ちる膝に足を止めつつ、やっとの事で辿り着いたベンチに航を座らせた時には、慎太郎は汗でびしょ濡れになっていた。
「……シンタロ……」
 片手で頭を押さえたまま、航が呟く。
「ん?」
「……ごめん……な……」
 返事の代わりに、航を支える腕に力を込める慎太郎。吹いてくる風に空を仰ぎ、袖で汗を拭う。
「……俺……」
「お前さ」