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夢幻堂

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「……きっとね、いろんな感情が渦巻いてよく分からなくなってるのよ。大丈夫よ、大丈夫……ここは傷付いた魂を休める場所でもあるの。だからたくさん泣いて…たくさん休んで、たくさんお話しましょう?」
 それはまるで母親が子供に話しかけるかのような声色で、カンナは小さな魂の持ち主の頭を優しく優しく撫でながらゆっくりと繰り返していく。
 大丈夫、と。
 しばらくすると泣き疲れたのか、小さな寝息が聞こえてくる。それを感じて安心したのか、もう一度ソファへと寝かせ温かくしてやる。
「シオン、この子が起きるまでそばにいてあげて。私はお菓子焼いてくるから」
 黒猫姿のシオンは、とんっと身軽に小さな魂の眠るソファーの縁に降り立つと、その顔をじっと見下ろして言った。
「ああ」
 ぱたぱたと軽い足取りで奥のキッチンへと行ってしまった気配を感じながら、シオンはじっと眠る幼子の姿を見やる。
 すぅすぅとさっきの泣き声とは比べ物にならない静かな寝息に、なんとなく悪戯したくなってそぅっとその子のそばに下りた。
 ちょいちょい、と前足で幼子の前髪をいじる。いじると言っても触れるか触れないかの微妙なところだ。幼子は何かを感じ取ったのか、ふるふると少しだけ顔をゆするとまた静かに寝入ってしまう。
「意外に起きんもんだな」
 意外に面白かったのか、尻尾を楽しそうにぱたぱたさせながら前足を上げたシオンは、気配を消していたこの店の店主が後ろに居たことに気付かなかった。
「……シオン……?」
 甘ったるく、優しすぎる声がかえって怖い。振り返れば案の定、包丁を手にしたカンナがどーんと仁王立ちしていた。
「ちょっ、おま……包丁はしまえ──っ!!」
 あくまでも小声に、しかし相当焦った声でシオンは後ずさる。そう、カンナは怒ると怖いのだ。
 つい、目の前の楽しいことにとらわれて忘れていたが。
「……じゃあ、ちゃんと見てくれるわよね?」
「……おうよ」
 今度こそ本気でそっと見守ろうと頷く。それを見て信頼したのか、カンナはまた鼻歌を唄いながらキッチンへと戻っていった。
 それをじっと聞き取ってから、まだ涙のあとが残る小さな子供の寝顔を今度はソファのへりに器用に座ったシオンはじっと見つめる。何となく手持ち無沙汰(と言っても黒猫姿では手じゃなくて前足しかないが)で、ぶらんとしている長い尻尾を遊ばしてみる。
 何となく生き物が動いている気配がしたのか、子供の姿の小さな魂はぱちりと黒い大きな瞳を上げてちょうど目線の先にいるシオンをじっと見つめた。何となく気が向いてひょいひょいと尻尾を左右に揺らしてみる。すると、その小さな魂も尻尾の動きに合わせて目をきょろきょろと動かした。
「お、目は見えてんのか。んじゃこれはどうだ? ほーれ」
 今度は手が届くか届かないかすれすれのところで尻尾をゆらゆらと揺らしてみる。小さな子供は必死になってそれを掴もうと手を伸ばすが、寸でのところで捕まらない。……もちろんわざとぎりぎりで捕まらないようにしているのである。と言うか、これではどちらが猫だかよく分からない。まぁ、最初からシオンも猫ではないが。
「……なにやってるの、シオン」
 その、ある意味異様な光景を目の当たりにしたカンナは、出来上がったお菓子を持ったまま固まる。
「見りゃ分かるだろ。遊んでやってるんだ」
「……元の姿に戻って遊んであげたら?」
「めんどくさい。猫のが気楽でいいだろ。それにこいつはお客だし。ほらお前、もう起きられるだろ」
 猫の姿なら、たとえ二色の瞳を持っていてもそこまで怖がらないだろうと言うシオンの気持ちを汲み取り、カンナはふっと微笑む。
「なぁ、こいつ喋れないのか? ちっちゃいからか?」
 さっきからじっとこちらを見たまま喋ろうとしない幼子に、シオンはカンナを振り返ってそう聞いた。カンナはふるふると首を横に振ると、
「それもあるけど……心に傷を負ってしまったから喋ることを怖がってるのね。まだ守られるべき存在であるのに、それを十分に受けられなかったから……」
 と言った。
 その幼子の姿はどことなくシオンに被って見えた。少なくともカンナの目には。
 心に傷を負っていたシオンは言葉こそ話したものの、誰も信用すらせずに痛々しいほどの棘を出して威嚇していた。この子はその頃のシオンよりももっと幼い。きっと自己を防衛することも、誰も信用しないと言う感情も、裏切られたと言うこともまだ分かってはいないのだろう。けれど、心のどこか……誰しもが持つ本能が怯えという感情を引き出している。
「ここで休めば戻れるのか? ここは本当は休息所だろ」
 すとんとソファから降りて、カンナを見上げる。見上げた先の表情は浮かなかった。
「……この子は、ここで休んで違うところに行くの」
「違うところ?」
「……戻るべきところに戻れない魂もここには訪れる。その魂はここで十分に休んでから高い空から迎えが来るの。シオンは、まだ立ち会ったことがなかったのね」
「高い空……」
 勘のいいシオンは、それだけで何を意味するのか分かったようだった。藤の紫と新緑の青の瞳が一瞬カンナを見上げ、すぐに目を伏せる。
「……こんなに小さい魂なのに、なんで誰も守ってやれないんだ」
 それはカンナに聞かせるための言葉でもなくて、ただ独白のようにも聞こえた。怒りと悲しみを含んだその声色に、カンナの心もちくんと痛む。そして、目を開けて不思議そうに二人を眺めている幼子の頭を優しく撫でた。その幼子はカンナの手の温もりをもっと求めるように目を閉じる。
「どうしてかしらね……私にも分からないわ」
 そう言って幼子に求められるまま愛おしそうに頭を撫でていたカンナの頭を、しゅるりと元の姿に戻ったシオンが抱き寄せた。驚いたカンナは咄嗟に離れようとしたけれど、強い力で引き寄せられていたからびくともしない。
 元の姿のシオンは少女の姿をしているカンナよりもずっと背が高い。カンナの頭がちょうどシオンの肩に届くか届かないかくらいだ。
 とくんとくんと規則正しく響く心音と一緒に、シオンの声が上から響く。
「……泣くな。カンナが悲しむと、俺はどうしていいか分からない」
 猫の姿のときよりもほんの少しだけ低い声が、カンナの心に優しく響く。カンナはシオンの身体に頭を預けたままくすりとかすかに微笑った。
「優しいのね、シオン」
 普段よりも柔らかな口調で、囁くように言うとシオンの心臓がとくんと少し大きく脈打つ。それが普段のカンナからは想像もできない口調だったせいなのか、はたまた違うせいなのかは分からなかった。
「別に優しいわけじゃない。……ただ、この子どもに帰る場所がないことをカンナが悲しんでるからだろ」
 乱暴な口調に戻ったのはきっと照れからだろう。それでも、まだ涙が溢れているカンナのことを離そうとはしなかった。シオンは少しだけ考えるような仕草のあと、幼子を片手でひょいと抱き上げてからそのソファにカンナを座らせた。その隣に自分も座ると幼子を抱きかかえたままカンナの肩を引き寄せる。
「シオン?」
「こいつはここで休んでくんだろ? だったら楽しい方がいいに決まってる。名前が分かんないんだったらつければいい。カンナが俺に名前を付けてくれたみたいに」
作品名:夢幻堂 作家名:深月