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夢幻堂

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「……にぃ、ちゃ?」
 二人の会話に割って入るように、小さな手がシオンの目の前でひらひらと動いた。そして、何か言葉を喋ったのを二人は聞き逃さず、がばりと幼子を見る。
「お前、言葉っ」
「にぃちゃ、ってシオンのことかな? シオン、『お兄ちゃん』だって」
 正しく幼子の言葉を聞き取ったカンナは、ふふふと楽しそうに笑いながらシオンを見た。シオンは楽しそうなカンナを無視すると、抱いていた幼子を自分の方に向け目を合わせて真剣に言う。
「俺は兄ちゃんじゃねぇ。シオンだ、シオン」
「ちょー、ん?」
「ちょーんてなんだ、ちょーんって! なんかの効果音みたいじゃねーか。いいか? シオンだ、シ、オ、ン。ほれ、言ってみ?」
「ち、お、ん?」
 首を傾げながら、頑張って言おうとするがどうしてもシオンの「シ」が言えないらしい。何度か試みてみたものの、どうしてもいえない幼子にシオンはぐったりする。
「だぁー!」
「小さい子はまだ上手く発音できないんだから、しかたないでしょ?」
 その様子を笑いを堪えながら傍観していたカンナは、ぐったりしているシオンに向かってぽんぽんと頭を軽く叩いた。そう、まだ三歳にも満たないであろう小さな子どもにちゃんと発音させようとする方が難しいに決まっている。それを理解したのか、シオンはやっと妥協する。
「うー……しょうがねぇ、じゃあ『兄ちゃん』と呼べ」
「にぃちゃ?」
「そうそう。ふふふ、かわいい。私はカンナよ」
「かんにゃ?」
「そうね」
 特に訂正するでもなく、にこにこと微笑みながらシオンの腕の中にいる幼子の額をこつんとつつく。
 外は穏やかで、なんの音もしていない。お客も来ない今日の夢幻堂はシオンの知る限り平和だ。外でイキモノたちと対峙してきたカンナは、その平和がこの夢幻堂の中にしかないことを知っている。それでも、この場所が安らぎになるのならとずっと店主をしてきているのだ。
「で、お前は自分の名前は分からんのか?」
 ぼんやりとそんなことを思っていると、シオンが幼子に向かってそう問いかけていた。
 カンナはふと思い立ち、小さなその子の手を握る。
 カンナは色々な能力を持っていた。それは夢幻堂の店主であると言う証とともに、持たなければならない能力でもあった。
 そのうちの一つが魂の存在のものたちを元の姿に戻すこと。
 そして余りある知識を得ること、必要な場合は魂の記憶を読み取ること。
 重すぎるほどの力を持つカンナは、滅多なことでは力を使いたがらない。それは、特殊な力のないシオンにとっては理解しがたい感情ではあったが、カンナにとっては重要なことらしかった。
 そのカンナがこの子どもの記憶を読み取ろうとしていることくらいはシオンにも分かった。だから珍しくてついじっと見入る。
「……あなたはマナちゃん?」
 カンナがそう問えば、幼子はにこぉっと笑った。
「マナ」
「そう、愛情の『愛』でマナ。きっと……愛されて生まれてきたのね」
「なんでだよ?」
 愛《マナ》を抱いたまま、不機嫌そうに問いかける。愛しているならなんでこんなに傷付いているんだと問いかけたいのだ。
「傷付いた理由までは分からないけど、愛してないなら『愛』なんて名前に付けないわ」
 そうカンナが答えても、どこか納得しない表情のシオンの目の前にぷよぷよした小さな手が差し出される。それに目線をやると大きな瞳でにこぉと楽しそうに笑う。ここは安心できると魂が言っているのか、怖がる様子は全くなかった。
「ま、にゃ?」
 まだ舌足らずな発音で、愛が言う。
「そう。マ、ナ」
「ま、な?」
「ふーん……意外と喋れるんだな。いくつくらいだ?」
「最初は怖がってたけど、ここが安心できるところだって本能的に知っているの。だからさっきは喋れなかったけど、いまは喋ってる。でもこれくらい喋れるならもう三歳近いんじゃないかしら」
 そう言ってカンナは優しくマナの頭を撫でる。その仕草に甘えるようにマナはカンナにすり寄った。シオンは何か憐れむような視線を向けて、辛そうに顔を歪めた。
「シオン?」
「愛されて生まれてきたならなんで怯えてたんだよ。こんなに小さいのに、なんで命を落とす必要があったんだよ?」
 そう、マナは命を落とした。
 帰る器がないと言うのはそう言うことなのだ。
 シオンには分かるのだろうか。帰る器のない淋しさが、辛さが。
「……ねぇ、シオン。シオンには分かるの? 愛されなかった苦しみや哀しみが」
「──分かる……? 俺は……ただ、帰る器がなくて……ああ、そうか……俺は捨てられたんだなぁと思ったんだっけ……」
 切れ切れに発せられた言葉は、無意識にシオンが呟いた言葉だった。何かを思い出そうとしているのか、記憶の断片が脳裏をよぎったのか、シオンは二色の瞳を伏せたまま言った。
「シオン、無理しちゃだめ。思い出せないことなら、無理に思い出さなくてもいいの」
「違う、覚えてるんだ。俺の身体が………」
 カンナの言葉を否定して頭を抱える。ふっ、と顔に小さな影が差す。見ればマナが大きな瞳を不安げに揺らしていた。
「にぃ、ちゃ?」
 懸命に手を伸ばして心配してくれる幼い手を見つめ、シオンはぎこちなくその手を取った。
 カチリ、と何かが鳴った。ちょうど服で隠れている首元から聞こえたような気がした。
「……? マナ、何か持ってるの?」
 そうカンナが問いかけたところで、この幼子には何のことだか分からないに違いない。すっとカンナが首元に手をやると、鎖のようなものが手に触れる。
「なんだ? ネックレス……?」
 ひょいと覗き込んだシオンは、その店の主が固まってしまっているのに気付いてどうしたのかと口を開きかけた。
「《女神の宝珠》………どうして」
「女神の宝珠? それって何よりも大事な秘密を一つだけ隠してくれるって言うやつか? なんか見覚えある……ここにあったか?」
「……そうよ。見覚えもあるでしょうね、シオン。きっと身体が覚えている記憶の中で」
 冷たい声を聞かせるのはカンナだ。
「カンナ……?」
「これは私がシオンを拾ったときに、シオンが身に付けていたと同じもの。……シオンは首じゃなくて小さな袋に入っていただけだったけど……でもこの子は」
「かんにゃ、たからもの」
「宝物?」
 聞き返すシオンに、カンナは《女神の宝珠》をそっと手に取るとマナの首から外した。
「……この子はきっとシオンと同じ」
「え?」
 《女神の宝珠》を外されたマナに異変が起こる。
 大きな黒目がちの瞳はもうどこにも存在していなかった。いや、正確に言えば右目は黒の瞳だった。
 けれど──……
「空の瞳……?」
 左の目に表れたのは淡い春の空の色の瞳だった。
 シオンと同じ、と言ったカンナの静かな声の意味がやっと分かる。マナはきっと《女神の宝珠》によって隠されていたのだ。両方で色の違う瞳を。
「な、んで……」
「《女神の宝珠》を持っていればこの瞳の色は決して暴かれることはないわ。でも、こうやって一旦外してしまえば分かってしまう。……きっと、この子の秘密を知ろうとしていたわけじゃなくて、《女神の宝珠》自体を奪おうとしたのね。けれどそれでこの子の瞳の色が暴かれてしまった」
作品名:夢幻堂 作家名:深月