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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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思い出と靴を、過去へ

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 引っ越し直前のデートで、彼に連れていかれた靴屋。そこで選んでくれたのが、今も履いているパンプスだった。正確に言えば同じ型の。アパレル関係の商社に就職した彼は、先輩のつてで、私の幅広で甲の高い足に合う靴のメーカーを探してくれていたらしい。引っ越す前に見つかってよかった、と彼の方が喜んでいた。
 もちろん私も嬉しかった。靴は確かに私の足によく合い、とても歩きやすかった。遠距離恋愛になってしまうのは寂しかったけど、その靴を履いていると彼の気持ちは身近にあるように感じられて、安心できたものだ。
 就活で忙しくはあったけど、バイトでお金を貯めながら、2ヶ月に一度は彼に会いに行った。彼も大事な日には都合をつけて帰ってきたし、就職が決まったお祝いと、年末年始には旅行に連れて行ってもくれた。
 けれど年明けに私が就職して以降は、だんだんと会うことが間遠になった。お互い忙しさにかまけて電話やメールも少なくなり、2年目の後半の半年はついに、一度も会うことなく過ぎていった。
 その頃には、たまに連絡を取っても「明日も早いから」とすぐに切り上げたり、些細なことで機嫌を損ねてケンカのように通話を終えてしまうことが続いていた。そんな状態を良くないとは思っていたけど、相手の思いよりも自分の辛さや悩みを優先するようになってしまっていた心は、容易に修正がきかなかった。電話のたび、じわじわと彼の心が変化しているのを感じながらも、何とかしなければと思う気持ちは、彼の変化に比例して薄くなっていったのである。
 卒業3年目を迎える直前、2月のある日。彼との、電話での最後の会話。
 『……悪いけど、こっちで好きな女できた』
 『——そう、わかった』
 二言で、私たちの間に幕が下ろされた。

 「もうね、実はずっと気になってたのよ。いつも同じ靴で。そのわりに痛んで見えないからどうしてるのかと思ってたけど、何足も持ってたのね」
 「そうなんです、お店に取り寄せてもらって2足ぐらいは買い置きしてました。でもメーカーで生産終了になったらしくて、残りが今の1足しかないもので、つい」
 「靴で苦労するのはわかるわ、わたしの知り合いもそうだから。その人がよく買ってるインポートの靴屋さんがいい店みたいだから、聞いといてあげるわね」
 「すみません、お気を遣わせてしまって」
 「何言ってるの。結花ちゃんはうちのお嫁さんになるんだから、気を遣って当たり前でしょ」
 「そうよ、酒屋以外なんにもできない拓也のとこにこんな働き者の子が来てくれるなんて、こっちが感謝しなきゃいけないぐらい」
 と拓也のお母さんの横から言い添えたのは弘枝さん。拓也のお姉さんで、結婚して隣の市に住んでいる。本当に大量だったお肉を食べきるためにお母さんが呼んだらしい。膝上の女の子はまだ2歳前で、弘枝さんに似てとても可愛い。
 女3人が盛り上がる中、男性陣イコール拓也とお父さん、そして弘枝さんの旦那さんは黙々とすき焼きをつついている。一様に肩をすくめ、微妙に居心地が悪そうな顔で目くばせをしながら。この家における力関係は、私が食事に呼ばれるようになってからまったく変わっていない。
 この人たちと一緒にいると楽しくて、安心できる。最初の時からそう感じた。
 なのに、正式な家族として加わるための踏ん切りを、まだつけられないでいる。
 ……彼に対する想いが残っているわけじゃない。それは違う。だけど、引きずっている感情はあるかもしれなかった。未練はないはずだけど、そう考えてしまうこと自体がある意味、若干の未練なのかもしれない。
 彼が選んだ靴を履き続けるのも、主な理由は足が楽という実際的なものだけど、そこにどれだけ感傷が含まれているかの判断は、今でも正直つきかねていた。彼の気持ちを思いやれなかったこと、「さよなら」をちゃんと言えなかったことを、まったく後悔していないわけではないから。

 新しい靴に履き慣れるまでには、それなりに時間がかかる。だいぶなじんできたとは思うけど、やはりまだ、足の疲れが前よりも早く来る気がする。
 今日は週のうちで一番多くの得意先を回る日だから、このままじゃ保たないなと思い、しばらく休めそうな場所を探すため周囲を見回した。
 ——1方向に視線が止まり、体が固まる。
 数年ぶりでもすぐにわかった。15メートルほど先の交差点で信号待ちをしているのは、彼だ。出張なのか、それとも異動でこっちに来たのか。
 ……どうしよう。声をかけるのは迷惑かもしれない。けれどここで呼び止めなかったら二度と会えないかもしれない。
 後悔を克服したい気持ちが迷いに勝り、衝動的に駆け出しかけた。何メートルかは実際に走った、その直後。
 交差点の角にあるコンビニから出てきた人物が、彼に近づいた。背のあまり高くない彼と比べても小柄な、髪の短い女の人。
 何か言いながら笑いかけた彼女に、彼も笑みを返した——初めて二人でお茶した時に見たのと同じ、鮮やかな笑顔。
 信号が青に変わる。
 寄り添って横断歩道を渡っていく彼らを、呼び止めることなく見送った。その時、不思議なほどにさっぱりと、後悔は感じなくなっていた。
 私と彼はもう、別々に生きている関係。彼のこれからの人生に私の存在は必要ないし、私にとっても同じ。
 そのことが今、はっきりとわかった。
 過去を懐かしむ気持ちはなくならないだろうけど、その感情が未練かもしれないと思うことはきっと、二度とない。
 優しくしてあげられなかったこと、言うべきことをちゃんと言えなかったことは、今も少し残念には思う。だけど、その気持ちを抱えながらも私は前に進んできた。彼もきっと同じだろう。
 できなかったことは、いつまでも悔やむのではなく、次に同じ状況に陥った時に間違えないために覚えておく。それが前向きに、未来に生きるということ。
 彼らの背中が見えなくなるより先に、方向転換して歩き出した。会社に戻った時、上司がまだ部屋にいたら相談しよう。どのぐらい引き継ぎで残れば、退職させてもらえるか。
 それから、結婚の準備をそろそろ始めようかと、拓也に言ってみよう。電話の向こうでびっくりする姿が目に浮かんだ。慌ててビンを割ったりしなきゃいいけど。
 ……そして家に帰ったら、下駄箱の奥にしまっているパンプスを取り出して、次のゴミの日に出すようにしよう。新しい靴に足がなじむ感覚を、さっきよりもずっと強く感じていた。