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Pure Love ~君しか見えない~

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 久しぶりに出会った和人は幸の知らない少年で、もうすっかり大人びていたと感じる。相変わらず背は低いほうだろうが、それでも前に比べれば、がっしりとした体格をしている。学生会館に違和感なく入ってきた様子は、耳が不自由ということなどわからない、普通の男子学生のようだった。
 だが幸には、和人に会わせる顔がない。
「幸?」
 そこで、幸は呼び止められた。振り向くとそこには、婚約者の修吾がいる。
「どうしたの? そんなに怖い顔して……」
「え、してた?」
 修吾の顔を見た幸は、ホッとした様子で修吾に駆け寄った。修吾は頷き、口を開く。
「うん。そっちは練習終わった? 俺、これから定期演奏会の練習があるんだ」
「ああ、もうすぐだもんね。私はまだだから気が楽。修吾、もちろん第一バイオリンでしょ? 頑張らなきゃね」
 幸が言った。
 音楽学部に通う二人は、定期演奏会や各音楽サークル等の名目で、放課後もあちこち引っ張りだこであった。特に修吾は、その才能を小さい頃から認められているので期待も高く、幸より数段に忙しい日々を送っている。
「うん……でも、こう忙しくちゃ、幸と二人きりで話す時間も少なくなるから、気が重いよ」
 修吾にそう言われ、幸は素直に嬉しくなる。
「でも、修行のうちでしょ。終わるまで待ってようか? そうしたら一緒に帰れるし……」
「いいの? でも、少し遅くなると思うよ」
 そう言いかけた時、修吾は何かを見つけて手を振った。幸が振り返ると、そこには先ほどの真由美と和人がいた。幸は固まるようにして、修吾に寄り添う。
 そんな幸を気に留めず、修吾は真由美に笑いかける。
「彼が、水上君?」
 修吾の言葉に、幸は驚いた。
「修吾、知り合いなの?」
「弟のね。真由美が聴覚障害の人で講師を探してるって相談されたから、弟に頼んで彼を紹介してもらったんだ。うちの弟、昔からボランティア活動でいろいろやってるからさ……」
 幸は少し戸惑った。互いに接点のある和人。交流しないわけにもいかなそうだ。
「来てくれて、ありがとう」
 しゃべりながら、つたない手話で修吾が和人にそう言った。和人は、静かに微笑んで首を振る。
「幸ってば、急に行っちゃうからどうしたのかと思ったけど、相変わらず二人一緒でお熱いことね。ねえ、これから手話サークルなんだけど、二人も来ない? なんたって講師が好青年なんだから、上達も早いわよ」
「あはは。それは真由美や女性だけだろ? 行きたいのは山々なんだけど、俺は練習があるんだ。幸はお邪魔したら?」
 真由美に向かって修吾が笑って答え、幸に振った。
「え、でも、私は……」
「演奏会近いから、少し遅くなると思うし。どこかで時間潰してる最中、幸に変な虫が付いたら困るしさ。終わったら食事でも行こうよ。水上君には、俺からもお礼が言いたいし」
「じゃあ決まり。一緒に行こうよ、幸」
 事情を知らない修吾と真由美が、幸を誘う。そんな光景を、和人も黙って見つめていた。
「じゃあ、そうする……」
 少し拒否をしながらも、幸は行かないわけには行かなくなってしまった。そんなバツの悪そうな幸を見て、和人も幸と交流をしようとはしなかった。

 学生会館の一室で、手話サークルが始まった。二十人以上集まって満杯となった部屋に、幸は驚く。
「結構、人いるんだね……」
 幸の言葉に、真由美が頷く。
「うん。今、結構流行ってるしね。福祉活動の一環にもなるし。今日は特別講師も呼べたし、バッチリよ。さあ、幸も適当に座って」
 仕切りながら、真由美が言う。幸は一番後ろの席に座り、サークルの様子を見つめていた。
 真由美とともにホワイトボードの前に立つ和人は、幸の知らない少年であった。久々に見る手話は、美しいまでに懐かしい。過去が溢れてくるように、くすぐったいような恥ずかしいような、なんともいえない感覚に、幸は陥っていた。

 サークルが終わると、一同は部屋の片付けをしてロビーへと出ていった。
「じゃあ私、部屋の鍵返してくるから。このまま飲みに行く人は、ここで待っててね」
 真由美はそう言うと、和人に近づく。
「これから、終電までパーッと……ええっと、終電……居酒屋……」
 和人にそう話しかけた真由美だが、そこまでの手話がわからずに天井を見上げる。和人はそっと、持っていたメモ帳とペンを差し出した。
「ああ、ありがとう」
 そう言うと、真由美はメモ帳に飲み会への誘いを書いて、和人に見せた。和人は首を振って、静かに拒否をする。
「でも、修吾もお礼がしたいって言ってたし、講師をお願いするのは今日で最後じゃないんだし、毎回誘わないから、今日は来てほしいな」
 真由美はそう書いて、和人に見せる。それを見て、和人も笑って頷いた。真由美の強引なまでの願いは、とても断れる雰囲気ではない。
『ありがとう。じゃあ、少しだけ……』
「あ、オーケー? ありがとう。じゃあ、すぐに移動するから、ここで待っててね」
 優しい笑顔を向ける和人に、真由美も笑顔でそう返すと、サークルで使った部屋の鍵を返しに行った。
 和人の前では、サークルの仲間たちがはしゃぐように各自で話をしている。和人の耳が聞こえれば、相当うるさい連中なのだろう。和人はその光景に静かに微笑み、輪から外れるように壁に寄りかかると、窓際に一人立っている幸の姿に気がついた。
 幸にとってもここのサークルは初めてで、仲の良い友達もいない。幸はロビーを囲むガラス張りの窓際で、外を見つめて時間を潰していた。外はもうすっかり夜だ。幸の手には携帯電話が握られ、修吾からの連絡を待っている。
 そんな幸の目に、窓ガラスに映った和人が見えた。二人の目が合う。そのまま二人は、時が止まったように、視線を逸らせずにいた。
『……大丈夫……』
 やがて、和人が静かに俯いて、手話を始めた。辺りには大勢の人がいるものの、それぞれの世界に入っており、和人のその様子を見ている者も、気に留める者もいなかった。そのまま幸だけが、窓ガラス越しに和人を見つめている。
『君に話しかけたりしないから、安心してください』
 俯き加減の和人は、独り言のようにそう言った。だが幸には確実に、自分に向けられたメッセージだと伝わる。
 幸は苦しくなった。和人は未だ、自分との約束を実行している。「もう話しかけないで」と言った数年前の自分の言葉が、頭の中で悲しくこだまする。目すら合わさない今の互いの関係を、和人は壊そうとはしていない。和人の存在を忘れかけていた自分が恥ずかしい。それでも幸は、素直にはなれなかった。
 今ここで、和人に話しかければいい。傷付けたことを謝ればいい。幼馴染みだと、みんなに告白すればいい。友達も周りの環境も、高校時代と今とは違う。それでも幸は足が竦んだように、生身の和人と目を合わせることさえ出来ない。
 和人もそれ以上、幸に話しかけようとはしなかった。